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GRASSの日々折々

馬好きフォトグラファーが綴る日々の1ショット。

金華山号

2008年01月27日 | 日本の馬
南部駒の剥製が明治神宮外苑にある聖徳記念絵画館に飾られている、という情報を耳にしたので行ってみる。ご近所ながら絵画館に入るのは小学生の時以来で、「明治天皇の絵」が飾ってあったことぐらいしか覚えていない。

改めて。
聖徳記念絵画館には、明治天皇と昭憲皇太后のご公務の様子を描いた絵画が展示されている。江戸から明治へと文明開化していく当時の日本の姿が皇室の行事を通して見ることができ、なかなかおもしろかった。日本画と西洋画両方の画家たちによる表現も興味深かった。

さて、お目当ての「南部駒の剥製」は、建物入口を入って正面のスペースに、骨格標本と並んで展示されている。
それは、明治天皇の愛馬(御料馬)「金華山号」で、「日本種」と表記されていた。

明治2年(1869年)4月、宮城県玉造郡鬼首村で生まれた栗毛の牡馬。幼名「起漲(きちょう)」
明治9年(1876年)、天皇が奥羽地方巡視の際に岩手県水沢でお買い上げになった。体高は148cmで小柄、毛色にツヤもなく見栄えは決してよくなかったが、何事にもひるまず沈着鋭敏で、天皇にことのほか愛され、ご公務を130回務めた、という説明があった。

その昔、伊達政宗は支倉常長をローマに遣わして、良馬改良のため数頭の種馬を購入した。当時は天草・島原の乱などで幕府の目が厳しかったため、馬を秘境の地鬼首村(現・鳴子町)に移牧して馬産を行なったという。これが軽種馬生産の創始といわれていて、その子孫にあたるのが「金華山号」だそうである。
政宗が生産した馬は「仙台馬」と呼ばれているようであるが、おそらく「南部馬」と同系列の馬たちだったのだろう。

目の前の金華山号は、すらりとして栗毛というよりは月毛に近く、星も流星もない。見栄えがよくない、と説明されてはいるが、私が今まで見た中で、もっとも美しい「日本馬」だと思う。

展示品の撮影はできないので、「絵画館」の外観の写真だけ。

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野間馬セツ

2008年01月24日 | 日本の馬
愛媛県今治市の野間馬ハイランドを訪れたときに会った、芦毛の牝馬セツ。ハイランドで最年長の功労馬だという。
野間馬ハイランドでは毎年子馬が生まれる。野間馬に芦毛が少なくないのは、セツの血を引いているせいだろうか。

東京上野動物園では、在来馬の飼育が始まっている。
最初は鹿児島のトカラ馬、次は長野の木曽馬、そして今度は愛媛の野間馬だという。TVで報道されたとき、上野動物園にくる予定の野間馬は芦毛だった。セツに関係がある馬だったら嬉しいなあ。
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タオルと野間馬

2008年01月23日 | 日本の馬
今日のNHK「クローズアップ現代」は、地場産業の復活についての話題。
タオル産業が息を吹き返した愛媛県今治市がトップに特集されていた。

数年前、ある雑誌のグラビア撮影のため愛媛を訪れる機会を得たとき、これはチャンスとばかり今治市にある「野間馬ハイランド」に足をのばした。
日本在来馬の一つ野間馬は、日本で一番小さい馬。かつてはみかん農家の支えとなって働いた馬である。現在はほとんどが「野間馬ハイランド」というホースパークで飼養されている。

今治駅に着いて最初に目に付いたのは、豊富なタオルの土産物だった。
今治は、明治時代から続くタオルの生産地だったことを始めて知った。
またここは、世界的建築家丹下健三の故郷だということもわかった。町の中には、丹下健三の建築物が多く、街並みがモダンだった。瀬戸内海の島々との交通拠点ともなっている今治。
野間馬に会いたくて訪れた町との、新鮮な出会いだった。

