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北海道美術ネット別館

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日本最北の木造駅舎、秘境駅の「抜海駅」が2025年3月に廃止される●抜海へ、冬の旅(15)

2025年02月17日 14時46分33秒 | つれづれ写真録
(承前)

 札幌生まれの彫刻家で、大通公園の「泉」釧路・幣舞橋の「道東の四季・冬」など戦後日本の野外彫刻をリードしてきた本郷新。
 彼の釣り人の号「抜海」と同じ名をもつ抜海駅(稚内市)が3月15日のダイヤ改正を機に廃止される前に、冬の抜海へ行ってきた紀行の第15回です。

 抜海漁港から2.3キロ。あたりに人家などがほとんど何もない道を歩いてきて、抜海駅に着きました。

 
 稚内行きの列車に万が一乗り遅れると大変なので、急いで歩いてきたら、20分以上前に着きました。
 分岐点から抜海駅までは10分かからないほどの距離しかありません。

 すでに鉄道ファンらしき男性2人がいて、カメラの準備などをしています。
 駅前に車などはなかったので、「旅程を考える」の項で説明したような、稚内⇔抜海折り返しパターンで来ているのでしょう。
 
 2人はあれこれ会話を交わしています。
 筆者は、今回の来訪がもし仕事であれば、その2人に話を聞くのですが、本来はそういうのが苦手なので、黙っています。
 
 
 駅舎内に入ってみます。
 秘境駅にはよくある「駅ノート」がここにも十数冊ありました。旅人に一言二言、書き残してもらおうというものです。

 さまざまなポスターや写真が貼ってあったり、コミックスが置かれていたりしますが、本郷新とのつながりを感じさせる物はひとつもありません。
 地元では本郷新のことがあまり知られていないのでしょうか。
 
 左手に貼ってある防火ポスターのB・B(プロ野球北海道日本ハムファイターズのマスコット)は、古いデザインの時代のものですね。現在よりも表情がすこし硬い感じなのですが、懐かしいです。
 






 
 かつての改札口を通り、プラットホームに出てみます。






 
 昨年までは列車交換が可能な駅だったらしく、駅舎の反対側にも線路とホームがあったそうですが、いまは雪に覆われています。
 
 晴れていれば利尻島も望めるほか、沿岸に立ち並ぶ風力発電機も見えるはずですが、この日は冬の日本海側にありがちな曇り空で、遠くにはなにも見えませんでした。


 夏の間はさぞかし美しいところなのでしょう。
 冬場は、鉄道ファン以外にアピールする要素は、正直言って乏しいように感じます。
 
 稚内市が駅存続を断念したのは残念なことではあります。
 報じられているように、地元有志がクラウドファンディングで駅を管理する資金を集めようとしたらJR側が地元自治体以外による管理を認めなかったために頓挫したのだとしたら、いささか杓子定規のような気がしないでもありません。
 これこそ、近年はすっかり富裕層の節税対策に堕している「ふるさと納税」の出番ではないかとも思うのですが…。

 残しておけば、いずれ何かのコンテンツに取り上げられて「聖地」として脚光を浴びないとも限りません。
 実際、おなじJR宗谷線にある塩狩駅は、もし三浦綾子が小説の舞台にしていなかったら、とっくに廃止されていた可能性はあります。
 もちろん、未来の「かもしれない」に懸けるほど、JR北海道にも稚内市にも余裕がないということなのでしょうが…。
 


 駅舎の北側側面。
 いかにも大正期の開業以来用いてきた建物らしく年季が入っています。






 午前11時48分。
 稚内行きの4325D列車が到着しました。

 車輛はキハ54系の単行。
 この2、3年で急速に減少している、昭和の国鉄型ディーゼルカーです。

 この列車は朝6時3分に旭川を出て、名寄、幌延で列車番号を変えながら、6時間4分かけて稚内まで行くという、いまどき珍しい長距離鈍行です。走行距離は259.4キロです。
 旭川からこの列車ではるばる抜海駅を目指すというのも、鉄道ファン的にはなかなか乗りごたえのある楽しい旅程だと思いますが、稚内へ行くのに旭川に前泊するのもなんだか変なので、このプランは見送りました。



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