
(承前)
オホーツク管内斜里町にある「北のアルプ美術館」は、山の文芸誌「アルプ」(1959~83)の精神を後世に伝えようと、斜里ゆかりの写真家山崎猛さんが1992年に設立したのですが、「アルプ」についてまったく知らない人でも心が豊かになるひとときを過ごせる施設です。
山崎猛館長はことし5月に死去しましたが、遺志を継ぐ人がいて、いまも無料で公開されています。
もとは企業の社員寮だった建物で、それほど大きくはありませんが、地方の小さな美術館によくある、「館主の意向が隅々まで行き届き、愛情の感じられる、訪ねて心地よい施設」になっているといえましょう。
ひとつだけ指摘しておくとすれば、昔の大学生にとって山登りは昨今よりもはるかに身近なレジャーでした。
戦前の岩波文庫を手に取ると、巻末の出版書目一覧に「登山」だか「山岳」という、戦後にはない項目があって驚かされます(本が手元になくて、不正確ですみません)。逆にいえば「ドイツ文学」「仏教」などの項目は戦後に引き継がれましたが、登山のカテゴリーだけは岩波文庫には残りませんでした。
今と違ってテレビもネットもなく娯楽そのものが少ない時代だったからかもしれません。
展示されているのは、雑誌「アルプ」の執筆者・寄稿者のものが中心です。
山男を描く素朴な木版画で知られる畦地梅太郎をはじめ、西常雄の肖像彫刻、草野心平の書などです。
また斜里関連で、二科展の長老である田中良の絵画や、かつて斜里にアトリエがあった二部黎の彫刻なども展示されています。
一原有徳も10点陳列されていました。戦後の版画界に異彩を放った小樽在住の奇才は、道内の多くの山を制覇した登山家でもありました。
坂本直行のスケッチブック、詩人・尾崎喜八の自筆原稿。珍しいものでは、岩手に疎開していた高村光太郎が所蔵し弾いていたらしいオルガンが廊下に置かれていました。
ひととおり展示を見て、1階に戻ると、館の女性がお茶を入れてくれました。
それを飲んで、東京から移設・復元された串田孫一の書斎をガラス越しに見ました。廊下の奥には、串田宅の居間も復元され、中には入れませんが、音楽関係の書物が並び、テーブルハープとストーブが鎮座しているのが眺められました。
ふと、上を見ると、扉の上方に小さな、横顔を彫ったレリーフがかかっています。「H.TAKADA」のサイン。高田博厚でしょうか。
廊下には「アルプ」を創刊した串田の年譜などが展示され、いくつかのバックナンバーは手にとって読むこともできます。
薄い雑誌をぱらぱらとめくりながら、これはなんていい人生なんだろうと思わざるを得ませんでした。
串田は小説家ではありません。肩書でいえば、哲学者・随筆家です。
東大哲学科に学んだと聞けばすごいと感じますが、彼が入学した年は定員割れで無試験だったとか。
そして、山に登ってそれを随筆につづり、フランス語を大学で教え、FMラジオに出て好きなクラシック音楽を紹介する…。
そんなことで生計をたてていけるとは。
「うらやましい」のひとことに尽きます。
万巻の書物をひもとくだけではなく、自然という書物を読み、友と語らう。
その生き方が、串田孫一という人の「深み」につながっているのだろうなあと思いました。
□ http://www.alp-museum.org/
□ツイッター @alp_museum
■北のアルプ美術館 (2012年の訪問記)
・知床斜里駅から約1.4キロ、徒歩18分
オホーツク管内斜里町にある「北のアルプ美術館」は、山の文芸誌「アルプ」(1959~83)の精神を後世に伝えようと、斜里ゆかりの写真家山崎猛さんが1992年に設立したのですが、「アルプ」についてまったく知らない人でも心が豊かになるひとときを過ごせる施設です。
山崎猛館長はことし5月に死去しましたが、遺志を継ぐ人がいて、いまも無料で公開されています。
もとは企業の社員寮だった建物で、それほど大きくはありませんが、地方の小さな美術館によくある、「館主の意向が隅々まで行き届き、愛情の感じられる、訪ねて心地よい施設」になっているといえましょう。
ひとつだけ指摘しておくとすれば、昔の大学生にとって山登りは昨今よりもはるかに身近なレジャーでした。
戦前の岩波文庫を手に取ると、巻末の出版書目一覧に「登山」だか「山岳」という、戦後にはない項目があって驚かされます(本が手元になくて、不正確ですみません)。逆にいえば「ドイツ文学」「仏教」などの項目は戦後に引き継がれましたが、登山のカテゴリーだけは岩波文庫には残りませんでした。
今と違ってテレビもネットもなく娯楽そのものが少ない時代だったからかもしれません。
展示されているのは、雑誌「アルプ」の執筆者・寄稿者のものが中心です。
山男を描く素朴な木版画で知られる畦地梅太郎をはじめ、西常雄の肖像彫刻、草野心平の書などです。
また斜里関連で、二科展の長老である田中良の絵画や、かつて斜里にアトリエがあった二部黎の彫刻なども展示されています。
一原有徳も10点陳列されていました。戦後の版画界に異彩を放った小樽在住の奇才は、道内の多くの山を制覇した登山家でもありました。
坂本直行のスケッチブック、詩人・尾崎喜八の自筆原稿。珍しいものでは、岩手に疎開していた高村光太郎が所蔵し弾いていたらしいオルガンが廊下に置かれていました。
ひととおり展示を見て、1階に戻ると、館の女性がお茶を入れてくれました。
それを飲んで、東京から移設・復元された串田孫一の書斎をガラス越しに見ました。廊下の奥には、串田宅の居間も復元され、中には入れませんが、音楽関係の書物が並び、テーブルハープとストーブが鎮座しているのが眺められました。
ふと、上を見ると、扉の上方に小さな、横顔を彫ったレリーフがかかっています。「H.TAKADA」のサイン。高田博厚でしょうか。
廊下には「アルプ」を創刊した串田の年譜などが展示され、いくつかのバックナンバーは手にとって読むこともできます。
薄い雑誌をぱらぱらとめくりながら、これはなんていい人生なんだろうと思わざるを得ませんでした。
串田は小説家ではありません。肩書でいえば、哲学者・随筆家です。
東大哲学科に学んだと聞けばすごいと感じますが、彼が入学した年は定員割れで無試験だったとか。
そして、山に登ってそれを随筆につづり、フランス語を大学で教え、FMラジオに出て好きなクラシック音楽を紹介する…。
そんなことで生計をたてていけるとは。
「うらやましい」のひとことに尽きます。
万巻の書物をひもとくだけではなく、自然という書物を読み、友と語らう。
その生き方が、串田孫一という人の「深み」につながっているのだろうなあと思いました。
□ http://www.alp-museum.org/
□ツイッター @alp_museum
■北のアルプ美術館 (2012年の訪問記)
・知床斜里駅から約1.4キロ、徒歩18分
(この項続く)