
(※2012年9月註:4年前に途中まで書いて、その後放棄していた、WAVE NOW '08の紹介テキストです。2012年のWAVE NOWが開かれるにあたり、不完全ではありますが、アップしたいと思います。作家の皆さまにはご迷惑をおかけしたことをおわびいたします。
なお、いーとあーとブログによれば、当時の出品作家は、阿部典英、林亨、菅野充造、加藤健二、浅野 修、伊藤彰規、故 米谷雄平の各氏)
首都圏在住の道内作家と、道内在住作家が、隔年で、銀座と札幌でひらいているグループ展。
40年ちかくにわたって道内美術界を引っ張ってきた顔ぶれが集まったとあって、注目されたが、その後メンバーの脱退や死去などで、出品者はかなり入れ替わっている。
冒頭の画像は、今回から加わった林亨さんの「心を浮かべて」。
林さんは、自らがことしまで代表を務めていたグループ「絵画の場合」の展覧会や、個展などでは、発表する作品は、飛沫を散らした「眼を閉じて」と決まっていた。この十年あまり、それ以外の題の作品を見たことがなかったので、この“変貌”にはいささかおどろいた。
作品は、中央の矩形と、浮かぶ雲のような部分とからなり、「雲」は、矩形の中に2つ、矩形のへりに7つ、外側に3つ、それぞれ配されている。
平面性を追求して行き着くところまで行った感のあるフォルマリズムの後の段階にあってなお、平面(≒絵画)でありつつも奥行き感を表現するという、アンビバレンツで困難な道を歩もうとしていた林さんにとっての、新たな旅立ちといえるかもしれない。
なお、「眼を閉じて」といっさい共通点のなさそうなこの作品だが、じつは、墨を用いているというところが同じである。東洋的な要素を盛り込むことで、西洋絵画の閉塞の止揚を試みる画家の姿勢には、良い意味での執拗さを感ずる。

その林作品と向かい合うように設置されているのが、浅野修「○(円)」だ。
筆者は道立帯広美術館での制作を見ていないので、あまり浅野さんの作品について述べることはできないが、単なる東洋的な趣味を超えた何ものかを追究しようとしていることは、こちらに強く伝わってくる。

手前は阿部典英さん
(2012年9月註。テキストはここで終わっています)
08年9月9日(火)-14日(日)10:00-18:00
コンチネンタルギャラリー(中央区南1西11 コンチネンタルビル地下)
■2006年
■2002年
なお、いーとあーとブログによれば、当時の出品作家は、阿部典英、林亨、菅野充造、加藤健二、浅野 修、伊藤彰規、故 米谷雄平の各氏)
首都圏在住の道内作家と、道内在住作家が、隔年で、銀座と札幌でひらいているグループ展。
40年ちかくにわたって道内美術界を引っ張ってきた顔ぶれが集まったとあって、注目されたが、その後メンバーの脱退や死去などで、出品者はかなり入れ替わっている。
冒頭の画像は、今回から加わった林亨さんの「心を浮かべて」。
林さんは、自らがことしまで代表を務めていたグループ「絵画の場合」の展覧会や、個展などでは、発表する作品は、飛沫を散らした「眼を閉じて」と決まっていた。この十年あまり、それ以外の題の作品を見たことがなかったので、この“変貌”にはいささかおどろいた。
作品は、中央の矩形と、浮かぶ雲のような部分とからなり、「雲」は、矩形の中に2つ、矩形のへりに7つ、外側に3つ、それぞれ配されている。
平面性を追求して行き着くところまで行った感のあるフォルマリズムの後の段階にあってなお、平面(≒絵画)でありつつも奥行き感を表現するという、アンビバレンツで困難な道を歩もうとしていた林さんにとっての、新たな旅立ちといえるかもしれない。
なお、「眼を閉じて」といっさい共通点のなさそうなこの作品だが、じつは、墨を用いているというところが同じである。東洋的な要素を盛り込むことで、西洋絵画の閉塞の止揚を試みる画家の姿勢には、良い意味での執拗さを感ずる。

その林作品と向かい合うように設置されているのが、浅野修「○(円)」だ。
筆者は道立帯広美術館での制作を見ていないので、あまり浅野さんの作品について述べることはできないが、単なる東洋的な趣味を超えた何ものかを追究しようとしていることは、こちらに強く伝わってくる。

手前は阿部典英さん
(2012年9月註。テキストはここで終わっています)
08年9月9日(火)-14日(日)10:00-18:00
コンチネンタルギャラリー(中央区南1西11 コンチネンタルビル地下)
■2006年
■2002年