
来年7~9月に初めて開かれる札幌国際芸術祭2014。
その「プレフェスティバルイベント 第2弾」として、「札幌の未来へ向けたビジョンを聴こう! ゲストディレクター坂本龍一氏が、市民に「語る・奏でる」2日間。」が、11月3、4の両日、札幌コンサートホールKitaraで開催。1日目の「シンポジウム 札幌国際芸術祭が目指すもの」を聴きに行ってきた。
(長文です。11月5日に一部訂正)
プログラムは3部に分かれ、1部は、オープニング演奏として、札幌交響楽団コンサートマスター大平まゆみさんによる、バッハ「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番より“プレリュード”」。
第2部が、シンポジウムで、
坂本龍一(ゲストディレクター)
浅田彰(企画アドバイザー/京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長)
飯田志保子(アソシエイト・キュレーター/インディペンデント・キュレーター)
四方幸子(アソシエイト・キュレーター/メディアアート・キュレーター)
端聡(地域ディレクター/美術家・アートディレクター)
の5氏が登場。
そして、第3部が「ウェルカムコンサート」として、伊福部昭「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲より第1楽章」と、ショスタコーヴィチ「弦楽四重奏曲第11番へ短調 作品122」の演奏だった。
シンポジウムについては、人によっていろいろの捉え方がありそうだが、筆者個人としては、浅田彰の話芸に圧倒された。いきなり、東京五輪にジャブだ。
以下、まとめは筆者の責任である。
浅田さんはたいへんな早口であり、とうてい一字一句を正確に筆記できやしない。
「坂本さんとは昔からよく話していて、坂本さんはニューヨークが拠点、ぼくの京都が拠点ということもあり、東京で会うことが多かったけど、最近はずいぶん変わってきましたよね。(坂本龍一が10周年記念祭ディレクターを務めた)山口のYCAM(ワイカム)にも2、3回行きましたよ。そういうふうに、(東京で会うわけではなく)なってきてるんですよね。東京五輪だってバカ騒ぎしてますけど、東京のような田舎にいるとわかんないんでしょうね。いまどき首都にいろんなもの集めてどうするんでしょうね。山口のように、江戸期の遺産と現代(のメディアアート)があって、プレ近代とポスト近代で近代を挟み込む。それと似たことが札幌でもできるんじゃないでしょうか。日本のほかのどこにもない自然や歴史があり、先住民族の文化もあるわけです。ポスト近代、ポスト・インダストリアル(産業社会)と、プレ近代、プレ・インダストリアルを直結させるようなかたちで国際芸術祭ができればおもしろい。
京都から出てきて、札幌は落葉の季節で、ニューイングランドのような美しさだと思った。北海道はまさにニューイングランドを開拓のモデルにしてきたわけで、日本近代の象徴のようなところがある。お雇い外国人が来て大規模農業などを教え、クラーク博士は有名な”Boys,be ambitious!"という言葉で「自分のように野心的であれ」という熱い思いを伝えたわけです。21世紀の現在から近代化を断罪をするつもりはありません。しかし、近代化モデルにはいくつか問題があることは明らか。ニューイングランドだって、もともとインドを目指していてアメリカに着いたもんだから、先住民族をインディアンなんて呼んで、それを排除した上で「ああ、ここには手付かずの自然がある」なんて高揚して、自然を開発し、搾取していったわけです。それが近代なんです。それを全否定はできない。しかし、自然、外の自然だけでなく、内なる自然としてのこころや、人間の豊かな結びつきが荒廃するという現実がある。
だいたい「Boys」というのは20歳から60歳くらいの健康な男性だけを相手にしている。それは、軍事訓練の対象であり、要するに戦争に行く人たちなんです。後には、企業戦士として戦う人。札幌農学校にも演舞演武場があり、教練をやってたじゃないですか。そこからは、先住民族、家事労働に携わる女性、子どもや老人、障害者、病者が抜けおちている。企業戦士が自然を破壊し他者を制圧してきたのが近代。忘れつつある他者との共感、豊かな共生をもう一回思い返してほしい。ポスト近代、ポスト・インダストリアルな局面では、アートが最も重要になるんです。ほかでもないニューイングランド風開拓発祥の地でアートをやることに意義があります」
(5日訂正。演舞場→演武場)
東京のような田舎(笑)。
さすが、坂本教授と浅田氏は、新人類とかYMOとかの時代から友人だっただけに、基本的な認識の枠組みでは一致してるように見受けられた。
つまり、それは「近代と産業社会は行き詰まっている。ポスト近代を、アートで表現する」ということではないか。
