散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

日本政治における「聖」なるもの~終戦「聖断」からTTP「聖域」へ

2013年08月29日 | 政治理論
「終戦の日」を決めたのは一般国民(サイレントマジョリティ)の黙示的反応が基盤にあった。しかし、それは天皇の「聖断」という決断と「玉音放送」という情報経路があったからだ、と考えた。
 『敗戦の日と終戦の日の違い~権力から社会への「情報」の循環20130820』
 
即ち、敗戦の受入を天皇による終戦の聖断という形をとった。敗戦は日本の問題である。一方、終戦とは世界全体の問題である。日本の統治者ではなく、その上位にいる天(伝統)の判断とせざるを得なかった。ここにおいて、明治維新での薩長政権によって復興した“天皇制政治”は崩壊した。

それを更に復興したのが戦後の日本国憲法による“象徴天皇制”である。それは天皇の活動を、1)非政治的2)社会的見守り3)自然探求の領域に限定したからだ。皇居という場は日本の中心における広大な敷地であるが、象徴的な意味で非日常の存在から日常の場へと転換した。

なお、昭和天皇の聖断を調べると、1945年8月ポツダム宣言受諾は、その受諾を巡って御前会議が紛糾した際に、天皇自ら受諾の決断を下したとされる。「聖断」といえばほとんどこの例を指す。一方、二・二六事件では昭和天皇は反乱将校に激怒、徹底した武力鎮圧を命じた。天皇自ら近衛師団を率いて鎮圧すると述べた。
 
しかし、これは権力機構内部の出来事であり、「天皇―国民」の情報経路が働いたわけではない。したがって、「天」の判断との形ではなく、統治者としての個人的な行為と考えて良い。天皇の発言を即聖断とするのは問題の性格を曖昧にすると考える。

最近のTPP交渉参加は、「聖域無き関税撤廃はない(関税に聖域はある)」との米国・オバマ大統領の回答で決めている。交渉であるから、決めるのは参加各国の意思であって、それ以外のものではない。

この「二重否定」の回りくどさは、“聖域=誰も手を付けられない”との表現によって主体を消し去り、自らの判断を他者の発言に押しつける処にその特徴が有る。現代においても日本の政治では「聖」なるものは生きているのだ。

 

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