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歴史街道を歩く会 5月例会  姫街道の気賀宿  その後は見付宿へ

2017年05月27日 23時28分11秒 | 歴史街道を歩く会

歴史街道を歩く会の5月例会に参加しました。今月はバスで出掛けて行くものでした。昨年11月例会で姫街道の嵩山(スセ)宿場跡から三ケ日宿にかけてたどりました。今回はその続きとなります。気賀宿を訪ねる前に気賀関所へ寄りました。おんな城主直虎の大河ドラマが放映中であり、大河ドラマ館に訪れる人が多く賑わっていました。
この後、姫街道の松並木を歩き、そして見付宿を訪ねました。
今日、辿ったコースです。
天浜線気賀駅 ― 気賀関所 ― 気賀宿 ― 細江神社 ― 細江公園展望台 ― 姫街道松並木
 ― 遠江国分寺跡 ― 見付宿 ― みつけ屋 ― 旧見付学校


天龍浜名湖線 気賀駅

バスの車窓から。
バスが気賀駅に着きました。
大河ドラマの影響で、飾り立てて有ります。




駅舎の中を通れます。無人駅です。
木製の改札口。
大河ドラマの影響でケバケバしく飾り立てて有りますが、コレがなかったら映画の撮影に使えそうな場所です。




気賀関所に向かって歩いて行きます。
ここの右手。
大河ドラマ館が有ります。


おんな城主直虎 大河ドラマ館

おんな城主直虎 大河ドラマ館です。

入館のチケットが600円でした。
続々と団体が来ていました。
私たちは、ここが目的ではないので、通過します。
誰かが言っていました。大河ドラマ館と言っても、テレビで使った衣裳とか、撮影シーンの写真が大半なのだそうです。歴史的な事の解説は、ほとんど無いと言っていました。
一時のことです。潮が満ちてくるようにワッと寄せ、潮が引くようにサッと引いていくのでしょう。
それにしても、500円なら・・・・。600円なら。100円の差と言うか。高い気もします。









バスのボディも直虎モードとなっています。
山の上の施設。
国民宿舎、奥浜名湖です。
後で、あの方向へ向かいます。

細江町は浜松市に合併して浜松市となりました。直虎も家康も浜松の中です。でも、直虎の舞台のところに家康が出てくる。商魂たくましいと言うか・・・・、家康が出てくるのは便乗ではないのと言う気がします。

大河ドラマで取上げて欲しい。そんな人物の街。大量に署名を集めてNHKへ持って行くのだそうです。そして、歴史上の人物の街。大々的に商業行為に走るのです。
もう、そんな時代は終わりにすべきでは無いかと思うのですが・・・・。


気賀関所

気賀関所へ来ました。
タマタマ、2人だけのシーンが撮れました。
この時以外は、何人も人が居まして、このような場面は撮れませんでした。




マネキン人形が有ります。
関所を通る人を吟味するシーンです。




横の建物。
姫様館。(ヒメサマヤカタ)浜松市気賀関所史料館に入りました。資料の字でなく史料の字が使って有ります。
この写真。
姫様道中の時のものです。母親が姫様役を努め、その娘も姫様役を行うと言う歴史の有る祭りとなっています。



こちらは錦絵です。
旅の資料として、壁に貼ってありました。
大井川でしょうか。川越えの図です。
姫様は籠ごと蓮台の上ですが、腰元は1人で川越人足に担がれて居ます。




田空直虎ショップから『出世法師直虎ちゃん』と家康くんが出てきました。
家康くんはもともと有ったキャラクターです。直虎に便乗しています。





関所の前で記念撮影に応じていました。


気賀関所は、通常時は有料なのです。でも、直虎の時だけは無料でした。この辺りにも商魂を感じます。



気賀宿へ

気賀宿に向かって歩きます。



気賀宿

獄門畷の石碑と説明板です。
戦(イクサ)だから仕方無いかもしれませんが、700人もの首を晒した。惨いことをしたのです。
家康の若かりし頃の所業です。こう言う陰の部分も知っておく必要があると思います。




