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北海道美術ネット別館

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4月1日(日)のつぶやき その2

2012年04月02日 01時10分35秒 | 未分類・Twitterまとめ他
22:38 from Tweet Button  [ 1 RT ]
blog北海道美術ネット別館、きょう2本目の更新です。■天勝陶房 陶展(2012年3月28日~4月3日、北見) blog.goo.ne.jp/h-art_2005/e/9…

23:01 from mixi ボイス
あすの最低気温、氷点下10度らしい。四月だぜ、四月。今年の春はやる気がないなあ。

23:08 from desktopxevo
ところで、非常に難儀しながら読んでいたちくま学芸文庫の「メルロ・ポンティ・コレクション」であるが、後半の「プロレタリアから人民委員へ」にいたってようやく並みの速度で読むことができるようになった。やはり、現象学的な文よりマルキシズム的文章の方が読みやすい。

23:18 from fightersdenight
この「プロレタリアから人民戦線へ」に引用されるレーニンやトロツキーらの暴力容認の意見にはどうしても賛同できない。自分も若い頃は、正義の目的なら多少の乱暴は許されると思っていた。しかし、今は断言できる、「目的が手段を正当化するという考えこそが、全ての退廃の原因だ」と。

23:23 from ついっぷる/twipple
ただし、「プロレタリアから人民委員へ」では、主語は「私」ではなく一貫して「マルクス主義者は」となっており、果たしてメルロ=ポンティ自身がどれほどマルクス主義に肩入れしていたのかは、この文章からだけでは判断しにくい。

23:26 from web
で、メルロ=ポンティのこの小論にあっては、プロレタリアの普遍性というのがカギなんだろうな。「プロレタリアとともに歴史は田舎気質や排外主義の特殊性を超越し、「ついに地方的な人間の代わりに、普遍的な歴史、経験的な歴史へと進みゆく個人を生み出す」」。(続く)

23:29 from Janetter
(承前)明らかにプロレタリアが、この世界精神そのものである。(メルロ=ポンティ「プロレタリアから人民委員へ」)。ここでいう「普遍性」というのは、近年の「グローバリズム(世界市場)」とほとんど同義ではないのか。

23:37 RT from Janetter (Re: @akira_yanai
@akira_yanai ソ連崩壊時に「歴史の終わり」と言われたわけですが、グローバリゼーションは「歴史の終わりの後の大きな物語」ではないか、と。であれば、共産主義の弁証法的な歴史観が目指すところのものは、皮肉にもグローバリゼーションという形で実現したのか、とか。
マシ岡さんのツイート

23:42 from twitbeam[ツイットビーム] (Re: @snakelust
@snakelust なるほど、面白い見方ですね。ただ、マルクスは、世界市場で生きるのがプロレタリアであるから、彼らは疎外されていると論じたのだと思います。人間が自分の歴史を支配すべきだと訴えたのがマルクスだった。その意味では、歴史は全く終わっていません。

by akira_yanai on Twitter

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