観・環・感

野鳥観察や旅行、映画などの趣味と日常生活や世の中の状況について、
感じる事を書いています。

ヴァンジ彫刻庭園美術館 その1

2016年08月22日 | 旅・風景・グルメ
ヴァンジ彫刻庭園美術館は、故岡野喜之助氏(来館当時は、館長・スルガ銀行副社長)が1995年フィレンツェで見たヴァンジの大回顧展での感動を
駿河平にイメージしたのがきっかけとのこと。世界で唯一のヴァンジの個人美術館として2002年開館。また、氏の奥さんの「野外に置かれた彫刻にクレマチスの
花を添えたら」という提案にヴァンジも賛成して今の庭園美術館になったらしい。イタリアを代表する現代彫刻家ジュリアーノ・ヴァンジは、現在85歳。
なお、父で第3代駿河銀行頭取であった岡野喜一郎氏は、1973年にここ駿河平に世界初のベルナール・ビュフェ美術館を作っている。


ヴァンジが下絵を描いたモザイク壁画


美術館入り口


いつものように館内撮影禁止かと思い、館内展示作品の写真は撮っていない。 パンフレットから抜粋











伊豆長岡温泉 三養荘

2016年08月19日 | 旅・風景・グルメ
三養荘は1929年、旧三菱財閥の創始者岩崎弥太郎氏の長男久彌氏の別邸として建設された。
その後、1947年、旅館「三養荘」として15棟で営業を始め……、1988年には、文化勲章受章者の建築家 村野藤吾氏設計による新館をオープン。
私が泊まったのは、2回とも新館だったが、今回は、新館の一番の大きな部屋に泊まることができた。この広い敷地に客室は僅かに36室しかない。
ホテルは、プリンスホテルの系列である。
「三養荘」とは、岩崎家の家訓とされていた中国北宋代の政治家、詩人、書家の蘇 軾(蘇東坡)の「三養訓」に由来。


この3000坪の庭は、京都の庭師、小川治兵衛の手による。




この石塔は、なんだか謂われのありそうな物らしく、庭園の案内タイムの時間にはかなり説明に時間を掛けていたようだが、
写真に夢中で説明は上の空だったので、詳細は残念ながら書けない。


三の間まである。


庭の眺めは最高。


洗面やトイレに出る廊下。自分の部屋で迷子になりそうだった。


掛け流し温泉。
大浴場の露天風呂よりこちらの風呂の方が気分が良かった。












ある日の午後の紅茶

2016年08月15日 | 旅・風景・グルメ
こうも暑い日が続くと、ますます外に鳥を見に行く機会が少なくなる。
家の中でアマゾンプライムのビデオ見放題にもだいぶ飽きてきた。撮りためた写真の整理をだらだらとやっている。
ところで、私は、コーヒーを一切飲まない。苦いのが不得手な事もあるが、たぶんあの匂いに弱いのだろうと思う。だから
アイスコーヒーにミルクをたっぷり入れ、ガムシロップを入れると飲める。
私の学生時代と職場での新人時代は喫茶店ブームの絶頂期だった。だから、すぐに喫茶店に行こうという話になる、みんなが
飲んでいるコーヒーにも相当挑戦してみたが、飲むと頭がクラッとし、気分が悪くなる。だから飲むのをあきらめた。夏場は
コーラで冬場はホットミルクを注文していたが、喫茶店でコーラやミルクは少数派だ。紅茶を飲み出すとお茶付きの私としては、
これが結構体に合った。紅茶は、暖かいのも冷たいのも美味しく飲める。
だから、レストランに行った時、たとえ、全員がコーヒーでも私は紅茶である。


御殿場のマースガーデンウッドのイタリアンレストラン「フェニーチェ(イタリア語で不死鳥の意味)」での昼食時、窓から噴水の
ショーを見ていた時に撮影した飲みかけのアイスミルクティー。


座ったテーブルの位置が窓から離れていたので、うまく撮れなかった。(富士山をイメージしているらしい。)


帰り際に撮影したレストラン「フェニーチェ」と噴水のしかけ。

天皇陛下のお気持ちの表明(抜粋)から

2016年08月09日 | 日記
今の天皇は、現人神から人間になった昭和天皇と違い、即位したときから人間であり、最初から象徴天皇である。
故に、陛下は、象徴としての役割を誰よりも一番よく理解し、全身全霊で努めてこられているのだと思う。
その陛下が、日本国にとって忘れてはならない終戦記念日の1週間前に、お言葉を述べられてということは、大変深い
お考えがあるように思える。
国家主義・軍国主義の時代から民主国家へと変貌するまさに最中に、教育を受けた陛下のお言葉を抜粋して、私流の
解釈を書いてみる。

“本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場
上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと
思います。”

”即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索
しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と
世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えて
いくかを考えつつ、今日に至っています。”

“天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場へ
の理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚
を自らの内に育てる必要を感じて来ました。”

“天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らし
にも様々な影響が及ぶことが懸念されます”。

“憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り
返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、
そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話し
いたしました。”


「天皇は、神ではなく人であるから高齢になれば、当然衰えてくる。皇室典範では、生前退位についての規定は、定め
られていない。象徴天皇の立場としては、法律の詮索はできない。
しかし、今までには考えられなかった超高齢化の時代だからこそ、時代に応じた定めも必要である。高齢だからということで、
国事行為や象徴としてなすべき天皇の行為を少なくされてはどうかという考えが巷間見受けられるが、それは誤りである。
象徴天皇の役割や意義を意図的に理解していないのか、または、無視している人の考えである。
私は、象徴天皇としての役割の理解や努めに全身全霊で励んでいるからこそ、また、その当事者であるからこそ、象徴天皇
の重大さを身をもって感じている。
昭和天皇の逝去前後には、ことさら日本国全体に重い空気が流れたがこのようなことは良くないことである。象徴天皇の
役割を十分果たせるよう時代に応じた法律の改正も必要である。」

(皇室典範の改正は、単に法律の改正であり、憲法の改正とは全く異なる。巷間、皇室典範の改正に乗じて、憲法を改正し、
再び国家主義・軍国主義の道を開こうとの思惑があるが、それは間違いである。昭和天皇の息子であり、また象徴天皇である
私は、「日本国敗戦」の重さを誰よりも理解し、二度とこのような悲惨な事があってはならないと誓うためにも慰霊の旅を
続けてきたのである。)