散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

スイミーとしての橋下徹(1);再論・スイミーモデル・新党「自治体」へ向けて

2012年02月12日 | 国内政治
1.はじめに

今から4年前、表題の“スイミーモデル”を考えた。
『スイミー』はご存じの絵本、レオ・レオニ作、谷川俊太郎訳(好学社)、小さな魚たちが集まり、大きな魚に見せかけて、大きな魚を追い払う話である。そこから現時点で、橋下徹市長を“スイミーモデル”の『スイミー』として考えるのは、自然の発想だろう。

そのときは、北川正恭・早大マニフェスト研教授を中心にした改革派知事が「せんたく」を旗上げした。それを知ったのは上山・慶大教授のブログであった。その上山氏は橋下徹市長が府知事の時代からの顧問として大阪府市改革に携わっている。橋下徹市長が率いる大阪維新の会の国政進出も含めて、今後の動向を知るうえで、そのブログは必読である。

これは偶然の一致があるにしても、問題意識は繋がりがあると考えられる。そこで先ずは4年前に何を考えたのか明らかにするために、以下の記事を若干の文言を直し、不要な部分を除いて再録する。

メルマガ42号2008/02/03『スイミーモデル~新党「自治体」へ向けて~

(1)問題の所在
「川崎市行財政改革・政策体系を視る眼」において『地域主導権』という言葉を使った。今後の自治体の国に対する戦略として、以下のように述べた。
「アジャイルな活動により逆に国の改革を迫る『地域主導権』を確立する。」

「そこで考えるべきことは地方分権というよりも『地方主導権』である。改革の事例を地方から国への突きつけ、逆に国家機構の改革を迫ることである国は一つであるが、地方自治体は無数にあり、小回りがきいてアジャイルな活動ができるからである。これが『地方主導権』となって国全体を動かすことに繋げていけるのか。それが市民との連携からみた国への戦略である。」

「サッカーにおいても守備において敵の攻撃について走るのは精神的にも疲れる。しかし、敵の動きを読んで走るとボールを奪って反撃に移ることが可能である。劣勢のチームはそのようにして速攻からの得点を狙う。狙いを持って業務革新を続けていけば、本当の“地方自治”を可能にするチャンスはこれからもある。」

そして、その突破口は「新党・自治体」を結成することと考える。すなわち、“スイミーモデル”、地方主導権による政治改革のアナロジーとしての政治的モデルは明らかである。

(2)集合・指向・同時
このモデルのポイントは、「同じ領域に集まり、同じ方向を目指し、同時に行動する」ことである。“集合・指向・同時”である。

同時性の教訓は株式市場に代表されるマネーの動きによって明らかである。一方、政治的には、現代革命理論のキーワードである。アラビアのロレンス以降のゲリラ戦にとって正規軍を分散させる基本戦略になっている。赤軍派の「世界同時革命理論」或いは「同時多発テロ」もそうである。

日常、平穏無事に過ごそうという我々のような市民にとってこのような、物騒な言葉とは、縁の薄い関係であって欲しいのだが、この世界の政治、経済環境からは脱がれることができないことも確かである。ジョージ・オーウェルが述べたように、ヘンリー・ミラーのように『鯨の腹の中』にいない限りは、である。

『スイミー』は少学生の教科書にも現れる話のようだが、そこでは、団結は力なり、の道徳的?教訓話にもなっているようだ。絵と文に表れた芸術性の高い話が単なる他愛もない教訓話になっていることは、どこか日本の教育論議を象徴しているかのようである。

それが当然ながら、うわべだけの話と子どもたちに受け取られ、極少数の人間だけが大人になって「革命活動」の教訓に覚えているのであれば…。つい最近、答申を出した首相諮問の教育会議?の議論も同じように上滑りし、おそらくどこかで“悪用”されるだけのようにも思える。

閑話休題。
『地方主導権』の動きが政治的に有効な活動になるには『スイミーモデル』は判りやすいイメージを提供するであろう。しかし、これはあくまでもイメージの世界の話であって、現実の話とは別である。但し、イメージをもっているということは現実の活動の方向性を規制していくことにもなる。

(3)地方主導権から新党・自治体へ
ところで、『地域主導権』の動きが早くも現れた。地方自治体改革の実践にも携わった上山・慶大教授のブログに、「改革派知事の新連合発足へ 以下は東京新聞。 『改革派知事』ら新連合 分権推進へスクラム 超党派議員賛同募る」という記載があった。
最近の報道によれば、「せんたく」の結成である。

新聞によれば、「従来型の団体とは一線を画し、政党、霞が関を突き上げながら主体的な改革に取り組むことを目指す。」ということで将に“地方主導権”というコンセプトが出ている。中心は前三重県知事、現早大教授の北川正恭氏で、満を持してのタイミングのように思われる。神奈川県の松沢知事も参加することを表明している。「政党、霞が関を突き上げながら」という考え方が、「改革の事例を地方から国への突きつけ、逆に国家機構の改革を迫ることである。」と思想的に一致する。

即ち、“地方主導権”の考え方と一致しており、そこから「新党・自治体」まであと一歩である。しかし、その一歩は相当遠いかもしれない。

“地方主導権”が「地方分権」を目指すだけであれば、国の運営からは遠ざかる可能性がある。それぞれの地方のエゴがぶつかるのは当然であるが、それを統合していく契機がなくなる恐れがある。それでなくても日本は滅私奉公の残滓を色濃く残している。滅私奉公はまた、私利私欲をその裏側に隠しもっている。「分権」された地方によって分断されれば、現在の官僚制度の中での省庁による分断に上乗せした縦横の分断地方が輩出する可能性もあるのだ。

おそらくEUの発展をモデルケースにしながら“分権と統合”のジレンマに立ち向かう覚悟をもつことによってのみ、「新党・自治体」は生成し、成長するようにおもわれる。

(4)様々な応用
“スイミーモデル”は更にある種の普遍性をもっている。即ち、小さいものが提案し、大きなものの既得権益或いは惰性を打破しようとする場合である。例えば、ひとりで役所へ提案し、それが却下されたとしても、言い換えれば勝負に負けたとしても、相撲に勝っていれば、それが抑止力として働くことは確かである。加えて、後で大きく発展する可能性も秘めている。

筆者自身が試みてきたことも結局、同じ言葉で表現されることになるかもしれない。
そのホームページに書いた「“探検”川崎市政との対話」を「“スイミーモデル”による活動・川崎市政との対話」との長い副題にしたくなるのだが。

以上が4年前の論稿である。“地方主導権”(大阪都構想)から「新党・自治体」(大阪維新の会)まで、方向性は間違いはなかったと考えている。
実は、更にそれから1年半後、今から2年半前、衆院選挙へ向けて首長連合が結成されたときに、再度「スイミーモデル」を考えた。次号で紹介する。

         

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