その認識は、原発事故などでアップデートされこそすれ、80年代のポストモダン論議の頃からあんまり変わってないんじゃないかという印象を受けた。
今回のシンポジウムでは、坂本教授は意外にも「持続可能」ということばを一度も発しなかったし、「大量生産、大量消費」とも言わなかったが、そういう生活のあり方をシフトチェンジしたいという思いはあるに違いない。だからこその「都市と自然」というテーマなのだと思う。ポスト産業社会として想定される「IT社会」「情報都市」は、自然と共生しうる新しい生き方のモデルたりうるのだ…と。
「イサム・ノグチは日本人の詩人と米国人の母親の間に生まれて、アメリカのアーティストだということになっていますけど、かなり日本人的なアーティストだと思うんです。1986年のベネチアビエンナーレで、磯崎新さんが日本館で発表した年で、僕も行って最後にお会いしてるんですが、そのとき、純粋美術にしぼったほうが賞を取れるとアドバイスされていたんです。だけど、けっきょくイサム・ノグチは、それはイヤだと。子供が滑り台として使える、それが彫刻として一番大事だし自然なことだと言って、拒否したんですね。大通公園にあるブラック・スライド・マントラと同じことです。彼はそのとき賞を取れなかった。でも、それでいいんじゃないか。純粋芸術って、裏を返せば、高値で取引される商品を作れということですからね。もともとイサム・ノグチはブランクーシのアトリエにいて、彼の後で彫刻を作るのはムリだと言った人ですからね。行くところまで行ってしまったと。そこで、大地を彫刻するという発想がでてきた。それがモエレ沼公園なんです。だから、札幌としては非常に重要な場所なんですよ。彼にとっては、同じレベルで、子供が走り回っていることが大事である。近代の彫刻の概念を超えているんです」
あと、岡倉天心とフェノロサが日本美術を作ったという話もしてたな。
「いわゆる有名アーティストをちりばめた国際芸術祭、そこから出発しないことが大事です。まあ、札幌の場合、出場アーティストがフィックスできてないっていう部分もあるんだろうけど、それを意図的な戦略だと考えたほうがよい。一番安直なのは、東京の『大物』キュレーターに丸投げすることですよ。そこで、ダミアン・ハーストとか村上隆とか綺羅星のようなスター作家を並べたところで、世界のどこでやってもそんなのおんなじじゃないですか。そのこと自体が、アートワールドを非常に閉じたものにしている。札幌がそれをしないのは正しい判断です。そんなのは、国際市場に引っ張られた『国際化』にすぎない」
ここで教授が
「私のような門外漢がゲストディレクターでいいんでしょうか」
とまぜっかえすと、浅田さんは
「それがいいんですよ。ベネチアとバーゼルの例からでもわかるように、アートが市場にすごく引っ張られている現状がある」
と指摘。その上で
「ニセの国際主義はいけないが、ローカルの内側で固まってしまうのもいけない。局所的な良さが、排外的な地元根性に転化してしまう、そうなっては最低ですね」
とクギをさした。
「ニセの国際主義もニセの地域主義も気をつけないといけない。よそ者が何を偉そうに言ってるんだと思ってる方もおられるでしょうし、それは当然です。でも、アーティストというのは、基本はストレンジャーなんです、地元の人でも。身のまわりを、別の目で見直す。変な人だからこそ、わたしたちをはっと気づかせてくれたり違う角度からものを見せてくれたりするわけです。だいたい、地元のいいところなんて、地元にいると気づかない。よそからお客さんが来てしょうがないから連れて行ったりする、そこですばらしいと気づくわけです。日常接している札幌の本当の富、豊かさに気づかせる。それがアートの一番重要な役割なんです」
「メディアアートの歴史で大事な人に、ナムジュン・パイクという作家がいます。白南準と書く韓国人ですが、東大で学びました。坂本さんと一緒に僕もお邪魔したことがありますが、三木清の引用がトイレの前にはってあったりするんですね。テレビを積み上げたりして、テレビをメディアとしてではなく新しいアートの媒体として使いました。そういう意味で、日本というのは、メディアアートの流れにすごくかかわっている。彼の友人で現代音楽のジョン・ケージも、鈴木大拙(の禅の本)からすごく影響を受けている。日本をローカルで特殊な場所だと決め付けず、モダンアートに本質的なインパクトを与えた部分を持っている、そのことを札幌で考えていくとおもしろいんじゃないかな」
というわけで、この話術を目の前で聞けただけでも、きょうは行ってよかったなと思う。
あらためて、浅田彰はすごい。「Inter Communication」の頃から思ってたけど、なんでこんなにいろんなことを知っているんだ。
あと、5人のなかで、いちばん自由人っぽい端さんの話し方がいちばん硬かったのが意外だった(笑)。
炭鉱の話を教授からふられたりして、後半は生き生きとしゃべっていたが、出だしは緊張してたのかな?
