観・環・感

野鳥観察や旅行、映画などの趣味と日常生活や世の中の状況について、
感じる事を書いています。

ムナグロ

2006年10月29日 | 野鳥
ムナグロは、シベリア北部で繁殖し、冬はアジア南部やオーストラリアなどで越冬する。日本には春と秋の渡り時期に、干潟、水田やハス田など農耕地の付近などに渡来する。
写真の鳥は眉斑が白いので、もしやアメリカムナグロではと思ったが、ムナグロ(冬羽)
この鳥、ダイゼンにも似ているし、また、ちょっと太いなと思ったら、ヨーロッパムナグロであるかも知れない。

手をつなぐ老夫婦

2006年10月26日 | 日記
写真は、14日に蒲生田岬の灯台に登ったとき、帰り際に見かけた夫婦(望遠で撮影、トリミングあり)
この階段、非常にきつい。それに、駐車場から少し距離がある。荷物(それほど重くないが)を担ぐのも大変だから、毎年この時期、ここにタカの渡りを見に来ているが、来る回数も減った。この4、5年、階段に弱い(何にでも弱いが)私は、磯に打ち上げられている適当な木や竹を杖代わりしてに登っているくらいだ。
この夫婦は、灯台まで登ってきたものの、階段がきついため降りるのにかなり苦労していた。私が降り出す相当前に降り始めたにもかかわらず、まだ半分くらいしか降りていなかった。途中で追い越すのもどうかと思って、距離をおいて止まっていた。
急階段の場合、降りるほうが登るより大変、おばあさんのほうが、どうも難儀しているみたいだ。手助けに行こうかなと思っていたら、おじいさんが手をつないで歩き出した。
やっぱり、古い世代は誰も見ていなくても(後ろに私がいることは全く気づいていない。)手をつなぐのに抵抗を感じるものなのかな。手をつないでからは順調に下まで歩くことができた。

カルガモの翼鏡

2006年10月25日 | 野鳥
写真を見ると、このカルガモ、右の翼と左の翼では翼鏡の色が水色と紺色で異なっている。
翼鏡というのは、カモなどの次列風切の光沢がある綺麗な色の部分のこという。この羽の色は色素によるものではなく、構造色と呼ばれ、光の当たる角度で色が違って見える。
カワセミやカラスの仲間の羽も同様に見る方向よって青色、緑色、紫色、また、時には黒く見えることもある。
カワセミの写真ばかりを撮られている方も多いが、この色の変化がまたいいのだろう。

瑞巌寺その2

2006年10月23日 | 日記
土曜日にお茶をいただいた瑞巌寺の書院からの眺めである。
瑞巌寺は、阿波藩主蜂須賀公から山林境内20万坪と三百余石を賜っている。
その後、廃仏廃藩、維新の上地などの難に遭い、現在は1万坪余りとなっている。
ところで、この寺一番の紅葉はというと、「このところの温暖化の影響で、良い紅葉というものが全く見られなくなった」と住職は嘆かれていた。
侘び寂びの庭というより、少々俗っぽさが窺えるというか、俗人の私たちにも少しは分かるように作られた庭という感じがした。(全然違うかも知れないが)住職は、庭師の手を借りずに、一人でこの庭の手入れをされているそうだ。




切支丹灯篭(かくれ地蔵)
徳川幕府の切支丹禁制令の下、ひそかにマリヤを信奉する者が、灯篭にマリヤ像を刻んで地蔵尊と偽り崇拝した。(年代不詳)



イチョウ(乳イチョウという名前の由来が分かりやすい形の気根がぶら下がっている。)
徳島市指定保存木(昭和49年12月11日 指定番号第7号)



瑞巌寺

2006年10月22日 | 日記
勉強会へ瑞巌寺に行ってきた。
瑞巌寺と名のつく寺は多くあるが、徳島の瑞巌寺は、三島の瑞巌寺の一つとして有名だそうだ。
三島とは、宮城の松島、岐阜県揖斐川町小島それに徳島のことである。
徳島の瑞巌寺は、松島の瑞巌寺と同じく臨済宗妙心寺派の禅寺である。
部屋に通されてまずお茶をいただいた。昨日、予行演習として家人からお菓子を器から取るときの箸の使い方から教わった。しかし、この日は茶室でなく書院で、しかも簡易なやりかたでお薄をいただいた。せっかく予習したのにとは思ったが、実のところはほっとした。
この部屋からの月見はなかなか風情があるらしい。月見とは、旧暦8月15日に月を見る行事で、この日の月は「中秋の名月」「十五夜」と呼ばれている。月見の日は、だんごや餅 (中国では月餅)、ススキ、サトイモなどを供えて月を眺める。
月見は元来、旧暦の行事なので、今日の暦では年によって異なる日になる。日本では、旧暦8月15日だけでなく、旧暦9月13日にも月見をする習慣があり、「後の月」「十三夜」「栗名月」と呼ばれており、今年は、11月3日だそうだ。



写真は、お茶をいただいてるところ。この日は、3人のメンバーが奥さんを同伴していた。



その時のお菓子(徳島で一番美味しいと評判の茜庵の黄味餡を月に見立てたお菓子)


その時の掛け軸(やはり月をテーマにしている。)
掛け軸の横の生け花は、住職が生けている。ススキを生けている。(花瓶の中のススキは庭に生やしている)








