
きのう、2011年8月15日にアップした
「続き・RISING SUN ROCK FESTIVAL IN EZO 2011から帰る」
で、な~んか書き忘れてるなあと思っていて、アクセス解析を見ると、きのう一番多かった検索キーワードが祭太郎であった。
ライジングサン・ロックフェスティバルに行ったことがある人ならご存じだろうが、祭太郎は、サンステージ(SUN STAGE)とレッドスターフィールド(RED STAR FIELD)方面とを結ぶマーキュリーロード(Mercury Road)で、2003年から毎年、太鼓をたたきながら口上を述べつづけている。
上半身は裸、頭にはウサギの帽子のようなものをかぶっている。
2003年には、ほとんど誰も足を止めることなく通り過ぎていったものだが、次第に注目されるようになり、朝おこなっているラジオ体操は、RSRの風物詩となっている(と思う)。
2007年には、サンステージでの怒髪天のステージにも、みこしをかつぐひとりとして登場した。
ことしは、2日目(13日)の午後、RED STAR CAFEで行われた(公式スケジュールには載っていない)怒髪天のアコースティックライブに、客の一人として来ていた。
ライブ終了後、他のお客さんと記念写真の撮影に、気軽に応じていた。
筆者がMercury Roadを通りがかったときは、すでに声はかれてガラガラ。
いつものとおり「テンションチェーック!」とやっても、通行人は気づかない。
そして、いまの30代、40代ががんばってるライジングサンじゃだめなんだよ、10代、20代が、これから10年、20年、30年、40年、50年と続くライジングサンを盛り上げて行かなきゃ、わかったか、10代・20代! …と、集まった人々を挑発していた(「10代、20代!」といわれて「ハーイ」と応えるおバカな筆者。笑)。
続いて、平賀源内がつくったことで知られる「エレキテル」を取り出し、そこに集まっていた約30人が手をつないで、電流を流す実験を行った。
ビビビッという感じかと予想していたら、「ドクン、ドクン」という心音みたいな響きだった。
これは、昨年のYou Tubeの映像。
[RSR2010]祭太郎
祭太郎は、北都プロレスのリングアナウンサーなどの活動も行っている。
もうひとつの顔は、映像やインスタレーションを手がける現代美術のアーティスト。2008年には札幌のギャラリーで個展も開いている。
以下、蛇足だけど、祭太郎の嘆きには共感できる。
ライジングサン・ロックフェスティバルの聴衆は、初期から見るとやはり高齢化していることは否めない。
筆者のようなおじさんがだらだらと参加し続けていることも要因だが、当初はほとんど見かけることがなかった、筆者よりも上の世代が、ずいぶん会場で見かけられるようになった。
ことしは入場者数が相当少なかったらしい。
最大の理由は、似たような催しが全国的に増えたことだろう。道内でも、JOIN ALIVEが始まって、ミュージシャンの顔ぶれではライジングサンとまったく見劣りしない。
あと、これは筆者の推測だが、不況が長引き、若い世代がチケット代や旅費を払えないほど困窮しているのではないか。就職できずにアルバイトで生活している人にとって、ライジングサン・ロックフェスティバルに行くことはかなりの出費をともない「行ってみたいけど、ムリだよ! そんなカネはないよ」と感じられているのではないか。
祭太郎も30代半ばでそろそろトシによる疲れを感じ始めているのかもしれないが、まだまだ若いと思うので、がんばってください。
□祭の妖精 祭太郎でございます。http://ameblo.jp/maturi-taro/
■Mercury Road-ライジングサン・ロックフェスティバル2010写真特集
■祭太郎、ことしも声をからしてガンバル-ライジング・サン・ロックフェスティバル2009
■祭太郎個展「まつりたろうのお盆だよ! 全員集合」(2008年)
■祭太郎! RISING SUN ROCK FESTIVAL 2008
■ただ今石狩湾新港その3(2008年)
■ART! MEET! MART!(2007年)
■ライジングサン・ロックフェスティバル(2007年)