ただ、端さんが言ってた「ストレンジャー大歓迎」というのは、われわれ道民の偽らざる気持ちですよ。
だって、もともとほとんどがよそ者なんだもん。
飯田さんの話にも、非常に重要な指摘があった。
ようやくこの期に及んで西洋が「日本の現代美術史」を発見しつつある、という話。
教授が、ことしグッゲンハイムでやってた「グタイ」展に言及すると「具体、ハイレッドセンター、実験工房を入れとけばいいよね、みたいな安直な企画も多いですけどね」と返すのも、すごいなーと思って聞いていたが、この話はまた機会があれば、いずれ。
というか、このエントリ、具体的に国際芸術祭でなにをやるか、ぜんぜん書いてないな。
それは、いずれ、公式サイトとかで明らかになるでしょう。
その「プレフェスティバルイベント 第2弾」として、「札幌の未来へ向けたビジョンを聴こう! ゲストディレクター坂本龍一氏が、市民に「語る・奏でる」2日間。」が、11月3、4の両日、札幌コンサートホールKitaraで開催。1日目の「シンポジウム 札幌国際芸術祭が目指すもの」を聴きに行ってきた。
(長文です。11月5日に一部訂正)
プログラムは3部に分かれ、1部は、オープニング演奏として、札幌交響楽団コンサートマスター大平まゆみさんによる、バッハ「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番より“プレリュード”」。
第2部が、シンポジウムで、
坂本龍一(ゲストディレクター)
浅田彰(企画アドバイザー/京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長)
飯田志保子(アソシエイト・キュレーター/インディペンデント・キュレーター)
四方幸子(アソシエイト・キュレーター/メディアアート・キュレーター)
端聡(地域ディレクター/美術家・アートディレクター)
の5氏が登場。
そして、第3部が「ウェルカムコンサート」として、伊福部昭「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲より第1楽章」と、ショスタコーヴィチ「弦楽四重奏曲第11番へ短調 作品122」の演奏だった。
シンポジウムについては、人によっていろいろの捉え方がありそうだが、筆者個人としては、浅田彰の話芸に圧倒された。いきなり、東京五輪にジャブだ。
以下、まとめは筆者の責任である。
浅田さんはたいへんな早口であり、とうてい一字一句を正確に筆記できやしない。
「坂本さんとは昔からよく話していて、坂本さんはニューヨークが拠点、ぼくの京都が拠点ということもあり、東京で会うことが多かったけど、最近はずいぶん変わってきましたよね。(坂本龍一が10周年記念祭ディレクターを務めた)山口のYCAM(ワイカム)にも2、3回行きましたよ。そういうふうに、(東京で会うわけではなく)なってきてるんですよね。東京五輪だってバカ騒ぎしてますけど、東京のような田舎にいるとわかんないんでしょうね。いまどき首都にいろんなもの集めてどうするんでしょうね。山口のように、江戸期の遺産と現代(のメディアアート)があって、プレ近代とポスト近代で近代を挟み込む。それと似たことが札幌でもできるんじゃないでしょうか。日本のほかのどこにもない自然や歴史があり、先住民族の文化もあるわけです。ポスト近代、ポスト・インダストリアル(産業社会)と、プレ近代、プレ・インダストリアルを直結させるようなかたちで国際芸術祭ができればおもしろい。
京都から出てきて、札幌は落葉の季節で、ニューイングランドのような美しさだと思った。北海道はまさにニューイングランドを開拓のモデルにしてきたわけで、日本近代の象徴のようなところがある。お雇い外国人が来て大規模農業などを教え、クラーク博士は有名な”Boys,be ambitious!"という言葉で「自分のように野心的であれ」という熱い思いを伝えたわけです。21世紀の現在から近代化を断罪をするつもりはありません。しかし、近代化モデルにはいくつか問題があることは明らか。ニューイングランドだって、もともとインドを目指していてアメリカに着いたもんだから、先住民族をインディアンなんて呼んで、それを排除した上で「ああ、ここには手付かずの自然がある」なんて高揚して、自然を開発し、搾取していったわけです。それが近代なんです。それを全否定はできない。しかし、自然、外の自然だけでなく、内なる自然としてのこころや、人間の豊かな結びつきが荒廃するという現実がある。