写真は、2004年11月、野間馬ハイランドにて撮影。
今治のタオルに、野間馬の刺繍などが施された商品があったら、それこそ土産物としてしこたま買い込んでしまうのに・・・。


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隠岐の馬2

2007年12月13日 | 日本の馬
日本在来馬は、最近では雑誌やTVにとりあげられるようになって、一般の人たちに知ってもらうチャンスが増えつつあるように思う。
それはとても喜ばしいことに違いない。

でも、「在来馬」に認定されなかった無数の馬たちがいる。彼らは望んでそのように生まれてきたわけではなく、人間の都合で「雑種」となったのである。
隠岐にも、かつては「隠岐馬」とよばれる在来馬がいた。「品種改良」の名目で洋種とかけあわされた子孫が、現在島にいる馬たちだ。競走馬でもなく、乗用馬でもなく、保存種にも認定されない馬たちの行末は、ただ一つ・・・である。
それでも、彼らが海をバックにのんびり草を食む光景は、観光ポスターやパンフレットに欠かせない。
そうやって、観光資源の一つとして馬の存在が広く容認されればいいのに、と思う。

写真は昨日に続き、2004年10月に訪れた西ノ島で撮影。
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隠岐島の馬

2007年12月12日 | 日本の馬
某馬雑誌に「与那国馬」の写真と記事を寄稿することになり、朝一番で取材時にお世話になった与那国のM氏といろいろな話をした。
なんという偶然か、夕方、今度は『ホースメイト』52号に掲載された記事を見たと、昨年ドサンコの取材でお世話になった北大のH先生から電話を頂き、しばし馬の話でもりあがった。
北海道と与那国では、同じ日本とは思えないほど違うのに、「馬」の話題となると、一気に時と場所を越えてしまうのだから不思議である。

与那国馬もドサンコも、日本の在来馬として認定された馬である。保存・活用にいろいろな人が心血を注いでいる。

けれど、「在来馬」に認定されなかった馬たちもいる。認定されたからといって、決して楽観できるわけではないが、認定されなかった馬たちは、土地の人に見守られながら過ごしている。
島根県の孤島、隠岐島では、馬愛好家の人たちによって年中放牧されている半野生の馬たちがいる。在来の隠岐馬にアングロ・ノルマン、ブルトンの血が入っている。
島の観光協会は、馬を「島のアクセサリー」だと称していた。
絶海の孤島に暮す馬たちは、どこか切なく愛しい。
写真は、2004年10月に訪れた隠岐島知夫利の馬たち。


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『ホース・メイト』Vol.52発行

2007年12月05日 | 日本の馬
今年9月、在来馬と関わる人たちが、全国乗馬倶楽部振興協会の後押しで遠野に馬の研修に訪れました。その模様を取材させてもらい、『ホース・メイト』に寄稿しました。

馬の世界は思わぬ場所でつながるので、本当に驚かされます。
遠野は、乗用馬、農用馬の生産をしており、競馬やサラブレッドとは別の世界、まして在来馬はもっとかけ離れた世界だと思っていましたが・・・。
つながってしまうんですね。すべてが・・・。といっても、それは遠野という土地が、馬世界の台風の目みたいな存在にあるからかもしれません。

「馬は、種牡馬や繁殖牝馬を除いては、生涯に少なくともその生活地を三轉する運命を持っている」(岩波写真文庫『馬』より)という一文も、頭によぎります。

そんな馬の世界を網羅した雑誌『ホース・メイト』(日本馬事協会)が、次号をもって休刊になるそうです。
私も、随分お世話になった雑誌で、4ヶ月に一度の発行を楽しみにしていました。
本当に残念です。

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上野動物園に木曽馬

2007年11月22日 | 日本の馬
上野動物園で始まった日本在来馬の飼育。
最初にやってきたのは、鹿児島のトカラ馬で生後8ヶ月の男の子。このたび名前が「琥太郎(こたろう)」と決まってますます可愛がられているようである。

