輪王寺の三仏堂は、約50年ぶりの大修理(2007年から2020年 予定)が行われている。
工事の施工業者は、スカイツリーを建設した大林組
これが実物大の三仏堂(金堂)の写真 扁額には金堂と書かれている。
中に入って参拝できる。
大護摩堂
日光山内の社寺は、東照宮、二荒山神社、輪王寺に分かれ、これらを総称して「二社一寺」と呼んでいる。東照宮は徳川家康を「東照大権現」という
「神」として祀る神社であり、二荒山神社と輪王寺は、奈良時代に山岳信仰の社寺として創建されたのが起源である。「二社一寺」が明確に分離する
のは明治初年の神仏分離令以後のことであり、近世以前には、山内の仏堂、神社、霊廟等をすべて含めて「日光山」称し、神仏混淆の信仰が行われていた。
グーグルマップで日光山内を見ると、輪王寺に属する建物が一箇所でなく、日光山内の各所に点在しているのがよく分かるが、それは、このような事情
によるものだ。
この日光東照宮、日光二荒山神社(別宮本宮神社、別宮滝尾神社を含む)、日光山輪王寺(大猷院霊廟を含む)は、1999年12月2日に世界遺産と
して登録された。登録名は、「日光の社寺」である。」103棟(国宝9棟、重要文化財94棟)の「建造物群」と、これらの建造物群を取り巻く
「遺跡(文化的景観)」が登録されている。
私がここへ来たのは、3回目だが、世界遺産に登録されてから来たのは初めてである。
この二社一寺、纏まって世界遺産になっているから仲が良いのかと思ったら大間違い。かっての東照宮は、神仏両方からの参拝を基本としていて、輪王寺の
僧侶が仏事、二荒山神社の神主が神事を執り行う共通の神廟だったらしい。東照宮と輪王寺の争いの発端は、明治4年のいわゆる神仏分離令に遡る。この
事情は、「東京高等裁判所第十二民事部昭和45(ネ)1356:民事控訴事件」の判決の以下の要旨で分る。
「一、 元和三年創建以来日光山座主の管理下にあつた神仏混淆の東照宮は、独立の法主体性を有する神社であつて、神地内にある仏式の七堂塔は、その建造の
当初から東照宮の所有に属していたものと解すべきである。二、 明治政府は明治四年、いわゆる神仏分離令に基づいて、満願寺(筆者注:輪王寺は、戊辰戦争後
の明治2年に政府から称号を没収され、旧称の満願寺に戻された。)僧侶に対し東照宮神地内にある仏式の七堂塔を寺地に移遷すべきことを命じたが、この命令
によって右堂塔の所有権が満願寺に移転したものと解することはできないのみならず、移遷の命令も後に撤回されたので、堂塔は、その所有権の帰属になんらの
変更を生じなかつたものと解すべきである。」
さらに、「経蔵」「薬師堂(本地堂)」など、一部の建物については21世紀の現在になっても東照宮と輪王寺のいずれに帰属する建物であるか決着していない
ようだ。これらの懸案が未だに尾を引いていることは、ごく最近の地元「下野新聞SOON」の二社一寺共通拝観券販売を巡る以下のニュースを読めば分かる。
“世界遺産「日光の社寺」の共通拝観券制度(筆者注:明治時代から続く)をめぐる社寺間の問題で、日光東照宮は2月27日、日光市内で会見を開き、新たな
共通券の販売に向け、日光山輪王寺や日光二荒山神社との協議に応じる意向を示した上で、「輪王寺が謝罪しない限り、崩れた信頼関係は戻らない。協議成立も難しい」
と強調した。輪王寺が東照宮、二荒山神社と共同で運営してきた共通券の販売再開を求めた仮処分申請は、26日に輪王寺が申請を取り下げて終了した。宇都宮地裁が
まとめた審尋調書は「協議成立時には」との条件付きで、新たな共通券の発行が確認された。仮処分取り下げについて、東照宮の稲葉久雄宮司は「400年祭の開催前に
終わることができ、良かった」と述べた。ただし、共通券の再開に向けた協議はそれぞれの主張や思惑で対立する可能性は高く、難航が予想される。稲葉尚正総務部長は
「信頼関係の再構築が不可欠で、そのためには輪王寺が直接または文書での謝罪をするべきだ」とした。3者による協議は今後、「二社一寺」の当番である二荒山神社が
呼び掛けるなどして、開催する見通し。”
私にとっては、神も仏もありがたいと思っておりどちらも平等だ。しかし、明治政府が天皇の神権的権威の確立のためにとった神道保護と仏教抑圧のための政策(神仏分離令)
のせいで両者の対立が深まったのだろう。国が宗教に関与する事はいけないのは当然だが、寺と神社間の裁判を担当する裁判官も大変だろう。白黒つけがたい事案に一方的な
判断を下すと、敗者側のたたりが身に及ぶかもしれないなどと不謹慎な事を考えてしまった。