観・環・感

野鳥観察や旅行、映画などの趣味と日常生活や世の中の状況について、
感じる事を書いています。

歌舞伎連 その2

2015年08月30日 | 日記





連の名前が舞伎連というがよくわかる踊りだ。


小さな子どもの時からずっと踊り続けている阿波っ子も少なくはない。


無作連その1

2015年08月30日 | 日記
天気予報を見ると雨の日がしばらく続くようだ。
先週の金曜日は、久々の大当たりのバードウォッチングデイだった。
フィールドに出られない雨の日を利用して、枚数だけはたくさん撮影した写真の整理でもしようと思っている。
しかし、このところ、何かと家事に追われているので、まだ阿波おどりの写真の整理も残っている。




同じように見える浴衣でも連によって色合いが違っている。





男踊りで履いている足袋の底はゴム引きで、状はショートブーツのようだ。
足袋で検索すると、2010年度の足袋の年間出荷額26億円のうち約30%を徳島県が占め、出荷額は日本一。

歌舞伎連 その1

2015年08月25日 | 日記
東京高円寺に「江戸歌舞伎連」という阿波おどりに連がある。本家徳島の「歌舞伎連」と浴衣も同じだが、高張り提灯には上に横書きで江戸と書いて
その下に縦に歌舞伎と書いてある。本家の徳島の歌舞伎連の方は、縦に歌舞伎とだけ書いてある。
高円寺の方は姉妹連だが、ネット検索すると、ヒット件数は、江戸歌舞伎連の方がずっと多いようだ。


歌舞伎連の登場。


集合、整列
左端の女の子、誰か知り合いでも見つけたのかな。


二人の外国人、踊りなれているのかちゃんと決まっている。










学生連(京阪神大学連)

2015年08月22日 | 日記

右から3番目の女子学生の帯に挟んでいる団扇を見ると「京阪神大学連」と書いてある。
真ん中の神戸大学と書かれた浴衣の男性の団扇をを見ると、京阪神大学連に参加している大学は、京都大学、京都女子大学、立命館大学、
大阪大学、神戸大学の学生のようだ。




着てる法被から察するところ、赤ちゃんを踊らせているのは、大阪大学の学生のようだ。
この赤ちゃん全く泣きもせず、観客のほうを見据えている。



学生連 (東洋大学連)

2015年08月21日 | 日記






大学連にしては、踊りが上手いと思ったら東洋大学の現役学生やOB、OGが毎年ツアーを組んで本場徳島へやって来てるらしい。
地元徳島出身の学生による「にわか連」ないようだ。
「東洋大学阿波おどり同好会」というものがあって、今年で結成27年目だそうだ。
セールスポイントに「一生懸命踊り、大学連としては非常に評判がいいです。女性による男踊りのしなやかさ華麗さ。そして笑顔と元気を届けます。」
と書いてあるように、爽やかやで若々しい踊りは見るものを笑顔にしてくれる。


無双連 その2

2015年08月20日 | 日記

花むそう
「花むそう」を検索すると「地域資産発見事業」として(財)とくしま地域政策研究所が行った「探そうとくしまのたからもの」の中に
“「花むそう」の阿波踊りは、幕末の嘉永(かえい)(1848年~1854年)頃に、阿波藩お抱え絵師の吉成葭亭によって描かれた
「阿波盆踊り図」屏風(びょうぶ)絵を、現代によみがえらせたものである。この絵には、美しい満月のもと、人々が新町橋を踊りながら
練り歩く様が描かれている。”という記事を見つけた。


この演舞場は、「新町橋東おどり広場」という名称の無料演舞場
後ろに写っているのが現代の新町橋
左の男踊りを踊っている女性の所作の切れが見事だ。


三味線


踊りが終わり「鳴り物」が撤収するところ
袖無し法被を着てる人が連長さんだろうか。

無双連 その1

2015年08月19日 | 日記

無双連の男踊り
切れの良い踊りだ。


無双連のホームページを見ると“男踊りは腰を落とし背筋を立て前傾しない。赤いうちわを切れよくさばく男らしい踊りです。イメージは
『侍』 横一線に並び個性豊かに踊る『七人の侍』”と書いてある。
この背筋を伸ばして腰を落とし、しかも前傾させない格好を保つのは体力的にも厳しそう。


無双連の女踊り
この連の女踊りの見所は足の運び。上げた足を下ろすときは、2本ある下駄の歯を同時に地面につける。この伝統の踊り方をするのは、この無双連だけだそうだ。


夕日に照らされた長襦袢の色が綺麗だ。

本番前

2015年08月17日 | 日記
8月14日、この日は終戦記念日の1日前で、安部首相が戦後70年談話を発表した日である。
そして、徳島市で毎年開催されている阿波おどりの3日目だ。
先祖の霊を慰めるための精霊踊りがその起源ともいわれる阿波踊りの写真を撮りに行った。
まずは、NHK徳島放送局前