だいたい「Boys」というのは20歳から60歳くらいの健康な男性だけを相手にしている。それは、軍事訓練の対象であり、要するに戦争に行く人たちなんです。後には、企業戦士として戦う人。札幌農学校にも
(5日訂正。演舞場→演武場)
東京のような田舎(笑)。
さすが、坂本教授と浅田氏は、新人類とかYMOとかの時代から友人だっただけに、基本的な認識の枠組みでは一致してるように見受けられた。
つまり、それは「近代と産業社会は行き詰まっている。ポスト近代を、アートで表現する」ということではないか。
その認識は、原発事故などでアップデートされこそすれ、80年代のポストモダン論議の頃からあんまり変わってないんじゃないかという印象を受けた。
今回のシンポジウムでは、坂本教授は意外にも「持続可能」ということばを一度も発しなかったし、「大量生産、大量消費」とも言わなかったが、そういう生活のあり方をシフトチェンジしたいという思いはあるに違いない。だからこその「都市と自然」というテーマなのだと思う。ポスト産業社会として想定される「IT社会」「情報都市」は、自然と共生しうる新しい生き方のモデルたりうるのだ…と。
「イサム・ノグチは日本人の詩人と米国人の母親の間に生まれて、アメリカのアーティストだということになっていますけど、かなり日本人的なアーティストだと思うんです。1986年のベネチアビエンナーレで、磯崎新さんが日本館で発表した年で、僕も行って最後にお会いしてるんですが、そのとき、純粋美術にしぼったほうが賞を取れるとアドバイスされていたんです。だけど、けっきょくイサム・ノグチは、それはイヤだと。子供が滑り台として使える、それが彫刻として一番大事だし自然なことだと言って、拒否したんですね。大通公園にあるブラック・スライド・マントラと同じことです。彼はそのとき賞を取れなかった。でも、それでいいんじゃないか。純粋芸術って、裏を返せば、高値で取引される商品を作れということですからね。もともとイサム・ノグチはブランクーシのアトリエにいて、彼の後で彫刻を作るのはムリだと言った人ですからね。行くところまで行ってしまったと。そこで、大地を彫刻するという発想がでてきた。それがモエレ沼公園なんです。だから、札幌としては非常に重要な場所なんですよ。彼にとっては、同じレベルで、子供が走り回っていることが大事である。近代の彫刻の概念を超えているんです」
あと、岡倉天心とフェノロサが日本美術を作ったという話もしてたな。
「いわゆる有名アーティストをちりばめた国際芸術祭、そこから出発しないことが大事です。まあ、札幌の場合、出場アーティストがフィックスできてないっていう部分もあるんだろうけど、それを意図的な戦略だと考えたほうがよい。一番安直なのは、東京の『大物』キュレーターに丸投げすることですよ。そこで、ダミアン・ハーストとか村上隆とか綺羅星のようなスター作家を並べたところで、世界のどこでやってもそんなのおんなじじゃないですか。そのこと自体が、アートワールドを非常に閉じたものにしている。札幌がそれをしないのは正しい判断です。そんなのは、国際市場に引っ張られた『国際化』にすぎない」
ここで教授が
「私のような門外漢がゲストディレクターでいいんでしょうか」
とまぜっかえすと、浅田さんは
「それがいいんですよ。ベネチアとバーゼルの例からでもわかるように、アートが市場にすごく引っ張られている現状がある」
と指摘。その上で
「ニセの国際主義はいけないが、ローカルの内側で固まってしまうのもいけない。局所的な良さが、排外的な地元根性に転化してしまう、そうなっては最低ですね」
とクギをさした。
