
「七月展」は道教育大の美術教育の課程が札幌校にあった時代から、学生が自主的に、札幌市民ギャラリーで開いている、伝統ある展覧会である。
日程の都合で名前は七月なのに、8月開催になったこともあるが、毎年開かれており、筆者も札幌にいるときはだいたい足を運んでいる。
なんだかんだいっても道教育大は、道内で活動する美術家を一番たくさん輩出してきた学校であり、毎年2月の卒展と並んで「若手の見応えある展覧会」の最右翼であることは間違いない。
にもかかわらず、過去のブログやサイトを見ると、われながら驚くほど、この展覧会についてきちんと紹介した文章を書いていないのである。
なぜか。
あくまで教育大は教員養成のための学校であり、七月展に良い作品を出している人が卒業後も作家活動を続けるとは限らない。
「カタギ」というとおかしいけれど、制作から足を洗ってふつうの社会人になった人が、ネット検索で過去の作品を明るみに出されてしまう、そのお手伝いを自分がするというのも、あまり気が進まない。
大人になって自分の責任で自作を発表するのと、学生が学校の展覧会で作品を並べるのとは、ちょっと事情が異なると思うのである。
とはいえ黙殺してしまうのは惜しい展覧会なので、筆者の目から見て、今後も制作を長く続けていきそうに見える人の作品について、ここで紹介することにした(むちゃくちゃアバウトかつ主観的な基準で申し訳ない)。
まず油彩画研究室の院生2人については、今後の北海道の絵画界で活動していくことはほぼたしかだと思われる。
中村まり子「午睡」「ひみつの木」
赤ちゃんが浮遊する、もこもこした幻想的な世界はあいかわらず独創的。
よく見ると、赤ん坊が花の中に上半身を吸い込まれていたり、肉の塊みたいなものが巨大な植物からつり下がっていたり、残酷な世界かもしれないと思うのだが、淡いパステルカラーでまとめているだけに、残酷性はほとんど感じられない。
2枚目の画像。津田光太郎「障子は開いている」
今年2月の「2017年度 北海道教育大学岩見沢校 修了・卒業制作展」でも発表していた大作。
あらためて見て気づいたのだが、津田さんの絵は、見事なまでに時代を反映していない。
諷刺的な要素はないし、流行している物事も描かれていない。といって、古色蒼然としたモチーフばかりを画面に配しているわけでもない。
なまじ新しいものは、すぐに古くなる。それをわかった上での作戦なのだろうが…。
以降は学部生。作者からの削除要請があればすぐに応じます。
3枚目の画像。
左は秋本結以「物付き合い」。
筆者自身は画家でも美術家でもないので、工房やアトリエの中を描いた絵にはべつだん共感を抱かないのだが、この絵の工具棚は、ローラーやタコのおもちゃ、2個の置き時計などが並んで、いったい何を作っているのかさっぱりわからないのが、おもしろかった。
描法は写実的でしっかりしている。
右は清水優希「clear」。
モノトーンだとかえって会場で目立つという好例。
女性の脚がなまめかしい。背景とモティーフの割合もちょうどいい。

4枚目の画像。
佐藤絵梨香「パキラ」「クロトン」。
油彩ではあるが、札幌の水彩画家斎藤由美子さんを思わせる画風。低い目線でとらえた、繁茂する植物を写実的に描いている。単に写実的だというだけなく、フラットな光の調子や、中心のない構図など、共通するものを感じさせる。
題はいずれも観葉植物の名だが、筆者は園芸に暗いので、画面の植物のどれかどれなのか、わからない。