今度は、長野県開田村から木曽馬がやってきた。3歳牝馬で名前は「幸泉(さちいずみ)」。
故郷では群で暮していたため、たった1頭で動物園にやってきたときは、すっかり落ち込んで飼葉も食べなくなってしまったという。遠野で研修の時に知り合った担当のHさん、悩んだ末、琥太郎と一緒に放牧することにした。すると、幸泉は安心したのか、飼葉を食べるようになった。年下ながら先輩である琥太郎の様子を見ながら、動物園の生活に慣れてきたという。一方琥太郎は、幸泉を乳母のように慕って、ときどき乳を飲もうとするとか。残念ながら乳は出ないのだけれど・・。

馬は、群で過ごすもの。琥太郎にとっても幸泉にとっても、お互いが心強い存在にちがいない。
来年は、愛媛から野間馬が来園予定だそうである。

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時を超えて

2007年11月08日 | 日本の馬
 クリオージョについては、「アルティメイト・ブック馬」(ELWYN HARTLEY EDWARDS編 楠瀬良監訳 緑書房発行)に掲載されている写真で知った。ただし品種としてではなく、優秀なアルゼンチン産ポロ・ポニーの始祖として。
 そのページに掲載された小さな写真のアルゼンチンの在来馬クリオージョ(クリオーロ)は、見たこともない毛色で、どこかドサンコと似た体型。なぜか印象に残っていた。
 クリオージョはもともとイベリア半島のソライア・ポニーという馬で、さらにルーツをたどると、モウコノウマ、あるいはタルバンの末裔らしい。「The new Encyclopedia of the HORSE」 ELWYN HARTLEY EDWARDS編(「アルティメイト・ブック馬」の原本)の、「SORRAIA」の項に掲載されている馬の写真は、まさしく薄墨毛。 そう、あの北海道のドサンコの群にいた馬によく似ている。

ドサンコのルーツも、モウコウマといわれる。
アルゼンチンの在来馬クリオージョと、日本の在来馬ドサンコは、遥かな時を超えて、再び同じ場所に行き着いたのかもしれない。

「薄墨毛」は学術的な名称ではないようだが、欧米にはない、的を得た表現ではないかと思う。
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薄墨毛のドサンコ

2007年11月07日 | 日本の馬
昨年取材させてもらった北大牧場のドサンコの群の中に、変った毛色の馬が数頭いた。
「薄墨毛」と呼ばれていて、河原毛とも黒鹿毛ともいえない不思議な色。
実は、ドサンコとクリオージョの交配によって生まれた「ドサンコ」なのだという。

クリオージョ(クリオーロ)は、アルゼンチンの代表的な在来馬。ガウチョが乗る馬、そして世界で最もタフで頑強な馬といわれている。アルゼンチンでは、クリオージョとサラブレッドとの交配によって、世界に名だたる優秀なポロ・ポニーを生産しているそうである。

純粋なクリオージョの種馬は世界で5頭しかいないそうだが、その稀有な種馬が、東大農学部の牧場にいる。産駒は「クリオージョ系のポニー」として人気が高く、乗馬施設などで活躍しているらしい。

ドサンコとの間に生まれた子供たちは、強く逞しく、愛らしく美しく・・・。この配合、とても相性がよいそうである。
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ドサンコ

2007年11月06日 | 日本の馬
昨年の今頃、在来馬をテーマにした雑誌の取材で、北海道にドサンコを訪ねた。
流鏑馬などに登場するドサンコや、サラブレッドの牧場で当て馬をしているドサンコには間近に接することがあっても、野生状態に近い群を見たのは初めて。

毛色や目の色などが様々で個性的。そんな馬たちが100頭近く集る群は、被写体としての魅力たっぷりだった。本格的な冬を前にした時期だったこともあって、みんなモコモコ。仔馬も母馬も1歳馬も、みんなぬいぐるみのようで可愛いのなんの。
みんな元気だろうか。

北の大地では、雪の声がちらほら聞こえる。また、モコモコのドサンコたちに会いに行きたくなった。

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