「松風庵日記」 心はいつもお茶日和  

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自粛生活も三週目に・・追記あり

2020年03月16日 | 日記

自粛生活も三週目に入りました。
明確な収束の兆しのないまま、長期戦となるのでしょうか。

この時とばかりの断捨離(終活)に勤しんでいますが、
こんなファイルを見つけました。
ブログをはじめるまえまで、社中の皆さんにお配りしていた茶道新聞です。
「まつかぜ」と題してかなり頻繁に出していました。

2003年3月10日第32号の記事にこんなことを書いていました。

【『茶と禅』と題して
ある女性が、お坊さんの立ち振る舞いを見て茶道をやろうと決心した、
という話を耳にしました。
理由は、「その所作に無駄がなかった。」というのです。
お茶のお点前が、無駄のない動きであることは、
お茶をなさる方はもうお分かりだと思いますが、
禅の世界はそれ以上のようです。
禅宗のお坊さんが、修行の結果、
「人間に必要なものは寒さをしのぐだけの着物、六分目の食事、
五時間の睡眠、これだけあれば極楽だということが分かった。」
と話していたそうです。
それ以上は、全部おまけだそうです。
こんな話を聞くと、新しい着物の色や柄を思い描いて浮き浮きしている私などは、
超おまけを欲しがっていると、恥じ入るばかりですが。
それに続く話で、さらに、興味深かったのは、
限りなく無の状態に自分を置こうとする禅の世界では、
時として、言葉すら邪魔であるという話です。
確かに何かに集中しているとき、
言葉は、気を散らす何物でもないことがありますね。
ですから、禅寺では、
多くは人間の言葉ではない「鳴らし物」でやるというのです。
それは、音が次の行動の合図となる茶道も同じですね。
茶道は禅と深いかかわりがあるのですから、当然といえますが。
禅のについては、若輩(この年で若いといっていただける嬉しさ)の私などには、
言葉としてわかっても、まだまだ悟れるものではありませんが、
それでも最近は若いころ興味だけはあって、買ったりした、
禅に関する本を紐解いてみたりしています。
お茶と何年も付き合ってから読むと。心に落ちるものも増えてきたようです。
最近読み返している本は、「禅とは何か」(関口真大著)~青年と女性のために~
古い本ですが、読みやすい本です。
もう一冊は、「禅茶の心」(柴山全慶著)
これは読みごたえがあります。( 眠くなるかも)  】

と結んでいました。



というわけでまだ眠くなるかもしれない本を、また引っ張り出してきました。

今は、"これだけあれば極楽"の言葉をかみしめたいです。

追記
さっそく読み始めましたが、眠くなるどころか、
こんな面白い本だったとは。


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