■2004年のRSR
「続き・RISING SUN ROCK FESTIVAL IN EZO 2011から帰る」
で、な~んか書き忘れてるなあと思っていて、アクセス解析を見ると、きのう一番多かった検索キーワードが祭太郎であった。
ライジングサン・ロックフェスティバルに行ったことがある人ならご存じだろうが、祭太郎は、サンステージ(SUN STAGE)とレッドスターフィールド(RED STAR FIELD)方面とを結ぶマーキュリーロード(Mercury Road)で、2003年から毎年、太鼓をたたきながら口上を述べつづけている。
上半身は裸、頭にはウサギの帽子のようなものをかぶっている。
2003年には、ほとんど誰も足を止めることなく通り過ぎていったものだが、次第に注目されるようになり、朝おこなっているラジオ体操は、RSRの風物詩となっている(と思う)。
2007年には、サンステージでの怒髪天のステージにも、みこしをかつぐひとりとして登場した。
ことしは、2日目(13日)の午後、RED STAR CAFEで行われた(公式スケジュールには載っていない)怒髪天のアコースティックライブに、客の一人として来ていた。
ライブ終了後、他のお客さんと記念写真の撮影に、気軽に応じていた。
筆者がMercury Roadを通りがかったときは、すでに声はかれてガラガラ。
いつものとおり「テンションチェーック!」とやっても、通行人は気づかない。
そして、いまの30代、40代ががんばってるライジングサンじゃだめなんだよ、10代、20代が、これから10年、20年、30年、40年、50年と続くライジングサンを盛り上げて行かなきゃ、わかったか、10代・20代! …と、集まった人々を挑発していた(「10代、20代!」といわれて「ハーイ」と応えるおバカな筆者。笑)。
続いて、平賀源内がつくったことで知られる「エレキテル」を取り出し、そこに集まっていた約30人が手をつないで、電流を流す実験を行った。
ビビビッという感じかと予想していたら、「ドクン、ドクン」という心音みたいな響きだった。
これは、昨年のYou Tubeの映像。
[RSR2010]祭太郎
祭太郎は、北都プロレスのリングアナウンサーなどの活動も行っている。
もうひとつの顔は、映像やインスタレーションを手がける現代美術のアーティスト。2008年には札幌のギャラリーで個展も開いている。
以下、蛇足だけど、祭太郎の嘆きには共感できる。
ライジングサン・ロックフェスティバルの聴衆は、初期から見るとやはり高齢化していることは否めない。
筆者のようなおじさんがだらだらと参加し続けていることも要因だが、当初はほとんど見かけることがなかった、筆者よりも上の世代が、ずいぶん会場で見かけられるようになった。
ことしは入場者数が相当少なかったらしい。
最大の理由は、似たような催しが全国的に増えたことだろう。道内でも、JOIN ALIVEが始まって、ミュージシャンの顔ぶれではライジングサンとまったく見劣りしない。
あと、これは筆者の推測だが、不況が長引き、若い世代がチケット代や旅費を払えないほど困窮しているのではないか。就職できずにアルバイトで生活している人にとって、ライジングサン・ロックフェスティバルに行くことはかなりの出費をともない「行ってみたいけど、ムリだよ! そんなカネはないよ」と感じられているのではないか。
祭太郎も30代半ばでそろそろトシによる疲れを感じ始めているのかもしれないが、まだまだ若いと思うので、がんばってください。
□祭の妖精 祭太郎でございます。http://ameblo.jp/maturi-taro/
■Mercury Road-ライジングサン・ロックフェスティバル2010写真特集
■祭太郎、ことしも声をからしてガンバル-ライジング・サン・ロックフェスティバル2009
■祭太郎個展「まつりたろうのお盆だよ! 全員集合」(2008年)
■祭太郎! RISING SUN ROCK FESTIVAL 2008
■ただ今石狩湾新港その3(2008年)
■ART! MEET! MART!(2007年)
■ライジングサン・ロックフェスティバル(2007年)
■2004年のRSR