(承前)
4.PC(ポリティカルコレクトネス)?の問題
それにしても、である。
「大日本勝利」「帝国海軍大勝」といった題の作品がこれほどたくさん会場に並ぶ展覧会が今まで公立の美術館で開催されたことがあっただろうか。
もちろん、函館美術館は、WAC出版局ではないので(笑)、軍国主義を鼓舞し、戦争を讃美する目的で、これらの作品を陳列しているわけではあるまい。
ただし、誤解を恐れずに言えば、もし1970年代に同様の展覧会が開かれていれば、おそらく北教組函館支部や地区労あたりが登場して
「悲惨な戦争を二度と繰り返してはいけないという反省が見られず、軍国主義と戦前への回帰を助長しかねない」
などと批判の一つもしたのではないかという気がするのである。
展覧会解説パネルなどには、残酷さが描かれていないことや、清・ロシアへの蔑視などが指摘されているものの、全体を通してみれば、戦争そのものに対する批判的な言説はほとんどない。きわめて価値中立的で、冷静な観点から、解説がなされているといえると思う。
そのこと自体を批判するつもりは全くないし、むしろそれがあるべき姿であろうと思う。ただし、筆者なんぞが見れば
「こういう蔑視と増長ぶりが、日本の道を誤らせたのだなあ」
と説明されなくてもわかるし、言われなくても戦争の悲惨なことは知っているけれども、もし無知なネトウヨがこの会場に来れば
「おお、大日本帝国の勝利を祝う絵がいっぱいあって素晴らしいぞ。クソなチャンコロどもが負けていて、気持ちいいなあ。美術館は反日の絵ではなく、こういうのをもっと展示すべきだ」
と勘違いする恐れが皆無と言い切れるだろうか、とも思うのである。
戦争が「悲惨」で「二度と繰り返してはいけない」ものだというのは、筆者には自明のことだが、誰にでも自明とは限らない。
ことほどさように、「中立」と「啓蒙」のバランスは難しい。
もう一点。「平壌ノ戦ニ於テ敵数百人生捕我軍大勝利ノ図」などを見ると、日本の軍人はおおむねきりっとした顔立ちの好男子に描かれているのに対し、清側は、辮髪で醜いステレオタイプに描写されているとしか言いようがない。
ここでは、「オリエンタリズム」が、日本で再生産されているといえるのではないだろうか。
また、解説パネルにも書いてあったが、日清、日露戦争とも、朝鮮半島をめぐる争いであり、戦場にもなっているのに、現地の人々が全くといっていいほど登場しない。
それなりに描かれているのは、クーデタを起こした金玉均ぐらいなものである。
金玉均は、解説パネルによると、東京、札幌、小笠原を転々としたとある。これは知らなかった。
「鷹懲義戦最新歴史 金玉均ノ横死」には、次のようなテキストが添えられていた。
5.図録
北海道で美術展を開く際に、図録の問題が厄介だということは承知している。
つまり、首都圏などの展覧会に比べると、図録を購入していく人の比率が明らかに低いのである。
今回は1000円というかなりの安値で、購入しやすいのはありがたいのだが、その分、図版は小さくて、図中の文字はほとんど読めない。
なにより、出品物の一覧がないのは、図録としてどうなんだろう。
今回、入り口で、錦絵出品リストというのを配っていた。
無いよりましだが、陳列品のうちかなりの部分を占める写真、絵はがき、雑誌については、このリストには入っていない。図録でもわからないので、どんなものが出品されていたのか、あとで振り返る手段がない。
また、錦絵出品リストと、会場の作品にもかなりの異同がある。
たとえば、リスト(および図録)で「榮城灣上陸后之露營」は、小林清親作となっているが、会場では篠原清興の作品となっている。
リストにある「平壌城之劇戦」がないかわりに、「原田一等兵玄武門を開く図」が陳列されている。
以下、煩瑣になるので、いちいち挙げないが、作品名が異なっている事例が散見される。
ここは、どんなに小さい活字でもいいから、そして原色図版の一部を減らしてもいいから、出品リストを完全なかたちで図録に載せてほしかったと思う。
ほかにもいろいろおもしろい発見の多い展覧会であった。
とにかく、道立館の企画としては、屈指のユニークなものであることは間違いないであろう。
2014年11月15日(土)~15年1月21日(水)午前9時30分~午後5時(入場~午後4時30分)
月曜休み(祝日は開館し翌火曜休み)、12月29日~1月3日休み
道立函館美術館(五稜郭町31)
・市電「五稜郭公園前」から約720メートル、徒歩10分
・JR「五稜郭」駅から約2・7キロ、徒歩34分
4.PC(ポリティカルコレクトネス)?の問題
それにしても、である。