小さい子がポーズを取ってくれた。(決まっている。)


黙々と練習している。


こちらも練習。


カメラマンのリクエストの応えて(その1)


カメラマンのリクエストの応えて(その2)
上記4枚が「酔狂連」


「ささ連」
ミーティングだろうか。みんな厳しい表情をしている。



亜麻色の髪の乙女

2015年08月12日 | 野鳥

アマサギ
ここ数年、5~7月(繁殖期)にアマサギを見たことがない。この時期は、亜麻色のふさふさと長い繁殖羽が見られるのだが。お盆にもなるとこんな
ものだろうか。
ところで、亜麻色の髪の乙女 (作詞:橋本淳 、作曲:すぎやまこういち)
は、1968年の「ヴィレッジ・シンガーズ」ズの「亜麻色の髪の乙女」が最初だと思っていた。しかし、今回いつもの癖で検索すると、2年前の
1966年に「青山ミチ」の歌「風吹く丘で」が録音されている。発売直後に諸般の事情により店頭から回収され、製造中止になったらしい。
青山ミチのこの歌は、YouTubeで聞くことができる。ちなみに、歌は上手いが、そのまま発売されてもそれほど売れたかどうか。
2002年に長い髪のヘヤースタイルで歌った、「島谷ひろみ」の「亜麻色の髪の乙女」の方が私はいい。
この曲は、花王「エッセンシャル・ダメージケア」のCMソングでもある。
もちろん、私のお気に入りは、ヴィレッジ・シンガーズのバージョンだ。彼らは、島谷ひとみの同曲のヒットを機にグループを再結成している。
年を取った彼らが同曲を歌っているのもYouTubeで聞くことができる。
余談だが、この曲の作曲者「すぎやま こういち」の本名は、椙山浩一である。椙という漢字は、国字である。
木偏の国字としては、他に枡(ます)、枠(わく)、椚(クヌギ)、栂(ツガ)などがある。
椙は、木偏に昌という漢字である。この昌は、杉の柾目からきてると思ってた。実際は、木が盛んに伸びるという意味からだそうだ。なるほど、
盛も昌のどちらも盛んなありさまのことで、「盛昌(せいしょう)」という言葉もある。盛昌の意味は、物事の勢いの盛んなこと。
「しょうばいはんじょう」は、商売繁盛、商売繁昌とも書かれている。

天竜寺 その2(無窓国師)

2015年08月11日 | 旅・風景・グルメ
天竜寺の創建を足利尊氏、直義兄弟に勧めたのが無窓疎石。
無窓疎石は、存命中に国師号を後醍醐天皇(夢窓国師)、光明天皇(正覚国師)、光厳上皇(心宗国師)から賜与され、亡くなってからも4人の天皇
から国師号(普済国師、玄猷国師、仏統国師、大円国師)を賜与されていることからも非常に優れた人物であったことが分かる。
無窓国師は、天竜寺の創建より前にも足利尊氏兄弟に元弘の乱以来の戦没者の霊を弔う趣旨で、全国に安国寺、利生の建立を勧めている。
(この建設は、1337年から始められ、1345年に北朝に奏請し、正式にこの寺塔名を決定したもののである。)
無窓国師は、後醍醐天皇を弔うためと足利兄弟に天龍寺の創建を勧めたが、当時室町幕府は、南北朝の戦乱のための費用と部下への恩賞を気前
よく与えたために、財政が逼迫していた。尊氏は、天龍寺造営のために備後国、日向国、阿波国、山城国などの諸国を寄進したが、資金不足で建設が
進まない。そこで、元との貿易をすることで、寺の建設資金に充てることにした。これが俗にいう天龍寺船。
無窓国師に最初に国師号を賜与したのは、後醍醐天皇であるが、夢窓は足利家とも縁があり、足利家の内紛である観応の擾乱では調停も行っている。


建物は、何度も火災に遭っているが、庭園は今もなお天龍寺創建当時の面影を残している。
無窓国師は、世界遺産登録の西芳寺とこの天龍寺の他にも多くの作庭をしている。


方丈の中にある龍の襖絵。アクリル板で覆われているので、外の庭園と鑑賞している人々が写り込んでいる。
これが面白い。


曹源池と呼ばれる池を中心として、手前に白砂を敷き緩やかな池汀としている。この池は何度か改修されているらしい。
奥には立石を配し荒磯や石組を組むなど、日本古来の州浜景観と大陸由来の山水景観が見事に調和している。


背後の山並みをうまく取り込んでいる。


美しい庭が見られるのも日々の手入れのおかげだ。