格差社会

2006年10月20日 | 日記
格差は、2001年4月に発足した小泉政権以後大きく拡大していることは、様々なところで表れている。グローバルスタンダードという米国流が人々の生活の中に弱肉強食の世界を徹底させている状況となっている。
バブル崩壊後、リストラが続いたが、その後も景気回復にもかかわらず、人件費抑制の傾向は異常なほど進み、正規雇用の割合は大きく減った。請負、派遣という雇用形態が人々の低賃金化の流れに拍車をかけているが、これは与党による法律の改正によるところが大きい。このやり方を取り入れたことにより、米国に特有の現象と思っていたワーキングプアが我が国にも一気に広がった。
小泉、竹中に繋がる一部の学者や経済人の意見が、一億総中流と言われた日本の中産階級をあっという間に破壊してしまった。竹中の後を継ぐ形で今後の日本経済に大きな影響を与える立場の経済学者が、本間正明大阪大学大学院教授だ。
2人の関係は、 論壇;目安箱(平成15年10月21日)に載っている。
格差社会を象徴するような話が10月17日の毎日新聞に載っていた。
1足平均10万円のフランス製高級紳士靴を扱う「JMウェストン」は、日本に進出した03年以来毎年2桁の売り上げ増が続いている。
また、JTBは、今年7~8月、08年に豪華客船「にっぽん丸」「飛鳥Ⅱ」で約100日かけて世界一周するクルーズプランを売り出した。価格は1人2,000万円、180人分の予約がほぼ即日完売したらしい。。
一方、非正規雇用の比率は、06年4~6月で32.9%と約3分の1を締めている。
都心のコンビニの時給は、1,000円程度で病気で倒れれば収入は途絶える。
国税庁によると給料所得者のうち年収200万円以下は、95年時は全体の17.8%だったが、05年は21.8%に増えている。
正規雇用であれば、努力と運があれば企業ならば社長に,店なら姉妹店を出せる可能性もあるが、派遣や請負では、何年働いても同じ給料だ。それもいつ首を切られるか分からず、また、年をとると採用されなくなる。
テレビや新聞が北朝鮮、北朝鮮とばかり言っていることが、こういう現実から目をそらそうとしているかのように思われて仕方がない。 (野党が格差問題を大きく捉えていることに対して)

埼玉・東京探訪銀座

2006年10月19日 | 日記
体育の日は2時半の飛行機で帰るので、それまで家人と銀座にでも行くことにした。
東京都内の銀座や新宿などで歩行者天国が始まったのは1970年の夏で、翌年の夏に日本マクドナルドの第一号店が銀座三越にオープンした。ちょうど、二月くらい経った頃、ハンバーガーを買ったのを記憶している。





銀座は、格差を実感する街だ。写真は、銀座ティファニー



この和光ビルの時計塔と木村屋のあんパンの看板との対比が面白い。(向かいの三越の8階食堂から撮った。)久しぶりにハンバーグランチを食べた。



東京・埼玉探訪(長瀞その3)

2006年10月18日 | 日記
有名な長瀞の岩畳は十分見たので、帰ろうと長瀞駅のほうに向かった。駅への道の両側には土産物屋や食堂が並び大勢の観光客がいた。ちょうど昼時だったので、食堂へ入り、メニューにあった「けんちんうどん(800円」)を注文した。私のイメージでは、四国八十八カ所の八十八番札所大窪寺の門前にある八十八庵の「打ち込みうどん750円」のようなものが出てくると思った。
が、やはり、うどんは、香川か徳島でなければ、あるいは、それ以外なら雑誌に載っている有名店(値が高い割には美味しくない所も多いが)でないと、知らない所では
食べてはいけないと肝に銘じた。
長瀞駅に着くと町役場の職員さんらしき人が観光マップをくれた。それによると岩畳以外にも見所は結構ありそうだ。1日フリーの切符を買ったけどまた歩くことにした。


写真の北桜通りは長瀞駅から高砂橋までの約4キロ続く。桜の季節でないので道中、地元に人さえ滅多に会わなかった。



マップで見つけた「金石水管橋」というレトロな響きのする橋、どんな橋だろうと見に出掛けることにした。
想像した橋とは全く違った。後で調べると、児童の作文が基で1981年に架けられたらしい。(それまでは、渡し船で通学、通勤していた。)橋を渡ったところにあるオートキャンプ場にはかなりの車が駐まっていた。


マップに法善寺(フジバカマ)とあったので行っみた。30人くらいのウォーキングの団体もやって来た。(このような案内板があった)






東京・埼玉探訪(長瀞その2)

2006年10月16日 | 日記
長瀞の一番の見所は、この岩畳、幅が50mで長さが600mもある。
ちょうど、この場所がライン下りの発着場だが、残念ながら増水のためライン下りは中止になっていた。


この岩畳の生い立ちを書いてある看板の落書きはいただけない。
(私の住んでる徳島も緑泥片岩の青石が有名だが、緑色に近いのが多いが、同じ緑泥片岩でもこちらの青石のほうが青いようだ。)


これが赤壁(中央くぼんでいる辺りが赤くなっているが、何故赤くなっているのか、記されていない。)

蒲生田岬浪裏

2006年10月14日 | 日記
今日もタカの渡りを見ようと陸地では四国の最東端の蒲生田岬の灯台まで出掛けた。しかし、飛んでくるタカの数も少ない。数は少なくても、のけぞるほど近くまでとは言わないが、もう少し近くを飛んでサービスしてくれないだろうか。
眼下を見ると波乗りの若者が見える。仕方がない。せっかく重たいレンズを持ってきたのだから、鳥の代わりに写真の被写体になってもらおう。
波を見ていたら、葛飾北斎の富嶽三十六景の「神奈川沖浪裏」を思い出した。
この浮世絵、フランスの作曲家ドビュッシーの仕事部屋に飾られていて、絵に触発されて交響詩「海」を作曲したらしい。
神奈川沖浪裏のような波の形になるのは、5000分の1のシャッタースピードで撮ったとき波の形と書かれているが、この写真は800分の1で切った。