散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

『スイミー』としての橋下徹(3)~状況型リーダーシップの登場~

2012年03月05日 | 政治理論
この2回、過去のスイミー論を振り返った。
4年前の改革知事集団「せんたく」も、2年半前の「首長連合」も、複数人もの一国一城の主が集まっては無理があったのだ。

結局、橋下氏が大阪都構想をまとめ、大阪維新の会を立上げて『スイミー』が誕生した。このモデルのポイントは「同じ領域に集まり、同じ方向を目指し、同時に行動する」こと、“集合・指向・同時”と指摘したことを振り返れば、この“統合力”が、小さい集団であっても大きな効果を発揮し、停滞した感のある政治状況に風穴を開けたことになる。

橋下氏が他の首長(経験者)と異なるのは、自治体のみならず、国の機構も改革すべきことを積極的に発言し、行動していることだ。これまでは、地方分権、国への批判を主張しても、現状の制度的安定を前提に代表的リーダーシップとして国へ要望するスタイルから脱していなかった。これに対し、橋下氏のスタイルは現状打破を目指す状況型リーダーシップになる(「現代政治学入門」(有斐閣)P76)。

状況型リーダーの持つ基本的な政治イメージは「動乱」である。制度が不安定化し、社会的な不安、不満が高まるなかで登場するのであるから、流動的な政治状況に主体的に対応する柔軟な構えが必要である。

当然、手段を最終的な政治目的に従属させるから、革命のリーダーシップと似てくる。明確な敵づくりと激しい言葉による攻撃などである。また、法体系の枠組のなかで、統治機構の変革を革命ならざる維新として進めることから、そのシステムに対して目一杯の解釈をして自らに優位な戦略を冷徹に遂行する。

これらのことは、従来の地方自治体政治家のスタイルに慣れた人には奇異に映り、批判を生むことにもなる。しかし、これは橋下氏の状況認識とアプローチの枠組が従来の方法と異なることを意味しているに過ぎない。

状況型リーダーは創造型と投機型に分かれる。橋下氏はビジョンを持ち、ヒットラーのような投機型とは対極的な創造型である。とは言っても、創造型と投機型はメダルの表裏のような関係にもある。政治学と精神分析学の素養があれば容易に理解できるであろう。

小説「ジキル博士とハイド氏」に描かれるように、揺れ動く状況のなかで判断を迫られる現実の人間としてのリーダーには、両方の型が共存しているであろう。どちらと決めつけるわけにはいかず、問題はその“両義性”を処理する仕方にかかる。

従って、ハシズム論争は仕掛ける方も、受ける本人にも実りはなく、マスメディアも含めて不毛の増幅による疲労だけが残る。政治学者・山口二郎氏と精神科医・香山リカ氏が一緒になっても、橋下氏に対する冷静な理解ができなかった。イデオロギーが先行したのか、自らの学問分野だけに関心が向いているのか…両方のように見えるのだが。

ともあれ、橋下氏と大阪維新の会は、大阪の政治的権力を掌握した。大阪都構想の実現は必達であり、また、真の成果は成長戦略も含めた経済政策に尽きるが、一朝一夕にいくとは思われず、行き詰まりも有り得る。更に、橋下氏は国政への参加を表明し、憲法問題も含めて政策も公表、世論調査においても全国的に期待が高まっている。

これら政治課題の全体像を考えれば、前例のない状況に今後も遭遇することが予測される。このとき、創造性を働かせ、投機性向を抑止することが必要だ。この視点から、次の点を指摘しておきたい。

1)急速に膨張する集団には政治的オポチュニストも存在する。従って、その発露を抑えることが必要になる。小泉・小沢両チルドレン、減税日本の例もある。「市職員からの維新市議団への苦言」との報道も一例かもしれない。

2)討論を越えた過剰な言語による攻撃は、橋下氏にとって計算済であろうが、そのやりとりを情報として受けとる不特定多数の有権者に対し、ネガティブな攻撃性を助長することが想像できる。これが1)にフィードバックされると悪循環になる。

最後に、大きな機構改革を目指すことに伴い、そのプロセスとして、政治学者・京極純一氏、永井陽之助氏の言う“機構信仰” (『平和の代償』(中央公論社)P176))を抑え、将来を構想する議論を起動させられるのか、注目したい。

ここで、機構信仰とは、憲法あるいは基本法体系を国家機構の規定に止まらず、個人の内心の基準とすることである。冷泉彰彦氏が「from 911/USAレポート2/12号」において、国旗へ礼をすることなどを批判している。筆者は機構信仰の形式化した表現かと考えているが、政治のトップが公式の仕事の一環としてやることに、ある種の不気味さも感じている。

顧みれば、小泉改革、民主党旋風、そして橋下氏への期待と、私たち有権者は、政治的判断を揺れ動かしてきた。判断を固定させず、都度、浮動させることは必要だ。しかし、進化と安定を両立させた政治を可能にするには、私たちは自ら情報を検証し、考え、選択する“主体的浮動層”として政治的に成熟していくことが、更に大切であろう。



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