観・環・感

野鳥観察や旅行、映画などの趣味と日常生活や世の中の状況について、
感じる事を書いています。

写楽の会 活動再開

2017年01月30日 | 写楽の会

地元紙・徳島新聞の第1面に載った記事(2017年1月19日)
記事に写楽の会16年ぶりの再開とある。というのも、会の創立2年後の97年に、浮世絵師・写楽の正体とされていた阿波藩の
お抱え能役者斎藤十郎兵衛の過去帳を当会が発見したことによって、その実在をほぼ確定的にしたこと。その結果を踏まえ、数年間は
シンポジウムなど様々なイベントを精力的に実施していたが、………で、事実上休眠状態になっていた。

活動期に作成したメンバーによるホームページがこれ

上記の新聞記事を機に今回新たにメンバーが作成したホームページがこれ
(当ブログに上記ホームページをブックマークに追加した。)(

本日は、写楽の会の新役員(案)、今後の事業計画(案)と組織のNPO法人化の協議を行った。

私は、創立メンバーの一人でもあるが、ブログを始める以前に写楽の会は休眠していたので、写楽の会に触れたブログ記事は。これだけ。
これから少しは写楽についても触れようかと、このブログに「東洲斎写楽」というカテゴリーを追加した。







砂州のシギ・チドリ その1

2017年01月27日 | 野鳥





大きいのがチドリ目チドリ科のダイゼン冬羽
小さい方がチドリ目シギ科のハマシギ冬羽、第1回冬羽

キューバの話

2017年01月22日 | 日記
先日の勉強会は、昨年9月の安倍首相の訪問後にメンバーの一人がキューバを訪れた時の話だった。
キューバと聞くと何よりも鮮明に覚えているのは、1962年のキューバ危機である。当時、テレビを見ながらアメリカとソ連が
全面核戦争に突入するのではないかと不安を感じていたのである。
史実とは違うところもあるようだが、当時の緊迫感がヒシヒシと感じられるのは、ケビンコスナー主演の映画「13デイズ」だ。
これは、当時のアメリカ大統領ジョン・F・ケネディ(45才)、弟の司法長官ロバート・F・ケネディ(36才)とケビンコスナー
演じる大統領特別補佐官ケネス・オドネル(38才)という若い指導者の苦悩と決断の様子をドキュメンタリー風に描いた作品。
緊迫シーンでは映画だとは分かっていても、思わず息を飲むほどの作品となっている。
キューバとアメリカのフロリダとの距離は145km.
国土地理院の「都府県庁間の距離」によると広島県庁から香川県庁までの直線距離が145.8km、都庁からだと静岡県庁
までが142.8km。ちなみに、北海道だと函館から札幌のまでの直線距離は約150km。
こんなに近いのに彼が行ったときには、アメリカとキューバ間に直通便はなかった。だから、日本からはカナダのトロントまで行き、
そこで乗り継ぐのが一番早いらしい。トロントからは3時間半だと話していた。なぜ、アメリからキューバへの直通便はないのかと
言えば、キューバ危機の前の時代まで遡る。
キューバはスペインの植民地だったが、スペイン支配者の圧政により1830年代から独立機運が高まっていた。しかし、スペイン・
アメリカ戦争によるアメリカの勝利によりアメリカの軍政を経て1902年に独立。独立と言っても名目上だけで、事実上、アメリカの
支配下にあった。時は移り、1952年バティスタがクーデターを成功させると独裁政治が始まり、富は、政権、アメリカそしてマフィア
が独占した。そこへ、昨年11月25日に亡くなったフィデル・カストロが登場…………(盟友のチェ・ゲバラまでいくと話が止まら
なくなるので止める。)1959年カストロが政権を取り、外国資本を没収するとアメリカは空爆をはじめ、あらゆる妨害工作をし、
ついに1961年1月、国交断絶。同年4月にソ連を頼りにするほかなくなり、社会主義国家を宣言。冒頭のソ連のキューバへの
ミサイル基地建設計画によるキューバ危機に繋がるのである。
昨年、オバマによって、54年ぶりにアメリカとキューバのは国交は回復したが、トランプ政権になった今後はどうなるんだろう。


白鳥の田圃

2017年01月19日 | 野鳥

最近、この付近の田圃にナベヅルがよくやって来るようになった。
餌があるということだろう。
土地改良事業により圃場整備が行われた田圃では、稲刈りが終わるとすぐに耕し、やがて土が乾燥化し、化学肥料の農薬の大量使用も重なり
小動物や草も少なくなる。
しかし、最近は稲刈りの後すぐには耕起せずに水を張る農法「冬水田圃」が増えている。実践する農家の方の苦労は大変だが、野鳥にはありがたい。


