(ネタバレ注意。写真は一部、会期終了後にアップします→3月8日、追加しました)
2011年のSnow Scape Moere、14年の札幌国際芸術祭、15年の高橋喜代史さんとの2人展など、活躍めざましい札幌の現代美術作家、今村育子さんが、モエレ沼公園ガラスのピラミッド内で「ひかりの連鎖」第3期として、個展を開いている。
「ひかりの連鎖」は、同公園の基本設計を行った世界的彫刻家イサム・ノグチの作った「あかり」と、会場内でコレボレーションするという企画。第1期の高臣大介さんや第2期の佐々木秀明さんも、見応えのある空間を構成していたが、今村さんは、自らの個性を見事にいかしたインスタレーションを出品していた。
あるいは、「制作に費やした時間や手間」に作品の価値を見いだすような人は、はるばる出かけて行ってこの大きさの作品なのかと、拍子抜けするかもしれない。しかし、そのささやかさゆえに、今村さんの作品の中でも、最も忘れがたいものになっているのではないか。それも、強烈な印象を残すというより、後日ふいに記憶の片隅に浮かびあがりそうな、そんな気がするのだ。
作品は2点の題名が図録に記されている。
「眺める光」は2カ所に設置されている。
うち1カ所は、会場に入ってすぐの壁面。
床の上に「あかり」が置かれ、その右上の壁に、小さな木片がふたつ、とりつけられている。
三角屋根の家のかたちをした木片は、天井からのライトを受けて、ひとつは小さな、もうひとつは大きくのびた影を、白い壁の上に投げかけている。
長くのびたシルエットは夕暮れ時を思い出させる。
影ののびた壁面の拡大写真(右下)。
今村育子の作品には「幼い頃の日常」「郷愁」「遠い記憶」といったことばがよく似合う。
ただし、それが心あたたまる作品なのか、それとも、そういうあたたかさから排除された悲哀を思い起こさせるものなのかは、受け取る人の心持ちによって変わってくるように思う。作品の置かれた空間の文脈によっても。
さて、壁の向こうは、広大で真っ暗な空間が広がっている。
目が慣れるまでしばらく時間がかかるが、中央に、カーテンでまるく囲まれた空間があることがわかる(冒頭画像)。
カーテンと床の間の隙間から、光がわずかに漏れ出ている。
カーテンに沿って暗い空間を歩いていくと、開口部があり、内部が見られるようになっている。図録にはここに「眺める光」の題が記されている。開口部から光が出ている状態をさして「眺める光」という作品であるといえるのかもしれない。
開口部からの光はもちろんイサム・ノグチの「あかり」から発しているもの。
光にいざなわれるようにして、カーテンの中へと入る。
内部の空間は直径4メートルほど。
そこに、あかりが天井から2個つり下げられ、床の上に1個置かれている。
床の上のあかりの脇に薄い木片が置かれている。それは、三角形の屋根をもった家の形をしており、会場入口の壁面に取りつけられたものと同じもののように見える。
おおよその大きさが、高さ4センチ、幅2.5センチ程度。
うっかりしていると、見過ごしてしまいそうだ。
和紙を通した光はやわらかくて、やさしい落ち着きがあり、カーテンの内部は、日本家屋の室内のようなたたずまいを感じさせる。
家の中のような空間でありながら、作者の配した木片が家のかたちをしているというのがちょっとおもしろい。
わたしたちが小さな子どもだったころの、自宅の感じ。夜が長かったこと。暗闇が怖かったこと。
そんなかすかな記憶の断片と繊細な感覚が、彼女のインスタレーションに触れることで、静かによみがえってくるようでもある。
その繊細さ、微細さは、彼女の作品が単なるノスタルジーに回収されることから救っているようにも思った。
2016年2月17日(水)~3月6日(日)午前9時~午後5時、月曜休み
モエレ沼公園ガラスのピラミッド(札幌市東区モエレ沼公園)
関連記事へのリンク
■そらち炭鉱の記憶アートプロジェクト2014
■おとどけアート2009報告展 ゆめのとんでんみなみ村(2010)
■CAI02・2周年記念企画 今村育子個展[カーテン] (2010、画像なし)
■500m美術館 (2007)
■今村育子展 (2006、画像なし)
■「ひかりの連鎖」第2期 佐々木秀明
■ひかりの連鎖 高臣大介
・地下鉄東豊線「環状通東駅」から「東68 北札苗線」「東79 北札苗線」に乗り継ぎ「モエレ沼公園東口」で降車、約880メートル、徒歩12分
