GRASSの日々折々

馬好きフォトグラファーが綴る日々の1ショット。

壽号の厩舎

2007年09月04日 | 馬徒然
今週末から秋競馬本番。ライターのYちゃんと一緒に、六本木のJRAへ報道申請に行く。

いつもの場所ウェンディーズでお茶をして彼女と別れた後、今をときめく六本木ミッドタウンへ初めて立ち寄る。元防衛庁だった場所は巨大なビルに変身。銀座から移転した富士フォトサロンや、赤坂にあったサントリー美術館がある。

ミッドタウンからそのまま青山通りへ向かう途中に、乃木神社と乃木将軍の愛馬だった壽号の厩舎がある。
日露戦争の敵方の総帥ステッセル将軍の馬だった白馬は、戦後、乃木将軍に払い下げられた。馬は壽号(すごう)と名づけられ、しばらくこの厩舎で過ごした後、鳥取赤碕の佐伯牧場、その後隠岐へと渡り、その波乱の生涯を終えた。隠岐海士町には立派な壽号の墓があり、今も地元の人たちによって語りつがれている(日本馬事協会発行「ホース・メイト」44号に取材記事を掲載しています)。

六本木ミッドタウンができたために、乃木坂への人の流れが増え、壽号の厩舎を訪れる人も多いそうである。
壽号の厩舎は、港区の重要文化財。管理しているのは港区に委託された区在住のシルバー人材関係の方たち。壽号のその後のことを話したら、「知らなかった」と言ってとても喜んでくださった。
戦火のロシア、そして日本へ。赤坂、鳥取、そして隠岐とはるかな旅をした一頭の軍馬の波乱の生涯を、もっとたくさんの人に知ってもらえたらいいのに・・・。

飼葉桶もそのままに残された壽号の厩舎の前に立つと、今も馬の嘶きが聞こえてくるようで・・・。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 南部藩下屋敷 | トップ | アイスランドの子どもと馬 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
壽号の産駒 (ひしあまぐり)
2007-09-07 20:48:27
こんばんは、いつも楽しく拝読しております。
壽号は、隠岐に渡ったあと種牡馬として80頭ほどの産駒を残し、いずれも高い評価を受けました。
中でも気性も外貌も壽号に酷似した一頭が出た折には、これに「乃木号」という格別の名前を付けて乃木大将に献上されております。
学習院の院長職にあった乃木大将は、乃木号を学習院で繋養することとし、若き日の近衛文麿らが、この乃木号に跨って乗馬を学んだと言われております。近衛文麿の乗馬好きは相当なもので、よく鈴木三重吉と連れだって遠乗りに出ていたと伝わっています。
返信する
壽号の産駒 (grass)
2007-09-07 21:33:37
こんばんわ、コメントありがとうございました。
乃木号は、壽号にそっくりだったと聞きました。壽号の子孫は、まったく残っていないのでしょうか・・・、気になるところです。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

馬徒然」カテゴリの最新記事