5枚目の画像。
非常に写実的な絵が並ぶ。
左端は吉田小夜子「愛おしい」
モノトーンだが、油彩。北海道新聞7月6日夕刊、札幌圏版の記事によれば、吉田さんは総務長で、この犬は愛犬とのこと。
右の2枚は冨田真之介「苔清水湧きしたたり、日の光透きしたたり」「花に嵐のたとえ」
水面に浮かぶ桜の花びらや、地面に散り敷いた落ち葉の描写は、2年生とは思えないほど。若くして、こんなに無常の世界でいいのかなどと、よけいなことを考えてしまった。
このほか、おもしろかった作品。
杉田史織「思考する朝」
油彩。
バルコニーにつながった風呂場で髪を洗う人物。写実的な筆致で、物語性を感じさせる構図。
福嶋薫「無題」
絵画。
支持体にベニヤ板を用い、染料や水彩を染み込ませた。布に染み込ませるのとは違った独特の色合い。
同「BULE」
映像。
花火を手にした3人が手前から向こう側に歩いて行く場面が印象的。若さが感じられる映像。
山田大揮「Comes and goes」
インスタレーション。
天井から床置きの容器まで水が循環し、容器の上の台に載せたメトロノームが音を刻む。
橘雅也「UNCONSCIOUS」
白い筐体に、映像を流すモニターが組み込まれ、その手前に塩化ビニール製パイプで檻のような仕切りが作られている。映像には、顔にモザイク処理をかけられた男女が、こちらをのぞき込んだり、スマートフォンやカメラで撮影したりしている。見ていると、こちらがむしろ檻の中で、不作法かつ無断で写真を撮られているような気分になって、だんだん不快感が募る。
「見る」ことと「見られる」ことの関係を考えさせる、すぐれた作品。
上遠野舞「雨の公園」
Chaton on the Note というバンドのMusic Video。
主人公の女の子の動きが良い。
彼女の部屋の白い壁に映像を投影している場面が好き。
山田香凛「世界を待つ白昼夢」
映像。
虫や猫など、あまり脈絡のない映像をつないでいるけど、低い目線が印象的。
最後に、稲辺みのり「私の庭」。
穴ぼこだらけの世界。
真ん中の寝台でひとり寝ていて、天からつながったイヤホンを耳につないで涙を流している。その下には、ラブレターらしき手紙がいっぱいで、くまのぬいぐるみやポテチの袋が散らばっている。
穴ぼこの淵を歩くアリ。
世界の端っこで釣り糸を垂れる少女。
巨大な彗星と、イチゴのような土星が浮かぶ空。
大きな一つ目からしたたり落ちる涙と、それがたまってできる赤い池。
遠く見える白い連山。
ポップで明るい色調の裏側に折りたたまれた、この孤絶感はすごい。
かきこみが細かければ細かいほど、切なさが伝わってくるようだ。
なお、題名に「ザワ」という語を入れている人がときどきいて、たぶん「岩見沢」のことだと思うんだけど、一般の人には通じないんじゃないかなあ。
2018年7月4日(水)~8日(日)午前10時~午後6時(最終日~4時)
札幌市民ギャラリー(中央区南2東6)
■北海道教育大学札幌校美術科 七月展(2006)
■七月展 (2002、画像なし)
・地下鉄東西線「バスセンター前駅」から約200メートル、徒歩3分
・ジェイアール北海道バス、中央バス「サッポロファクトリー前」から約520メートル、徒歩7分(札幌駅バスターミナル、時計台前などから現金のみ100円)
・中央バス「豊平橋」から約860メートル、徒歩11分
※周辺にコインパーキングあり
日程の都合で名前は七月なのに、8月開催になったこともあるが、毎年開かれており、筆者も札幌にいるときはだいたい足を運んでいる。
なんだかんだいっても道教育大は、道内で活動する美術家を一番たくさん輩出してきた学校であり、毎年2月の卒展と並んで「若手の見応えある展覧会」の最右翼であることは間違いない。
にもかかわらず、過去のブログやサイトを見ると、われながら驚くほど、この展覧会についてきちんと紹介した文章を書いていないのである。
なぜか。
あくまで教育大は教員養成のための学校であり、七月展に良い作品を出している人が卒業後も作家活動を続けるとは限らない。
「カタギ」というとおかしいけれど、制作から足を洗ってふつうの社会人になった人が、ネット検索で過去の作品を明るみに出されてしまう、そのお手伝いを自分がするというのも、あまり気が進まない。
大人になって自分の責任で自作を発表するのと、学生が学校の展覧会で作品を並べるのとは、ちょっと事情が異なると思うのである。
とはいえ黙殺してしまうのは惜しい展覧会なので、筆者の目から見て、今後も制作を長く続けていきそうに見える人の作品について、ここで紹介することにした(むちゃくちゃアバウトかつ主観的な基準で申し訳ない)。

中村まり子「午睡」「ひみつの木」
赤ちゃんが浮遊する、もこもこした幻想的な世界はあいかわらず独創的。
よく見ると、赤ん坊が花の中に上半身を吸い込まれていたり、肉の塊みたいなものが巨大な植物からつり下がっていたり、残酷な世界かもしれないと思うのだが、淡いパステルカラーでまとめているだけに、残酷性はほとんど感じられない。

今年2月の「2017年度 北海道教育大学岩見沢校 修了・卒業制作展」でも発表していた大作。
あらためて見て気づいたのだが、津田さんの絵は、見事なまでに時代を反映していない。
諷刺的な要素はないし、流行している物事も描かれていない。といって、古色蒼然としたモチーフばかりを画面に配しているわけでもない。
なまじ新しいものは、すぐに古くなる。それをわかった上での作戦なのだろうが…。

