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GRASSの日々折々

馬好きフォトグラファーが綴る日々の1ショット。

種子島の牧

2010年05月28日 | 日本の馬
東京に戻る日、鹿児島空港へ向かう上空から見た種子島。

「ウシウマ」という絶滅してしまった馬の取材で訪れたが、かつてこの島は、島全体が牧場で、多くの農耕馬が飼育されていたことを知った。
馬がいた当時は、上空から写真を撮影することはありえなかっただろうけれど、空から見たら馬の姿はどんなふうに見えただろう?

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野間馬グッズ

2010年04月16日 | 日本の馬
写真展を数日後にひかえたある日、とても素敵な贈り物が届いた。
野間馬グッズである。

愛媛県今治市の野間馬ハイランドで撮影をさせてもらったのは6年前。
撮影にご協力いただいた現地の方々へ案内状を送ったところ、野間馬の調教を担当されている女性が丁寧な手紙と野間馬が描かれたタオルを送ってくれたのである。

今治はタオルの名産地。訪れた当時は、野間馬のタオルを探したけれど見当たらなくて、残念に思っていた。
だから、この贈り物はとても嬉しかった。
野間馬の公園「野間馬ハイランド」のオリジナルグッズです。

写真は、ハイランドで暮す野間馬たち。(2004年10月撮影)
このパドックには、芦毛馬の群れが放牧されていた。
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青鹿毛&赤鹿毛

2010年04月15日 | 日本の馬
写真展のお祝いにと頂いた焼酎は「赤鹿毛」。
製造元は、宮崎県都城市の柳田酒造さん。

以前いただいた「青鹿毛」と今回の「赤鹿毛」を味わいながら、都井岬の馬たちを思い出す。
野生馬として300年以上も岬に暮してきた彼らのほとんどが、焼酎の名前のように
青鹿毛や赤鹿毛(鹿毛)の馬たちだ。
不思議なことに芦毛馬や河原毛など白っぽい馬は皆無である。
この地方では、青鹿毛や赤鹿毛の馬たちが重宝されていたのだろうか。
お酒にも、馬の歴史が隠されているようでとても興味深い。

写真は、都井岬の御崎馬。
確かに「青鹿毛」「赤鹿毛」!


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島と馬

2010年04月06日 | 日本の馬
写真展にご来場いただいた方の中に「日本の島」について語った方がいらっしゃいました。

日本の人々は「島」を「旅先」としか考えていないが、「島」は日本にとってとても重要な存在だというのです。なぜなら、日本の国土はとても狭いのに、いくつもの島があるおかげで広域の漁業圏を確保できているのだと。
そういう島々に日本固有の馬がいることは、この上なく貴重なことだとおっしゃっていました。

確かにそのとおりです。
日本は島国。その中に、どれほど多くの島があることか・・・。
日本最西端の与那国は、沖縄本島から500キロ離れています。宮古、対馬、隠岐、そしてトカラ・・・。馬がそこにいなかったら、訪れる機会がなかったかもしれません。
どの島も、独特の風土、歴史があり、「島」というよりは「国」。
大きな存在感を感じます。

「島っておもしろいんですね!」
そう言ってくださったのは、旅行ライターの女性。
馬の写真から、それぞれの島の雰囲気を感じてくださったことが、とても嬉しかったです。

いろいろな視点で写真をとらえてくださる方々の感想は、「目からウロコ」の連続でした。

写真は、与那国島の北牧場です。
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日本馬のルーツ

2010年04月05日 | 日本の馬
写真展にご来場いただいた方々の感想で一番多かったのは、
「どさんこって随分スマートですね」。
ばんえい競馬の馬を「どさんこ」だと思っている方が多いことに驚きました。
次に多かったのは、
「南の島に馬がいるとは思いませんでした」。
馬は北海道、というイメージが定着しているようです。

写真は、昨年、カラコルムのツーリストキャンプ近辺で撮影したモンゴルの家畜馬です。
どさんこや木曽馬の群れを見ているようでした。
モンゴル馬は日本馬(とくに木曽から北の地域)のルーツといわれますが、ヨーロッパを含めたユーラシア大陸、歴史を重ねる中で西洋の馬たちとの配合が行なわれていたとしても、不思議はありません。どの馬も雑種化されていることを感じました。

いろいろな意味で、東の果て日本で受け継がれた在来馬たちは、貴重な存在だといえるでしょう。
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写真展進行中

2010年03月31日 | 日本の馬
おかげさまで、多方面のお客さまにご来場頂いています。

「日本にこんなにたくさんの可愛い馬がいたなんて!」とおっしゃる方が多く、
日本の馬たちに暖かい眼差しを向けてくださいます。

会場に置いてある著書『遠野馬物語』に興味を持ってくださる方も少なくありません。
遠野の馬生産に関する質問も多いです。

写真展は4月2日(金)までです。(最終日午後3時まで)
皆様のご来場をお待ちしています。
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馬がいた原野