「ニセの国際主義もニセの地域主義も気をつけないといけない。よそ者が何を偉そうに言ってるんだと思ってる方もおられるでしょうし、それは当然です。でも、アーティストというのは、基本はストレンジャーなんです、地元の人でも。身のまわりを、別の目で見直す。変な人だからこそ、わたしたちをはっと気づかせてくれたり違う角度からものを見せてくれたりするわけです。だいたい、地元のいいところなんて、地元にいると気づかない。よそからお客さんが来てしょうがないから連れて行ったりする、そこですばらしいと気づくわけです。日常接している札幌の本当の富、豊かさに気づかせる。それがアートの一番重要な役割なんです」
「メディアアートの歴史で大事な人に、ナムジュン・パイクという作家がいます。白南準と書く韓国人ですが、東大で学びました。坂本さんと一緒に僕もお邪魔したことがありますが、三木清の引用がトイレの前にはってあったりするんですね。テレビを積み上げたりして、テレビをメディアとしてではなく新しいアートの媒体として使いました。そういう意味で、日本というのは、メディアアートの流れにすごくかかわっている。彼の友人で現代音楽のジョン・ケージも、鈴木大拙(の禅の本)からすごく影響を受けている。日本をローカルで特殊な場所だと決め付けず、モダンアートに本質的なインパクトを与えた部分を持っている、そのことを札幌で考えていくとおもしろいんじゃないかな」
というわけで、この話術を目の前で聞けただけでも、きょうは行ってよかったなと思う。
あらためて、浅田彰はすごい。「Inter Communication」の頃から思ってたけど、なんでこんなにいろんなことを知っているんだ。
あと、5人のなかで、いちばん自由人っぽい端さんの話し方がいちばん硬かったのが意外だった(笑)。
炭鉱の話を教授からふられたりして、後半は生き生きとしゃべっていたが、出だしは緊張してたのかな?
ただ、端さんが言ってた「ストレンジャー大歓迎」というのは、われわれ道民の偽らざる気持ちですよ。
だって、もともとほとんどがよそ者なんだもん。
飯田さんの話にも、非常に重要な指摘があった。
ようやくこの期に及んで西洋が「日本の現代美術史」を発見しつつある、という話。
教授が、ことしグッゲンハイムでやってた「グタイ」展に言及すると「具体、ハイレッドセンター、実験工房を入れとけばいいよね、みたいな安直な企画も多いですけどね」と返すのも、すごいなーと思って聞いていたが、この話はまた機会があれば、いずれ。
というか、このエントリ、具体的に国際芸術祭でなにをやるか、ぜんぜん書いてないな。
それは、いずれ、公式サイトとかで明らかになるでしょう。
札幌の人にはすぐ誤植と分かると思うけれど、道外では知らない人も多いと思うので念のため。
浅田氏の言葉のなかで思ったことひとつ。
「そこからは、先住民族」が「抜けおちている。」
というところですが、北大(札幌農学校)の前身とも言える「開拓使仮学校」の中に「北海道土人教育所」や「卒業後に北海道在籍の者と結婚すること」を宣誓した者だけが入学を許された「女学校」があったことを考えると、北海道の近代化においては(その後の戦争のことを考え併せても)、「先住民族」や「女性」も「動員されていた」と言った方が実態(および当局の意図)に近いんじゃないかと思いました。
あと、母校の思ひ出話。
イサム・ノグチのお父さんである野口米次郎は、詩人でもあるけれど、また慶應義塾大学の教授でもありました。米次郎はイサムに「野口姓を名乗って日本に来てはいけない」と隠し子に近い扱いをしたようです。しかし、米次郎の死後に来日したイサムに対して、慶應義塾は校舎の設計などに参加してもらいます。自校の教授のスキャンダルの種ともなりそうな話なのに、「人の下に人を作らず」の精神なのか(笑)、呑気な話です。で、同校の三田キャンパスの中にはイサムの彫刻が立っていたりします。慶應の体育会で、国際大会に出場したり全国大会で優勝したりすると「小泉信三賞」というものをもらえるのですが、その記念品がイサム・ノグチの彫刻を模した金メダルです。そのメダルのタイトルが「無」!
