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北海道美術ネット別館

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小沼川

2010年03月11日 01時32分59秒 | さっぽろ川あるき
(長文です)

 きょう、Twitterで、札幌の暗渠あんきょのことを書いたら、意外に反響があった。
 筆者は、暗渠よりも、実際に水が流れている川のほうが、ぜったい楽しいと思うのだが、まあ東京あたりだと、小河川の大半が地下にもぐっているという事情もあるのだろう。

 小沼川は、札幌・白石区の菊水地区を流れていた小さな川である。
 1980年前後に暗渠となり、菊水上町の上流部分は遊歩道になっている。JR線より下流側の菊水元町では土地区画整理が進んだ結果、いったいどこに流路があったのかまったく判然としない。
 筆者が初めてこの川をたどった1983年には、すでにそのような状態になっていた。

 1977年の「札幌市現況図」には川が記入されているので、77~82年の間に、暗渠化工事がなされたのだろう。

 小沼川の源流は、メム(アイヌ語で、わき水の意)である。
 札幌のメムといえば、都心にある道庁や植物園、知事公館のものが有名だが、菊水にも
「トイシカラメム」
という湧水ゆうすいがあった。
 札幌市写真ライブラリーに保管されている写真によると、札幌東高校の校庭にそのメムの跡があったらしい。






 旧小沼川遊歩道は、白石区菊水上町1条2丁目からスタートする。
 札幌東高キャンパスの、交叉点(国道12号と南7条米里通がまじわる)をはさんで斜め向かいの地点からスタートする。
 ここからほぼ東に、豊平川と平行して進む。
 いすみ公園の横を抜け、菊水上町4条2丁目で、JR函館線・千歳線にぶつかる。

 ほぼ全区間、地面の下になってしまっている小沼川だが、JRの線路にはまだ鉄橋が残っている。
 川の痕跡が今もあるのは、線路の下と、その手前数十メートルのみなのだ。 

 ここから下流は、かつては、菊水元町の幹線道路である「南7条米里通」に沿って流れ、上白石神社の附近で白石川と合流。
 白石川も、菊水上町地区を流れている小さな川で、いまはJR線路附近以外はすべて地下にもぐっているところも小沼川と似ている。
 さらに下流で、望月寒もつきさっぷ川と合流し「逆川」という名になって、豊平川に注いでいた。

 望月寒川は、いまもちゃんと流れている川で、小沼川や白石川にくらべれば太くて長い川である。
 下流部分はその後、洪水対策のため、流れが大きく変えられて改修、直線化された。

 というわけなので、この小沼川のことが知られていなくても無理はない。
 大正期の地図では、大半は名前を記しておらず、書いてある場合もただの「小川」だし、1971年に国土地理院が発行した「札幌 都市機能図」では、白石川と誤って記されている(ほんとの白石川は、白石公園の右上に見える小さな川)。
 その程度の川だったようだ。




 ただ、むかしは、この川が、札幌の母なる川「豊平川」だったといえるかもしれない。

 というのは、現在の豊平川下流の、雁来かりき大橋から石狩川合流点までの間は昭和に入ってから人工的に切り替えられた流れだが、それ以前は、白石区東米里や江別市角山を東に向かって流れ、石狩川に注いでいた。いま、旧豊平川とか世田豊平川という名前で呼ばれている緩流は、その名残だ。

 しかし、さらに昔は、伏篭ふしこ川が豊平川の下流だったらしい。
 1800年ごろに大きな地震があり、流れが東に変化したのだという。
 伏篭川は、水の供給源をかなり失い、しだいに衰えていく。
 このとき、豊平川が選んだ流路こそ、トイシカラメムを源流とするルートだったのだ。

 したがって、米里から下流の豊平川は、もともとは小沼川の流路だったわけだ。

 だから、世田豊平川の下流域に、対雁ついしかりという地名があるのである。
 この地名は、トイシカラメムと同じ語から来ているのだろう。


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