3枚目の画像。
左は秋本結以「物付き合い」。
筆者自身は画家でも美術家でもないので、工房やアトリエの中を描いた絵にはべつだん共感を抱かないのだが、この絵の工具棚は、ローラーやタコのおもちゃ、2個の置き時計などが並んで、いったい何を作っているのかさっぱりわからないのが、おもしろかった。
描法は写実的でしっかりしている。
右は清水優希「clear」。
モノトーンだとかえって会場で目立つという好例。
女性の脚がなまめかしい。背景とモティーフの割合もちょうどいい。

4枚目の画像。
佐藤絵梨香「パキラ」「クロトン」。
油彩ではあるが、札幌の水彩画家斎藤由美子さんを思わせる画風。低い目線でとらえた、繁茂する植物を写実的に描いている。単に写実的だというだけなく、フラットな光の調子や、中心のない構図など、共通するものを感じさせる。
題はいずれも観葉植物の名だが、筆者は園芸に暗いので、画面の植物のどれかどれなのか、わからない。

5枚目の画像。
非常に写実的な絵が並ぶ。
左端は吉田小夜子「愛おしい」
モノトーンだが、油彩。北海道新聞7月6日夕刊、札幌圏版の記事によれば、吉田さんは総務長で、この犬は愛犬とのこと。
右の2枚は冨田真之介「苔清水湧きしたたり、日の光透きしたたり」「花に嵐のたとえ」
水面に浮かぶ桜の花びらや、地面に散り敷いた落ち葉の描写は、2年生とは思えないほど。若くして、こんなに無常の世界でいいのかなどと、よけいなことを考えてしまった。
このほか、おもしろかった作品。
杉田史織「思考する朝」
油彩。
バルコニーにつながった風呂場で髪を洗う人物。写実的な筆致で、物語性を感じさせる構図。
福嶋薫「無題」
絵画。
支持体にベニヤ板を用い、染料や水彩を染み込ませた。布に染み込ませるのとは違った独特の色合い。
同「BULE」
映像。
花火を手にした3人が手前から向こう側に歩いて行く場面が印象的。若さが感じられる映像。
山田大揮「Comes and goes」
インスタレーション。
天井から床置きの容器まで水が循環し、容器の上の台に載せたメトロノームが音を刻む。
橘雅也「UNCONSCIOUS」
白い筐体に、映像を流すモニターが組み込まれ、その手前に塩化ビニール製パイプで檻のような仕切りが作られている。映像には、顔にモザイク処理をかけられた男女が、こちらをのぞき込んだり、スマートフォンやカメラで撮影したりしている。見ていると、こちらがむしろ檻の中で、不作法かつ無断で写真を撮られているような気分になって、だんだん不快感が募る。
「見る」ことと「見られる」ことの関係を考えさせる、すぐれた作品。
上遠野舞「雨の公園」
Chaton on the Note というバンドのMusic Video。
主人公の女の子の動きが良い。
彼女の部屋の白い壁に映像を投影している場面が好き。
山田香凛「世界を待つ白昼夢」
映像。
虫や猫など、あまり脈絡のない映像をつないでいるけど、低い目線が印象的。

穴ぼこだらけの世界。
真ん中の寝台でひとり寝ていて、天からつながったイヤホンを耳につないで涙を流している。その下には、ラブレターらしき手紙がいっぱいで、くまのぬいぐるみやポテチの袋が散らばっている。
穴ぼこの淵を歩くアリ。
世界の端っこで釣り糸を垂れる少女。
巨大な彗星と、イチゴのような土星が浮かぶ空。
大きな一つ目からしたたり落ちる涙と、それがたまってできる赤い池。
遠く見える白い連山。
ポップで明るい色調の裏側に折りたたまれた、この孤絶感はすごい。
かきこみが細かければ細かいほど、切なさが伝わってくるようだ。
なお、題名に「ザワ」という語を入れている人がときどきいて、たぶん「岩見沢」のことだと思うんだけど、一般の人には通じないんじゃないかなあ。
2018年7月4日(水)~8日(日)午前10時~午後6時(最終日~4時)
札幌市民ギャラリー(中央区南2東6)
■北海道教育大学札幌校美術科 七月展(2006)
■七月展 (2002、画像なし)
・地下鉄東西線「バスセンター前駅」から約200メートル、徒歩3分
・ジェイアール北海道バス、中央バス「サッポロファクトリー前」から約520メートル、徒歩7分(札幌駅バスターミナル、時計台前などから現金のみ100円)
・中央バス「豊平橋」から約860メートル、徒歩11分
※周辺にコインパーキングあり