「大日本勝利」「帝国海軍大勝」といった題の作品がこれほどたくさん会場に並ぶ展覧会が今まで公立の美術館で開催されたことがあっただろうか。
もちろん、函館美術館は、WAC出版局ではないので(笑)、軍国主義を鼓舞し、戦争を讃美する目的で、これらの作品を陳列しているわけではあるまい。
ただし、誤解を恐れずに言えば、もし1970年代に同様の展覧会が開かれていれば、おそらく北教組函館支部や地区労あたりが登場して
「悲惨な戦争を二度と繰り返してはいけないという反省が見られず、軍国主義と戦前への回帰を助長しかねない」
などと批判の一つもしたのではないかという気がするのである。
展覧会解説パネルなどには、残酷さが描かれていないことや、清・ロシアへの蔑視などが指摘されているものの、全体を通してみれば、戦争そのものに対する批判的な言説はほとんどない。きわめて価値中立的で、冷静な観点から、解説がなされているといえると思う。
そのこと自体を批判するつもりは全くないし、むしろそれがあるべき姿であろうと思う。ただし、筆者なんぞが見れば
「こういう蔑視と増長ぶりが、日本の道を誤らせたのだなあ」
と説明されなくてもわかるし、言われなくても戦争の悲惨なことは知っているけれども、もし無知なネトウヨがこの会場に来れば
「おお、大日本帝国の勝利を祝う絵がいっぱいあって素晴らしいぞ。クソなチャンコロどもが負けていて、気持ちいいなあ。美術館は反日の絵ではなく、こういうのをもっと展示すべきだ」
と勘違いする恐れが皆無と言い切れるだろうか、とも思うのである。
戦争が「悲惨」で「二度と繰り返してはいけない」ものだというのは、筆者には自明のことだが、誰にでも自明とは限らない。
ことほどさように、「中立」と「啓蒙」のバランスは難しい。
もう一点。「平壌ノ戦ニ於テ敵数百人生捕我軍大勝利ノ図」などを見ると、日本の軍人はおおむねきりっとした顔立ちの好男子に描かれているのに対し、清側は、辮髪で醜いステレオタイプに描写されているとしか言いようがない。
ここでは、「オリエンタリズム」が、日本で再生産されているといえるのではないだろうか。
また、解説パネルにも書いてあったが、日清、日露戦争とも、朝鮮半島をめぐる争いであり、戦場にもなっているのに、現地の人々が全くといっていいほど登場しない。
それなりに描かれているのは、クーデタを起こした金玉均ぐらいなものである。
金玉均は、解説パネルによると、東京、札幌、小笠原を転々としたとある。これは知らなかった。
「鷹懲義戦最新歴史 金玉均ノ横死」には、次のようなテキストが添えられていた。
玉均革新ノ志ヲ抱キテ成ラズ空(ムナシ)く我帝国ニ流寓スルコト十数年常ニ閔族ニ忌憚セラレ屡刺客ノ為ニ命ヲ危クセリ 然(シカ)シテ終(ツヒ)ニ其毒計ニ陥リ洪鐘宇ノ為ニ上海ニ銃殺セラル
5.図録
北海道で美術展を開く際に、図録の問題が厄介だということは承知している。
つまり、首都圏などの展覧会に比べると、図録を購入していく人の比率が明らかに低いのである。
今回は1000円というかなりの安値で、購入しやすいのはありがたいのだが、その分、図版は小さくて、図中の文字はほとんど読めない。
なにより、出品物の一覧がないのは、図録としてどうなんだろう。
今回、入り口で、錦絵出品リストというのを配っていた。
無いよりましだが、陳列品のうちかなりの部分を占める写真、絵はがき、雑誌については、このリストには入っていない。図録でもわからないので、どんなものが出品されていたのか、あとで振り返る手段がない。
また、錦絵出品リストと、会場の作品にもかなりの異同がある。
たとえば、リスト(および図録)で「榮城灣上陸后之露營」は、小林清親作となっているが、会場では篠原清興の作品となっている。
リストにある「平壌城之劇戦」がないかわりに、「原田一等兵玄武門を開く図」が陳列されている。
以下、煩瑣になるので、いちいち挙げないが、作品名が異なっている事例が散見される。
ここは、どんなに小さい活字でもいいから、そして原色図版の一部を減らしてもいいから、出品リストを完全なかたちで図録に載せてほしかったと思う。
ほかにもいろいろおもしろい発見の多い展覧会であった。
とにかく、道立館の企画としては、屈指のユニークなものであることは間違いないであろう。
2014年11月15日(土)~15年1月21日(水)午前9時30分~午後5時(入場~午後4時30分)
月曜休み(祝日は開館し翌火曜休み)、12月29日~1月3日休み
道立函館美術館(五稜郭町31)
・市電「五稜郭公園前」から約720メートル、徒歩10分
・JR「五稜郭」駅から約2・7キロ、徒歩34分