私が関わっているピアノの生徒は、大学生ばかりだ。みんな小学校低学年から続けている子達である。その中の一人が、今日、就職活動のため、卒業した。
彼女は幼稚園のころからピアノを習っている。うちに来た時は小学校2年生だった。以来、夏休みも冬休みも春休みも、試験のときも受験のときも、ほとんど休まず通ってきた。学校や部活、アルバイトの合間の練習、それでもバッハはシンフォニアまで終了したし、チェルニーも40番半ばまで進んだ。大学生になってからは、有名な曲を弾きたいと言うので、ショパンの「幻想即興曲」やドビュッシーの「アラベスク」、そして最後の曲はショパンの「革命のエチュード」だった。
単に曲が弾けるだけでなく、楽譜を読むという作業を子供たちに教えるのは、案外大変だ。この作業が嫌で、ピアノをやめてしまう子もいる。
彼女は、最後に「楽譜が読めるようになったことが、とてもよかった」と言った。正直言って、ほっとした。技術の向上は、練習次第。でも、楽譜が読めさえすれば、いくらでも曲のレパートリーを増やすことができる。
ちょっと、肩の荷を、おろした感じである。
彼女は幼稚園のころからピアノを習っている。うちに来た時は小学校2年生だった。以来、夏休みも冬休みも春休みも、試験のときも受験のときも、ほとんど休まず通ってきた。学校や部活、アルバイトの合間の練習、それでもバッハはシンフォニアまで終了したし、チェルニーも40番半ばまで進んだ。大学生になってからは、有名な曲を弾きたいと言うので、ショパンの「幻想即興曲」やドビュッシーの「アラベスク」、そして最後の曲はショパンの「革命のエチュード」だった。
単に曲が弾けるだけでなく、楽譜を読むという作業を子供たちに教えるのは、案外大変だ。この作業が嫌で、ピアノをやめてしまう子もいる。
彼女は、最後に「楽譜が読めるようになったことが、とてもよかった」と言った。正直言って、ほっとした。技術の向上は、練習次第。でも、楽譜が読めさえすれば、いくらでも曲のレパートリーを増やすことができる。
ちょっと、肩の荷を、おろした感じである。