ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

年賀状の不思議

2006年01月01日 | 季節の話題
 毎年元旦の楽しみは、やはり「年賀状」である。

 現代はメールや携帯電話の普及で、ほとんど手紙や葉書を事務的なお知らせや公的通知以外書かなくなったし、必要としなくなったのだが、「年賀状」だけはやはり別の楽しみであり、「年賀葉書」は無くしてはならない文化ではないだろうか。

 今年の干支に因んだ年賀状として、いろんな「戌」「犬」が印刷されている賀状が多い中で、差出人が「誰」か判らない人からの賀状があるから不思議である。

 例年一、二枚、差出人の名が書かれていない「賀状」があり、消印のない葉書のために、なかなか推察もできないものがあって、いつも「不思議」のまま、お正月を終えているのだが、今年は差出人の住所、名前が記載されているのに誰か判らないという賀状があったのである。

 相手は私の住所、氏名を知って、投函されていることは間違いないので、ゆっくり推察したり、考えたりは出来る情報は十分なはずなのだが、この賀状を受け取って半日が経つが、いまだに「誰」からかがわからないのである。

 それも何処かの商社やお店からの「お客様」としての顧客への賀状などである場合は、自分の意識や記憶とは裏腹に一方的に賀状をいただく場合もあるとは思うが、この一枚はそうではなく、ちゃんと個人名が記載されているので、余計にちょっと心配になるほど、不思議な賀状となっているのである。

 毎年いただく賀状の中に当然市内在住者からの「賀状」も多くあるのだが、自分の立場が市会議員ということで、こちらからは公職選挙法のため違反となるので、賀状や挨拶状は出せないので、いただいた場合は返礼をしないと失礼になるので、手書きの宛名書きと一筆を必ず加えて出すことにしている。

 多くの年賀状を見る楽しみは多くの出逢いと今までの付き合いからの人間的な行き来の「縁」であり、それぞれの人生の「ちょっとした変化」や「人生の転機」などに加えて、友人、知人の健康や仕事の状況、家族の状態なども知らせてくれる余禄があるものである。

 中には、ご年配が故に少しご健康状態を危ぶむ相手もあって、その方からの手書きの宛名として書かれた、自分の住所、名前の「筆感」の揺れや力の無さに、先方の健康状態を案じる場合もあって、「微妙」なものでもある。

 十代の元気一杯の「賀状」から七十、八十代の高齢でも矍鑠たる賀状まで、自分との関わりを大切にして下さる、友人、知人として、とっても有難い感謝の念で、一枚、一枚の『賀状』をじっくり何度も、繰り返し見たいものである。
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