(冬季間は公園内まで行く便はありません。また、モエレ沼公園西口に行かないよう、注意を)
2011年のSnow Scape Moere、14年の札幌国際芸術祭、15年の高橋喜代史さんとの2人展など、活躍めざましい札幌の現代美術作家、今村育子さんが、モエレ沼公園ガラスのピラミッド内で「ひかりの連鎖」第3期として、個展を開いている。
「ひかりの連鎖」は、同公園の基本設計を行った世界的彫刻家イサム・ノグチの作った「あかり」と、会場内でコレボレーションするという企画。第1期の高臣大介さんや第2期の佐々木秀明さんも、見応えのある空間を構成していたが、今村さんは、自らの個性を見事にいかしたインスタレーションを出品していた。
あるいは、「制作に費やした時間や手間」に作品の価値を見いだすような人は、はるばる出かけて行ってこの大きさの作品なのかと、拍子抜けするかもしれない。しかし、そのささやかさゆえに、今村さんの作品の中でも、最も忘れがたいものになっているのではないか。それも、強烈な印象を残すというより、後日ふいに記憶の片隅に浮かびあがりそうな、そんな気がするのだ。
作品は2点の題名が図録に記されている。
「眺める光」は2カ所に設置されている。
うち1カ所は、会場に入ってすぐの壁面。
床の上に「あかり」が置かれ、その右上の壁に、小さな木片がふたつ、とりつけられている。
三角屋根の家のかたちをした木片は、天井からのライトを受けて、ひとつは小さな、もうひとつは大きくのびた影を、白い壁の上に投げかけている。
長くのびたシルエットは夕暮れ時を思い出させる。
影ののびた壁面の拡大写真(右下)。
今村育子の作品には「幼い頃の日常」「郷愁」「遠い記憶」といったことばがよく似合う。
ただし、それが心あたたまる作品なのか、それとも、そういうあたたかさから排除された悲哀を思い起こさせるものなのかは、受け取る人の心持ちによって変わってくるように思う。作品の置かれた空間の文脈によっても。
さて、壁の向こうは、広大で真っ暗な空間が広がっている。
目が慣れるまでしばらく時間がかかるが、中央に、カーテンでまるく囲まれた空間があることがわかる(冒頭画像)。
カーテンと床の間の隙間から、光がわずかに漏れ出ている。
カーテンに沿って暗い空間を歩いていくと、開口部があり、内部が見られるようになっている。図録にはここに「眺める光」の題が記されている。開口部から光が出ている状態をさして「眺める光」という作品であるといえるのかもしれない。
開口部からの光はもちろんイサム・ノグチの「あかり」から発しているもの。
光にいざなわれるようにして、カーテンの中へと入る。
内部の空間は直径4メートルほど。
そこに、あかりが天井から2個つり下げられ、床の上に1個置かれている。
床の上のあかりの脇に薄い木片が置かれている。それは、三角形の屋根をもった家の形をしており、会場入口の壁面に取りつけられたものと同じもののように見える。
おおよその大きさが、高さ4センチ、幅2.5センチ程度。
うっかりしていると、見過ごしてしまいそうだ。
和紙を通した光はやわらかくて、やさしい落ち着きがあり、カーテンの内部は、日本家屋の室内のようなたたずまいを感じさせる。
家の中のような空間でありながら、作者の配した木片が家のかたちをしているというのがちょっとおもしろい。
わたしたちが小さな子どもだったころの、自宅の感じ。夜が長かったこと。暗闇が怖かったこと。
そんなかすかな記憶の断片と繊細な感覚が、彼女のインスタレーションに触れることで、静かによみがえってくるようでもある。
その繊細さ、微細さは、彼女の作品が単なるノスタルジーに回収されることから救っているようにも思った。
2016年2月17日(水)~3月6日(日)午前9時~午後5時、月曜休み
モエレ沼公園ガラスのピラミッド(札幌市東区モエレ沼公園)
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■ひかりの連鎖 高臣大介
・地下鉄東豊線「環状通東駅」から「東68 北札苗線」「東79 北札苗線」に乗り継ぎ「モエレ沼公園東口」で降車、約880メートル、徒歩12分
(冬季間は公園内まで行く便はありません。また、モエレ沼公園西口に行かないよう、注意を)