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北海道美術ネット別館

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終末観の正体を考えてみた

2020年06月11日 08時56分56秒 | 新型コロナウイルス
(「この終末感はなんだろう。」の続き)

 終末観でも終末感でもいいけれど、筆者を暗い気持ちにさせる、相互にあまり関連性のない三つの要因について述べてみたい。
 アートとは直接関係ないです。

(冒頭画像は文章と関係ありません。また、ほんとうは 1→ 2 → 3 の順で読んだ方がいいと思うのですが、いちばん読んでもらいたいのは「3」なので、逆にしてみました)



 1. 大政党は割れない
 2. 新自由主義は修正できるか
 3. 将来が決まっていることの自由さ



3. 将来が決まっていることの自由さ


 人間は自由を欲する生き物である。
 誰かの手によって自分の未来が勝手に決められていたら、反発するだろう。

 ただし、長い歴史のなかでは、職業や身分などはあらかじめ決められていた時代が長いということもまた事実である。「女性だから」という理由で阻まれていた可能性も大きい。

 しかし、未来がある程度決まっていると、安心できる人がいるようなのだ。

 1970年代まで強い影響力を持っていたマルクス主義の歴史観によると、資本主義的生産様式の時代の次には、共産主義社会が来るという図式になっている。
 ここで、問題になるのは
「マルクスの予言が真実だとしたら、どうして自由や労働者の利益のために闘うの? 頑張らなくても労働者が主人公の未来が来るんでしょ?」
というツッコミである。
 これに対し、マルクスの盟友であるエンゲルスは
「必然性を認識すること。それが、真の自由である」
と述べている。
 これを読んだとき
「カッコイイ」
と思ったのだが、あらためて考えると、なんだかわかったようでよくわからないのも確かである。

 将来はビンボー人(労働者)の天下になるといわれれば、悪い気はしない。
 そのうち、マルクス主義は衰え、労働者はさまざまに分断された。マルクスの予言にかわって日本の若い人の意識をしばったのは、ノストラダムスの予言である。

 1999年になった。
 けっきょく地球は滅亡しなかった。

 わたしたちは、予言の呪縛から解き放たれ、自由になったはずだ。

 しかし、ほんとうに自由になったのだろうか。

 わたしたちは、未来をある程度決められないと、指針がまったくない状態で、かえって不安を抱くのではないだろうか。



2. 新自由主義は修正できるか


 新型コロナウイルスの感染拡大にともない、日本でPCR検査が広まらず、医療崩壊を防げたことの裏返しとして、そもそも医療機関に余力がとぼしかったことが明らかになってきた。
 日本の新型コロナウイルスの死者が欧米と比べて少ないことを誇る向きもあるが、全体的に東アジア・東南アジアなどは死者が少なく、この地域で、人口比で死者数を比較すると日本はフィリピンの次に多い。ベトナムはいまだゼロだ。台湾などにくらべても日本が「よくやっている」とはとうてい言いがたいのが現状だ。

 日本は戦後、保健所などを縮小してきた。
 衛生観念にとぼしく疫痢やしょうこう熱が蔓延していた戦争直後よりも、保健行政にたずさわる人が減るのはやむを得ない部分はある。
 しかし
「カネにならない部分はムダだから削れ」
「公務員が多いから民間にやってもらおう」
という流れでは、疫病がはやらず災害が起きなければなんとかやっていけても、こういう事態になれば、なかなか困難だということは、ようやく人々のあいだに浸透してきたように感じる。

 ところで、1980年代以降の世界で新自由主義的な動きが目立ってきたのには、わけがある。

 逆に、どうして1980年以前には、新自由主義的というか原始的な資本主義的経済への回帰が置きづらかったのかを考えるとわかるかもしれない。

 1920~70年代には、現実に社会主義国家が存在していたし、欧洲や日本でも社会主義政党の力が今よりも強かった。
 会社経営者たちには、社会主義化への恐れがあった。労働者を貧乏なままに放置しておくと、過激化し、革命が起きかねない。それを防ぐためには、労働者の要求をいくらかは聞き入れる必要があったわけだ。

 80年代以降、旧ソビエトが崩壊し東欧が民主化して、革命は現実問題として遠ざかった。
 労働者は少しずつ切り崩されていった。
 経営者たちは、恐れることなく、自らの利潤確保にいそしむことができるようになったのだ。

 その結果が、現在のすさまじい貧富の格差ではないのだろうか。




1. 大政党は割れない


 いまの政府がいくらなんでもひどいという見方はようやく広がってきた。
 政府のひどさがこの文章のテーマではないので詳細は別の文章にまわすが、要するに
「公私の別という観念がない」
「公文書を廃棄する」
「国会審議をないがしろにする」
「新型コロナウイルスの感染拡大対策が遅すぎる」
といったところだろう(ほかにもたくさんあるけれど)。
 「自民党の良識派や反・安倍派は、党を割れ!」
という威勢の良い声も聞こえてくるが、話はそんなにかんたんではないというのが、この章の主題である。

 日本は1955年以後、大半の期間で自由民主党(自民党)が政権の座にあったが、批判が強まるたびに、党総裁(ほとんどの場合、首相になる)の首をかえるとともに、自民党を飛び出していくグループという現象が繰り返されてきた。
 1976年の河野洋平(いまの防衛相の父親)が代表を務めた「新自由クラブ」しかり、93年の「新党さきがけ」しかりである。
 総じて言えることは、けっきょく自民党に戻ったり、他党に吸収されたりして、自民党自体の屋台骨を揺るがすことは一度もなかったということだ。

 この事情は保守側だけでなく、社会党側も同様である。
 1960年、日米安保条約改定問題をめぐって社会党から分裂し、結成された民社党は、衆参あわせて57人の議員がいたが、その後は当時の勢力を上回ることは一度もなかった。
 77年には社会市民連合(のちの社会民主連合=社民連)が分裂した。

 けっきょく「子」が「親」を上回ったのは、社会党→ 社民党を離れてのちに民主党に参集した若手たちの例だけだということができる。
 それほどまでに
「大政党のブランドは強い」
ということになる。

 すでに多くの人が指摘しているが、ゼロ年代までの自民党は、安倍政権とはかなり異なる政党であった。
 新たな首相は就任会見で
「現政権では憲法は変えない」
と明言するのが常であったし、野党の反対が強い法案は継続審議にしていったんひっこめたりする知恵はもっていたのだ。

 筆者は、きたるべき全体主義は、新興のポピュリズム政党の手によってもたらされると考えていた。
 まさか、しにせデパートが、看板をかけ替えることなくすっかり変質してしまうとは、予想していなかったのだ。


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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (takakohanayuzuki)
2020-06-11 23:36:35
ツ。
思わず考えてしまいました(笑)
つきが上がる!
いい事がある兆しではないですか!
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