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岡部昌生さんが野付牛公園でフロッタージュ (8月25日)

2011年09月19日 23時05分14秒 | 展覧会の紹介-現代美術
 岡部昌生さんが8月下旬、北見を訪れた。
 ヴェネチア・ビエンナーレの日本代表に選ばれたほどの実績があり、ことしも南アメリカやアルメニアでの発表が目白押しという岡部さんが、高校生にフロッタージュを教えるためにわざわざ北見まで来るというのだから、ちょっとびっくりである。
 岡部さんと高校生たちのフロッタージュは、会場の野付牛公園の中にある北網圏ほくもうけん北見文化センターに展示されたが、なんとわずか1日半という超短期であった。

 事業の概略は、北海道新聞2011年8月26日朝刊オホーツクワイド面に載っていた記事を読むとわかりやすいと思うので、以下引用する。
 
 高文連網走支部の美術展研究大会が25日、北見市の北網圏北見文化センターで開かれた。札幌大谷大短大部教授で美術家の岡部昌生(まさお)さん=北広島市在住=を講師に迎え、美術部の生徒が樹木に紙を当て、クレヨンなどでこすり取る「フロッタージュ」に挑戦した。

 管内の高校12校、生徒166人が参加。講師の岡部さんは、被爆地・広島などをテーマとしたフロッタージュ作品を制作する美術家で、2007年、イタリアでの国際展「ベネチア・ビエンナーレ」に日本代表として招待されるなどの実績を持つ。北見では1999年に、野付牛公園で市民らとフロッタージュ作品を共同制作している。

 今回の研究大会も野付牛公園で岡部さんと生徒がフロッタージュ作品を制作。雨の降る中、ハルニレやシラカバなどの表面を思い思いの色のクレヨンでこすり取っていた。出来上がった作品は、生徒が事前に描いた油彩画やアクリル画とともに同センター美術館に展示された。

 (中略)1千枚近くに上る作品が壁に張られた会場で岡部さんは「色彩豊かな作品が並び、この空間に森が移ったようだ。一人一人の手の力に称賛を送りたい」と講評した。(以下略)




 北見というマチは、歴史の痕跡のようなものが街角に残っていないことにかけては、おそらく日本でも屈指のマチだと思う。
 東京や大阪の純粋ベッドタウンみたいなところは別にすれば、たいていの地方都市では、この角には昔こういう人が住んでいたとか、由緒ある建物があった(あるいは現存する)というトピックがそこかしこにあるものだが、北見はほんとうに少ない。
散歩していて、ふいに古い建物に出くわすとか、由緒ありげな店がある路地があるというようなことも、ほとんど皆無といってよい。
 これは、明治の終わりごろになってようやく開拓が本格化してきたというこの地方の歴史の浅さと無縁ではないだろう。

 岡部昌生さんが街角という現場にさがしてきたのは、歴史の、さまざまな痕跡である。
 たとえば、被爆地・ヒロシマであり、パリのユダヤ人街であり、釧路の炭鉱跡である。
 だから、1999年に北見でフロッタージュをすると聞いたとき、いったいどこでやるんだろうといぶかしげに思った。

 岡部さんが選んだのは、野付牛のつけうし公園だった。
 野付牛は、北見の旧名。1940年代に北見が市制施行するまでは、野付牛町だった。
 中心部からはすこし北東に離れたところにあり、原始の林がそのまま残されているところだ。
 岡部さんは、ここに「北見の歴史がある」と直感したのだ。

 


 北海道の田畑や町はどこも、こういう森林や原野を、じぶんたちの祖父母や曽祖父母の世代が切り開いてきたのだ。
 そういう歴史に、あらためて思いをいたすきっかけになりそうな、そんなフロッタージュだった。

 しかし、だれにでもできそうな技法だけど、やっぱり壁に並んでいるのを見ると、岡部さんのが格段にうまいなあ。
 当たり前かもしれないけど。






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