(承前)
札幌市南区澄川4の2、4の3附近は、福住桑園通と、澄川駅の裏を斜めに走る道路との三叉路があって、このあたりでも最も交通量の多いところ。澄川排水は、この三叉路の近くを流れていたと考えられる。
三叉路の道路わきに立つ町内交通安全の碑。
大正期に出た5万分の1地図では、この三叉路の附近(当時、福住桑園通はまだ全通していない)を南北に貫くように、水田の区域が走っている。
当然、 . . . 本文を読む
「澄川排水」とは、1960~70年代初頭の地図に記されている小さい川である。流域の大半は直線化されているが、おそらく元々は自然の河川であると推察される。
国土地理院が1971年に発行した「札幌 1万5千分の1都市機能図」に記載されている最も上流の地点は、現在の札幌市南区澄川4条5丁目と6丁目の境界附近。
そこから、地下鉄南北線と、平岸霊園のある丘陵の間の低地を流れる。
同上の地図では、豊 . . . 本文を読む
(承前)
※後半部分に、脱落がありましたので、もう一度アップします。
前項の話を要約すると、「札幌彫刻美術館」から「ギャラリー門馬」まで公共交通機関を使って行こうとすると、
「円山公園駅バスターミナルでバスを乗りかえる」
という手段が一般的だと思われるが、それだと、円山の東側にいったん迂回するため遠回りになる。
だったら、
「円山の西側を南下して、あとは歩いたほうが近いじゃん!」 . . . 本文を読む
古い札幌の地図を見ると、札幌市南区の真駒内本町・曙町から豊平川へと北に向かって注ぐ小さい流れが書かれていることがずっと気になっていた。
ごく短い川なのに、多くの地図に記載があるからだ。
(ただし、文献類でこの川に言及したものは、筆者は未見である。よって、名前もわからない)
源流は、交番や神社のあるあたりのようだ。
地図を見るとわかるが、真駒内神社から北へと向かう道はカーブして . . . 本文を読む
まったくどうでもいい話ですみません。
札幌在住時代はたまに小河川やその痕跡をさぐって散歩していましたが、北見でも先日、やってしまいました。
とはいっても、それが目的の散歩ではなく、歩いていたらたまたま気がついた、という話。
北見は札幌に比べると小河川が少ないように思います。
常呂川と無加川という大きな川の合流する盆地にできたマチの割には。
この小町川は、昔は北見市の中心部を流 . . . 本文を読む
(承前)
引き続き、伊能忠敬の地図を見ながらのマニアックな地名談義になるので、興味のない方は飛ばしてください。
伊能忠敬はもっぱら海岸線を測量したので、内陸については、街道筋や目印になる山以外は空白になっていることが少なくない。とくに北海道は、ほとんどが白く抜けた状態になっており、いまの札幌や北見にあたる部分も、何もしるされていない。
冒頭の画像は、札幌に最も近い地点の地図。
石狩川 . . . 本文を読む
札幌の中心を南北に貫く創成川。
明治初期、水運のために掘削された人工河川である。
この前身となったのが、大友亀太郎が工事を指揮した大友堀である。
前身とはいうものの、現在のように、茨戸を目がけてほぼまっすぐに北へと流れていたのではなく、途中で東に折れて、伏籠ふしこ川へと注いでいた。
ちなみに、伏籠川は昔は、いまよりも相当大きな川だったようだ。
人工の大友堀が伏籠川へと注ぐ地点のあたり . . . 本文を読む
(長文です)
きょう、Twitterで、札幌の暗渠あんきょのことを書いたら、意外に反響があった。
筆者は、暗渠よりも、実際に水が流れている川のほうが、ぜったい楽しいと思うのだが、まあ東京あたりだと、小河川の大半が地下にもぐっているという事情もあるのだろう。
小沼川は、札幌・白石区の菊水地区を流れていた小さな川である。
1980年前後に暗渠となり、菊水上町の上流部分は遊歩道になっている。 . . . 本文を読む
三岸好太郎美術館が建っている知事公館の庭は筆者の好きな場所だ。
土地の高低があり、緑がうっそうと茂っている。
140年前、開拓以前の札幌はこんな感じだったのか-という感じがしてくる。
ここのメム(わき水)から発した水は、北へと流れ、琴似川と合流していた。
アイヌ語地名研究の第一人者、故・山田秀三さんによると、この知事公館に端を発する流れこそが、本来の「コトニ」だったとい . . . 本文を読む
(承前)
河田雅文さんの個展で重要な役割を果たしている琴似川。
決して大きな川ではないけれど、札幌という街の形成にあたって、とても重要な役割を果たしてきていると思う。
もちろん、札幌の母なる河といえば豊平川をおいてないわけだが、有島武郎の「生まれ出づる悩み」にあるとおり、豊平川は札幌のまち外れを流れる川であった。いちばん都心を流れる天然河川は琴似川とその支流なのだ。
いま
「琴似」
とい . . . 本文を読む
地下鉄の環状通東駅から茶廊法邑へ歩いていく途中で、かならずその前を通るのが大友公園です。
札幌開拓の祖とされる大友亀太郎が、工事を行った「大友堀」は、現在の創成川の起源といわれています。
その大友堀が、伏篭川に注いでいた地点に造成されたのが、この大友公園です。
園内には、昔の堀に思いを馳せてもらおうと、水路が造られています。
しかし、実際に水が流れ落ちていることはあまりありません . . . 本文を読む
ことし1月に書いた「北3条川」のつづき。
円山球場と、その東側にある駐車場のあいだに、ごらんのような段差があります。
(画像右側が、球場のほう)
これは、おそらく北3条川の河岸段丘だと思われます。
先にも書いたとおり、この川は、北1条通りに面した北海道神宮の駐車場か、駐車場前にある豆腐料理店の中から見ることができますが、そこから下流(北側)は暗渠ですし、上流のほうも、地上を流れるのが . . . 本文を読む
西区山の手の「倫土(ろんど)」にはこれまでも何度か訪れていたが、裏手に小川が流れているのを、今回初めて知った。
倫土の1階はちいさな喫茶スペースになっており、そこにテラスもあって、階段をおりて川べりへといけるようになっている。なんだか、ギャラリー門馬とよく似た感じの小さな谷だ。
ただし、倫土の裏が、川の事実上の最終地点で、地下の水路へと流れがもぐっていくのが、間近に見える(画像左手)。
. . . 本文を読む
「旧円山川、よこちべつ川、そして界川」で
現在、西21丁目通は、裏参道の南側で大きく折れ曲がっているが、この川と関係あるのかどうかもわからない」
と書いたが、これはやはり、このあたりに池があったためのようだ。
札幌市教育委員会編「さっぽろ文庫・別冊 札幌歴史地図<昭和編>」に載っていた地図を見たら、道路が池を迂回するように描かれていた。
大正期に、ギャラリーミヤシタのあたりから発するよう . . . 本文を読む
(承前)
雪の季節ということもあり、しばらくは机上の探索となることを諒承されたい。
上の画像は、札幌市教育委員会編「さっぽろ文庫・別冊 札幌歴史地図<大正編>」という本に載っている「最近札幌市全図」(大正14年)の一部をスキャンしたもの。
前のエントリにも書いたとおり、この本に収載されている地図には、重兵衛沼らしきものはまったく見当たらないのだが、巻末の解説「大正の円山」にはつぎのよう . . . 本文を読む