きっかけは、7日未明、左の彫刻について、次のようにTwitterでつぶやいたことだった。
それにしてもこの裸婦彫刻、かなりエロいな。彫刻だと芸術ってことで許されちゃうのかな。

このおかげで、左の画像を載せた2007年12月のエントリへのアクセスが急増した件については、すでに書いた。
作品は、日展や道展で活躍し「道展三羽がらす」のひとりともいわれた札幌の彫刻家、坂坦道の「悶」。
網走市美術館の前庭に設置されている。
坂の名前を知らなくても、札幌・羊ケ丘のクラーク博士像を知らない人はいないだろう。彼の代表作だ。
この彫刻にふと思いをいたしたのは、北見・温根湯温泉の大江本家にあった彫刻が谷口百馬のものではないかというエントリを書いたためだった。
「谷口百馬」でネット検索すると、当ブログの、この画像が載っているエントリ「網走の野外彫刻」がトップにくるのだ。
どうしてこの彫刻がエロティックだと感じるのか。
あくまで感覚の問題だから個人差はあるだろうが、筆者の目にはこの女性が、まだ少女であるように見えるからだと思う。小さな胸、くびれていない腰、むきだしの恥丘などに、未成熟さを感じるのだ。
さて、先のツイートに対し、神奈川県在住のある彫刻家の方から、次のような問題提起がなされた。
エロい絵画は山ほどあるのに、エロい彫刻はどうして少ないんでしょうか? 彫刻でエロさを出すのは、もの凄く難しいような気がしますが。
やはり「エロい彫刻」は少ないんだろうか? 「エロい絵画」は多いと思う。「エロい彫刻」は作るのが難しいのか? 彫刻家は「エロい」事を考えないものなのか。絵画と彫刻の本質的な違いに関わることなのか。
う~む。
先刻も書いたとおり、エロティックかそうでないかは非常に感覚的な問題で、定量化できるものではない。
ただ、「裸婦」という主題が、絵画にも彫刻にも多いことだけは確かであろう。
ついでに言えば、写真のグループ展などでも、裸婦をテーマとした作品は少なくない。そして、写真の場合、デフォルメとか抽象化という手続きが取られることはあまりないため、裸婦を撮った作品がエロティックである確率はかなり高い。
さらに、読者の性欲を喚起することを目的としている雑誌やウェブサイトでは、写真やビデオがおもな媒体として用いられることが多い(文章やイラストレーションもあるけれど)。
絵画というものを広義にとらえれば、大量に生産されている成人向け漫画なども含まれるから、「エロい絵画は多い」ということになるだろう。
しかし、そうなると、彫刻と数が違いすぎて、比較検討する意味があまりなくなってしまうような気がする。
絵画を、美術展に出品されたり、美術館やギャラリーに陳列されるものと、狭義にとらえれば、裸婦は多くとも、その大半はエロティックとはいえないのではないか。
まず、マティスやレジェのように造形至上でデフォルメされた裸婦はまったくエロくないし、写実的な画風でも、ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」やアングル「泉」などはあまりいやらしくない。いずれも、理想化の度合いが高いからかもしれない。
理想化といえば、古来つくられてきた裸婦の彫刻も、一見実物そのままのようでいて、じつは理想化を経ているので、それほどエロティシズムを感じさせないのだろう。
ところで、エロい彫刻って、ないものだろうか。
(長くなったので以下次項)
彫刻で不気味な方向に人間の姿をデフォルメしている作品は、あまり無いような気がしているのです。
やはり、それをやってしまうと、特に等身大の彫刻の場合は、余りにも気持ち悪くなってしまうせいでしょうか。
そのようなことから想像するに、あまりにエロい彫刻は、実在の人間っぽく見えるため、ピグマリオンコンプレックスを思わせたりして、
作りにくいのではないでしょうか。
まあ、良く分かりませんけど。
人物のデフォルメですが、たしかに日本では少ないですね。
でも海外にはヘンリー・ムア、ザッキンなど、けっこういます。
道内では、山田吉泰さんがいい作品を手がけていますよね。
続編を早く書かねば。