勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

近々のGikoohは

2016-06-02 22:19:25 | Weblog
今日から6月。今年も折り返し地点を迎えたが、季節は初夏から梅雨へと移り替わろうとしている。

先月末は、檀務で法事と葬儀が続く一方で、子供達の通う小学校の運動会、また、勝福寺から6キロほど東を流れる高梁川の河川敷(総社大橋上流)で開催された高梁川総合水防演習を見学するなど、少々多用な日々だった。そして昨日は、久々に落ち着いたので、あるお方と、あるお方のお宅を訪問させて頂いた。家屋も周辺の環境も本当に素敵な空間なのだが、ご夫妻とご家族の温かな人柄に心洗われる清らかなひと時になった。今日の出逢いはGikoohのある思いを実現する為のプロローグだが、これは行く行く先で紹介しようと思う。

さて、今回は「お寺」というパブリックな空間について考えてみたいと思う。以前から問題提起されてきた少子高齢化社会は、日本経済の縮小に伴い、やがて我々の生活にも大小の影響を及ぼしてくることが示唆されている。それに加えて最近では、年齢問わず個人の孤立化が目立つようになっているという。今後の社会が寺に求めることは何であろうか。

現在、福祉の分野で最前線にいるGikoohの幼馴染から「核家族社会は年配者を孤立させ、多くの子供の孤立をさせる」と聞いたことがある。この一文だけで多くの説明はいらないと思うが、Gikoohはある1つの試みを立てており、それがある思いを実現することと関連しているのだが、様子を見ながら世に提唱するつもりだ。

最後に、先日の防水演習の写真を1枚。この会場はもともとモトクロスバイクの走行コースがあったり、樹木に覆われた鬱蒼とした雑木林だったのだけれど、演習の為かどうかは知らないが、広範囲に整備された。万が一に備えての大事な訓練だと思うが、今は現存の広場を使い、これにかかった費用を震災復興に回せば良いのにと、ここを通るたびに思った。防災関係機関が相互に連携した複合型災害に対する各種訓練なので、はやり必要か。
コメント
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