嬉しそうに草を食んでいる。


ごく近くを車が通っても全く気にしない。散歩をしている人が通っても同様だ。危害を加えない事を知っているからだろう。


水に浮かんでいるときは下半身は見えないので優雅だが、。







白鳥の小川 その3

2017年01月18日 | 野鳥

ウィキペディアによるとコハクチョウの体長は、115~150cm  翼開長は、180~225cm
オオハクチョウ 体長140~165cm 、翼開長218~243cmとある。
個体識別は、大きさでは分かりにくいが、幼鳥の場合わかだと、嘴部分でかなり相違があるので識別しやすい。


大きい体だけに助走距離は、結構長い。





白鳥の小川 その2

2017年01月17日 | 日記

コハクチョウが鳴くときは頭を上げているようだ。




アンデルセン童話の「みにくいアヒルの子」って知ってる。


俺たちは、親のように前身な真っ白な羽になるまで2ー3年かかるんだ。





白鳥の小川 その1

2017年01月16日 | 野鳥
野鳥の会の仲間のブログにコハクチョウの幼鳥の写真が載っていたので、場所を教えてもらい行ってみた。
そのときは、不耕起の田んぼで草を食んでいたが、車道からは遠かった。
次に行ったときには、付近を流れる二級河川にいた。やはり、白鳥は水辺がよく似合う。








いずれも車の中から撮影(多少のトリミングあり)

「だるま」になるまで

2017年01月14日 | 日記

1月7日午前7時5分
海面に浮かぶ雲が心配


7時7分


7時8分


7時9分
だるま人形の形には前回ブログの写真よりこちらの方が似ている。

ところで、だるま人形のモデルは、禅僧の達磨大師であることはよく知られているが、大師の弟子の話によると5世紀後半に南インドの国王の第3王子
として生まれたとされている。
中国洛陽郊外の嵩山少林寺で壁に向かって9年間座禅した話は有名だ。しかし、飲まず食わずに9年間も座り続けられずはずはない。その間、動物や
山賊から身を守るため武術の練習をしていたという話もあり、少林寺拳法の祖とも言われている。ということは座り続けて手足を壊疽で無くした話は
可笑しい。民俗学者の吉野裕子氏によるとダルマ人形の発祥の地は、群馬県高崎市近郊の少林山達磨寺とのこと。水戸光圀が帰依していた中国僧の
心越禅師が開いた寺である。心越禅師の一筆書きの達磨像を9代目住職の東嶽和尚が木型に作り、当時続いていた天変地異の邪気を祓う呪物として
農民達に伝授したのが始まりだそうだ。つまり、だるま人形のモデルとなった絵が一筆書きだっため、手足が無い人形になったのであり、この人形を見て、
長期間の座禅修行でで達磨大師は手足を失ってしまったとされたのだろう。





だるま太陽(2017年1月7日午前7時10分)

2017年01月12日 | 日記

1月7日の日の出時刻は、午前7時8分だった。
蜃気楼現象によりこのようなだるまの形にになったのは、2分後の7時10分


上の写真を撮った13秒後には、このように二つの太陽が離れた。

この日、天候に恵まれたのはありがたかったが、小舟とか鳥とか木の生えた岩も欲しかった。


神社詣で(阿智神社 前宮)

2017年01月11日 | 旅・風景・グルメ

阿智神社は、環境省の調査で「星が最も輝いて見える場所」第1位に選ばれた長野県阿智村にある。この日泊まった昼神温泉「慶山」の近くだった
ので行ってみた。

鳥居を潜って境内に入るのが作法だが、この注連縄の高さでは腰を屈めないと通れない。何か差し障りがあるのかと潜るのを止めた。


阿智川の橋にの上に飾られていた「湯守り様」
江戸の中期、湯の瀬という浅瀬に、一頭の鹿がうずくまっていた。この鹿を見つけた三人が近づいてみると、鹿は足にけがをして動けず、そこに
湧き出している水で傷口を癒していた。その水に手を入れてみると、水は温かかく硫黄の臭いがした。三人は、神の思し召しにちがいないと鹿を助け、
さっそく「湯屋権現」の神として祀り、湯の瀬を大切に扱ったと伝えられている。この湯屋権現の話は、江戸時代にも温泉があったといわれていること
を示す。この湯屋権現が12月1日より3ヶ月間お湯に浸かって寛ぐので、この間、湯屋権現の代わりを務めるのがこの湯守り様。ホテルの玄関前にも
飾られていた。
湯屋権現神社は、阿智神社のすぐ北にある。

ところで、現在の昼神温泉の歴史は新しく、1973年、トンネル工事によって発見されたらしい。現在、この橋の架かっている阿智川の両側に約40軒
の温泉宿がある。
鎮座地である「昼神」の地名は「蒜噛」を好字に替えたもの。日本書紀に日本武尊が信濃の山中で白鹿となって現れた神に、蒜を投げつけ殺したため、
道に迷い難渋したが、白い犬に助けられ美濃に出たとある。
この後、山を越えるものは蒜を噛んで人や牛馬に塗ると神気にあたらなくなったとある。