道展の創立会員で、戦後は帯広・十勝の美術界で指導的役割を果たした画家の能勢眞美が戦前に描いた油絵の大作が、東京の専門学校で発見されたというニュースが2016年6月30日の北海道新聞に載っていました。
以下は、記事の一部です。
能勢眞美は胆振管内白老町生まれ。間もなく札幌に移り、道展の創立に参画。日展や一水会展でも活躍します。
1948年、病気療養のため、妻の実家のあった帯広に転居。戦後の十勝・帯広の美術界に重きをなし、多くの後進を育てました。
道立帯広美術館が油彩や水彩画を所蔵するほか、帯広市内の北海道ホテル内に常設されています。
能勢眞美の絵は、ほとんどが木々や公園を描いたものです。
少なくとも筆者は、人物や静物はおろか、海岸や冬の風景などを描いた作品を見たことがありません。
半世紀以上にわたり、緑を表現し続けてきた画家といえましょう。
7月11日の北海道新聞十勝版によると、「ゴルフを遊ぶ庭」は7日に道立帯広美術館に届けられたとのこと。
同館の五十嵐聡美学芸課長の「帯広と縁のある画家の作品。(公開で)多くの人に見てもらいたい。これだけ大きな絵が戦災をくぐり抜け、よく生き残った」という談話が紹介されています。
さて、公開が楽しみです。
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とかちプラザに展示されている能勢眞美作品
以下は、記事の一部です。
北海道画壇の草創期に活躍した帯広ゆかりの画家能勢真美(1897~1982年)が戦前に描いた初期の大作が、東京の専門学校「中央工学校」で見つかった。札幌の個人宅の庭を描いたとみられる120号(132センチ×194センチ)の油彩で、同校は道立帯広美術館に寄贈する方針。能勢の作風の変遷を知る上で貴重な資料となりそうだ。
「ゴルフを遊ぶ庭」と題し、家屋をバックに池と木々が描かれている。サインとともに1931と記され、31年(昭和6年)の制作とみられる。道立帯広美術館によると、能勢は当時、北大植物園とその北隣にある伊藤組土建の創業者、伊藤亀太郎邸などをよく描いていたという。
(中略)
中央工学校の矢代吉栄専務理事は「15年ほど前、千葉県の旅館か料理屋から、絵を譲りたいと申し出があり入手した」と振り返る。校舎改築計画に伴って今年3月、倉庫に保管していた絵を調べたところ、裏面に絵の題名と能勢の名前、札幌の住所が記されていたのに気付き、能勢の作品を収集している道立帯広美術館に連絡した。(以下略。引用終わり)
能勢眞美は胆振管内白老町生まれ。間もなく札幌に移り、道展の創立に参画。日展や一水会展でも活躍します。
1948年、病気療養のため、妻の実家のあった帯広に転居。戦後の十勝・帯広の美術界に重きをなし、多くの後進を育てました。
道立帯広美術館が油彩や水彩画を所蔵するほか、帯広市内の北海道ホテル内に常設されています。
能勢眞美の絵は、ほとんどが木々や公園を描いたものです。
少なくとも筆者は、人物や静物はおろか、海岸や冬の風景などを描いた作品を見たことがありません。
半世紀以上にわたり、緑を表現し続けてきた画家といえましょう。
7月11日の北海道新聞十勝版によると、「ゴルフを遊ぶ庭」は7日に道立帯広美術館に届けられたとのこと。
同館の五十嵐聡美学芸課長の「帯広と縁のある画家の作品。(公開で)多くの人に見てもらいたい。これだけ大きな絵が戦災をくぐり抜け、よく生き残った」という談話が紹介されています。
さて、公開が楽しみです。
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