米次郎は、あまり日本人的ではなかったようですが、イサムは、むしろ父親以上に「日本的」なテーマを追究していたんじゃないかと僕も思います。しかし、頑張った学生への「ご褒美」に「無」を授与するというのも、あの学校らしいなという気もています。
http://www.art-c.keio.ac.jp/archive/noguchi/about/3.html
演武場は、直しておきました。
先住民族が抜け落ちている件については、要するに、近代という枠組みが「健康な男性(ただし、アフリカ系や障碍者や同性愛者などをのぞく)」を対象にしたものであるということを、浅田さんが言いたかったんだと思います。
慶應義塾の話ですが、さすがですよね。
まあ、詩人・野口米次郎と、彫刻家イサム・ノグチの偉大さを比べたら、それは当然ではないかとも思います。米次郎は、話題性はありますが、とうてい日本の近代詩の歴史に大文字で刻まれるような人ではありません。
自分は、じつは、イサム・ノグチの日本人性については疑念を抱いています。
モエレ沼公園などは、いかにも西洋人くさいシンメトリーに満ちていて、歩いていると日本人である自分はちょっと息苦しくなりますよ。
その後に出た「逃走論」は前著よりくだけていて親しみやすく楽しんで読みました。「逃走論」の内容からも、また、
このブログの記事での浅田彰さんの発言を読ませていただいてからも感じるのですが「浅田彰さんはきわめて純粋なヒューマニストではなかろうか?」ということです。こんな発言は変かな?たぶんそうですね。どうもすいません。
ただこのブログでも浅田さんの話術の卓越さを評してますがほんと、浅田さんの話し方はその内容、論理展開、言葉の明確さ、リズム、声のトーン、などなどすべて「見事!」としかいえないほどに美しく、最近の坂本龍一さんの「スコラ」でのお話もなどもふくめて、ほんとに「チャーミング」である種の「カタルシス」まで感じます。
これは浅田さんが大学教授であり長らく大学というアカデミックな機関でいらっしゃつた必然の結果かな?とも思ったりします。
教授というのはなによりまず学生にわかりやすく魅力的に講義を語ることが大命題ですから浅田さんも意識してそういう話し方をされているのかな?とも思います。
そしてなによりもいちばんに感銘するのはそうした話し方の根底にある浅田さんの「ヒューマニズム」とでもいうものです。
「話を聞く方々になんとか正確に、クリアに理解してもらいたい」という浅田さんの心情はまぎれもない「ヒューマニスト」のそれではなかろうか?と想像したりしますし浅田彰さんの話芸の魅力の最大の要素ではないか?と感じております。
あとはまぁ、浅田さんのメッセージを受けて今後自分がどう生きていくか?ということが大事なのかな?
はしょった妄言でどうもすみませんでした。 草々
まあ、大学にいても、ぜんぜんヒューマニストでもなんでもない人も大勢いますが(笑)。
浅田さんは、世代的には、もちろん単純なヒューマニストでもモダニストでもないと思いますが、「へたなポストモダニスト」「中途半端なニヒリスト」の限界はさすがに分かっていらして、あえてモダニスト、ヒューマニストの有効性に懸けているのではないかと、私なんかには感じられます。
それにしても「構造と力」を読了なさったというだけでも、すごいですね。私には「逃走論」がやっとです。