
(承前)
ところで、前項でも書いたとおり、この展覧会は、写真撮影完全オッケーである。
これは、作者の村上隆氏が
「写真やネットでは、作品の真価はわかるまい」
と思っているからではないだろうか。
冒頭の画像を見るとわかるとおり、とにかく大きいのだ。
「大きさ」も大事な属性であることを自覚したのは、おそらくニューマンやロスコら抽象表現主義の画家をもって嚆矢とするだろうが、今回の村上隆についても「大きさ」は重要だ。
このスケール感、一度に全体像をとらえることがほとんど不可能な巨大さは、ネットで体感することはできない。
この巨大さが、作品に記念碑的な性質を付与しているのだと思う。







以上、図録がまだないのに、メモを取り忘れたので、個々の羅漢が誰で、という説明ができない。

最後に、これを見ると、村上さんって、おっかない人なんだなって思った。
目下の人間をきちんとしかる、ということは、けっこう難しいし、エネルギーのいること。
若いうちにきちんとしかられておかないと、30代以上になったときに困ると思う。
ちなみに、筆者の悩み事? のひとつは、40代以上の部下をあまり真剣に叱責できないこと。もういい年なんだから、基本的なことは、いちいち言わなくても、自分で気づいて改善してくれよ―と思う。
話がそれた。
2015年暮れのあわただしい東京行きの記事はこれでおしまい。
近年のヤナイは、シリーズものを仕上げず放置していることが多いので、今回は比較的短いシリーズとはいえ、ほっとしています。
東京2015-2(1) 護国寺駅まで
東京2015-2(2) 護国寺駅から高田老松町(目白台)まで
東京2015-2(3) 春画展 (2015年9月19日~12月23日)
東京2015-2(4)
東京2015-2(5) Re: play 1972/2015―「映像表現 '72」展、再演
東京2015-2(6) MOMATコレクション
東京2015-2(7) 藤田嗣治を見て
東京2015-2(8)
東京2015-2(9) 村上隆の五百羅漢図展
ところで、前項でも書いたとおり、この展覧会は、写真撮影完全オッケーである。
これは、作者の村上隆氏が
「写真やネットでは、作品の真価はわかるまい」
と思っているからではないだろうか。
冒頭の画像を見るとわかるとおり、とにかく大きいのだ。
「大きさ」も大事な属性であることを自覚したのは、おそらくニューマンやロスコら抽象表現主義の画家をもって嚆矢とするだろうが、今回の村上隆についても「大きさ」は重要だ。
このスケール感、一度に全体像をとらえることがほとんど不可能な巨大さは、ネットで体感することはできない。
この巨大さが、作品に記念碑的な性質を付与しているのだと思う。







以上、図録がまだないのに、メモを取り忘れたので、個々の羅漢が誰で、という説明ができない。

最後に、これを見ると、村上さんって、おっかない人なんだなって思った。
目下の人間をきちんとしかる、ということは、けっこう難しいし、エネルギーのいること。
若いうちにきちんとしかられておかないと、30代以上になったときに困ると思う。
ちなみに、筆者の悩み事? のひとつは、40代以上の部下をあまり真剣に叱責できないこと。もういい年なんだから、基本的なことは、いちいち言わなくても、自分で気づいて改善してくれよ―と思う。
話がそれた。
2015年暮れのあわただしい東京行きの記事はこれでおしまい。
近年のヤナイは、シリーズものを仕上げず放置していることが多いので、今回は比較的短いシリーズとはいえ、ほっとしています。
東京2015-2(1) 護国寺駅まで
東京2015-2(2) 護国寺駅から高田老松町(目白台)まで
東京2015-2(3) 春画展 (2015年9月19日~12月23日)
東京2015-2(4)
東京2015-2(5) Re: play 1972/2015―「映像表現 '72」展、再演
東京2015-2(6) MOMATコレクション
東京2015-2(7) 藤田嗣治を見て
東京2015-2(8)
東京2015-2(9) 村上隆の五百羅漢図展
(この項終わり)