2010年01月31日 | 日本の馬
宮城県鳴子温泉は、かつては馬産が盛んな地域で、多くの名馬を輩出していたところ。
今回の取材は、すでにいなくなってしまった馬たちを訪ねるというものだった。

現在の鳴子温泉郷は、陸羽東線の沿線に点在する中山平、鳴子、東鳴子、川渡、そして鬼首という5つの温泉からなる。
そのうち、鳴子温泉駅からさらに車で30分、山形と秋田の県境にもっとも近い鬼首は、その昔伊達藩の隠し牧場があったといわれた地域。まわりを1000メートル級の山に囲れた広大な原野には、昭和になるまで数百頭もの馬が放牧されていたそうだ。
写真は、かつての放牧地。鬼首スキー場のふもとに広がる原野。
ああ、馬の姿がそこにあれば・・・。

今回の取材では、地元の方々にご協力いただき、かつ大変お世話になった。
本当にありがとうございました。
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『日本奥地紀行』に描かれた日本の馬

2010年01月06日 | 日本の馬
明治11年(1878年)の春から暮れにかけて、一人の英国人女性が東京から北海道まで旅をした。その人の名は、イザベラ・バード(1831年生まれ)。

まだ外国人が日本を旅するのが珍しい時代、日本の道なき道を旅した彼女の交通手段は馬だった。栃木、会津、新潟、山形、秋田、青森から苫小牧、日高へ。その旅行記『Unbeaten Tracks in Japan(日本の未踏の地)』は1885年に出版された。和訳『日本奥地紀行』は、1973年刊行。

日光東照宮の建築物の細かい表現や、道中の東北の村々の情景、北海道ではアイヌの村に滞在して見聞きしたエピソードの数々など、どんなドラマよりもリアルに伝わる。

特に、当時の日本の馬や馬子、そして馬の調教方法など、英国の馬事情に詳しい女性が見たありのままの情景が描かれていて、とても興味深かった。
彼女は馬をあくまで「乗馬」という概念で見ているが、日本の馬は駄載馬がほとんど。そのギャップの大きさを実感する。
そんな日本の馬たちを「品種改良」という名目で洋種との交配を進めた国策の結果が、南部馬などの日本在来馬絶滅につながったことを思うと、複雑な気持ちになる。
彼女が北海道で見た馬の調教方法の記述は衝撃的。ほとんど虐待に近く、彼女はそれを調教ではなく、ただ馬の心をめちゃめちゃにしたにすぎない、と書いている。
暴力からは何も生まれない、と。
馬の用途がどんなものであれ、正しい調教については国や時代の違いはないのかもしれないと思った。

この本は、『碧い目の見た日本の馬」(坂内誠一・著)でも、参考文献の一つにとりあげられている一冊。
写真は、競馬新年初日金杯の日の誘導馬たち。

『日本奥地紀行』
イザベラ・バード著 高梨健吉訳
平凡社ライブラリー
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日本在来馬は美しい

2009年12月10日 | 日本の馬
全国をまわって、つくづく思うのである。
日本の馬は「美しい!」。

彼らがもっている資質や潜在能力、それは日本の風土が育て上げたもの。
女性や子供でも扱えたというおだやかな性格、日本人の体型にあった大きさ、よく言われる「粗食に耐える」・・・。
それはとても大切な長所なのだと実感する。

写真は、宝島に里帰りしたトカラ馬のリキとハナ。
毎日トレーニングをしているので、均整のとれた馬体をしている。
そして彼らは、とっても逞しい。
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田中一村画伯が描いたトカラ馬

2009年12月07日 | 日本の馬
朝4時半、奄美大島名瀬港の喫茶室で時間を過ごしているとき、沖縄航路の船内掃除を終えて一服する女性たちと同席になった。
私が馬の撮影にトカラ列島へ渡ったことを話すと、奄美大島にも馬を描いた画家がいたことを教えてくれた。その画家の名は、田中一村。

明治41年栃木県生れ。昭和33年50歳で奄美大島に移り住み、紬工場で染色工として働きながら奄美の自然風景を描き続けた人だという。奄美大島では知らない人はおらず、立派な記念美術館がある。
画集の中に、「トカラ馬」と題された絵を見つけた。その背後に描かれた山が、宝島の女神山に似ていると思ったら、画伯が奄美大島からトカラへと旅をした折に宝島でみた風景を描いたものだとわかった。

田中画伯は、トカラだけでなく、九州を旅した折にも草千里の放牧風景を描いている。
その当時と変らない風景が今もあるのだと思うと、嬉しくなる。
宝島の風景の中にも、確かにトカラ馬がいたのだった。

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