本陣前公園に来ました。




知事選挙が有るのでして、選挙ポスターの掲示場となっています。




本陣前公園の表示の裏側です。
気賀宿の町並みが描かれています。


細江神社

細江神社まで歩いてきました。




境内には大楠が何本も有ります。
この細江神社。
2度の津波を乗り越えた奇蹟のご神体が祀られている、地震厄除けの神社だそうです。


細江公園 展望台

細江神社の後、民俗資料館へ向かいましたが、館内修理のため長期休館となっていました。
細江公園にバスで上がって着ました。
細江公園の展望台て゛す。
ここで昼食を取りました。
展望の良い場所で細江町、そして引佐細江が見下ろせました。



展望台から下界が見下ろせます。
下から列車の走る音が聞こえて来ました。
ガッタン、ガッタンと言う連続音です。
天浜線の列車が1両で走っていました。
線路が堤防のようになっていて、列車が良く見えました。



浜名湖方面の眺望です。
東名高速の浜名湖橋が見えます。
先程の堀川城跡はこの方角です。




展望台。
一番右の男性は地元の人です。
案内ボランティアをやっているとかで、色々と解説していました。
おんな城主直虎に関連して、案内をしていると話しているのが聞こえました。


姫街道 松並木

バスの車窓から。
松並木が見えてきました。




松並木の姫街道を歩きます。
この松並木。
姫街道の松並木と言われて居ます。
〇〇の松並木とかの松並木とは呼ばれていません。
この辺りの北に三方原が有ります。古戦場と成った場所です。ですから三方原の松並木と言う呼び方をすれば良いのにと思います。
もともとは、街道の両側に植えてあったそうですが、道路拡幅で片側だけになったのだそうです。





松並木と言っても、古そうな松に見えません。
古くても江戸末期。
そうでなかったら、明治期の松だと思います。




東大山一里塚。
バス停があり、女性がバスを待っていました。
説明文の中に旅行者と書かれています。歩いて旅をする人のための一里塚です。
旅行者よりも旅人と言う言葉の方が似合うと思うのですが、・・・・。
笠を被り、草鞋で旅をした時代でした。
役所の人が机上で捉える。アホな説明部分です。




姫街道の松並木。
説明プレートが下がっていました。


追分一里塚

バスの車窓から。
追分一里塚。
こちらの一里塚は、松が植えてあり、一里塚らしさの残る一里塚です。


遠江国分寺跡

磐田市役所の北側。
遠江国分寺跡へ来ました。




国分寺の説明看板です。





国分寺跡。
広い敷地です。
管理が大変ですが昨日、芝刈りをやったみたいです。


見付宿跡

見付宿の西木戸です。
宿場の反対側には東木戸が有るようです。





見付宿の中。
〇〇小路と言う、小路が何箇所か有ります。




宿場のポケットパーク的な場所。
宿場の見取り図有ります。




見取り図をアップで。
東の木戸。西の木戸。それぞれに十王堂跡が有ります。




見付宿の中を歩きます。
宿場を歩いていて、ここの様子が越後の塩沢宿に似ていると思いました。
ただ、塩沢宿には雁木が有りましたが、こちらは雪が降らないので、雁木は有りません。
宿場はどちらも同じような雰囲気になるのでしょうか。


みつけ屋

宿場の中。
旧見付学校に向かっていて、大判焼の店を見かけました。




ズラーと並んだ大判焼。




店の中に入りました。
カレーやキーマカレーが並んでいます。
私の住むところでは見かけないものです。




カレーの大判焼を注文しました。
おカミさんが袋に入れてくれます。
ソフトクリームが240円。カップ入りソフトは260円です。今日、ソフトクリームの値段は300円くらいになって来ている時代です。ですから、この値段は安いと思います。
この時は慌てての買物でした。後から思うのは豚塩やキーマも買ってくれば良かったと思います。
慌てていて、店内を見る余裕が無かったですが、夏にはカキ氷を売るのではないかと思えるような店でした。


旧見付学校

旧見付学校に来ました。





旧見付学校の入口です。





旧見付学校の内部です。

歴史街道を歩く会で、この場所に来ていたようです。
時間も迫っていて、館内を見学しませんでした。


感想
この歴史街道を歩く会で、昨年11月に豊橋の和田辻から三ケ日に掛けて、姫街道を歩きました。その後、龍潭寺にも寄りました。大河ドラマが始まる前の事です。
年が変わって大河ドラマが始まりました。井伊谷を舞台にした直虎を主人公にしています。それに家康が加わりましたが、便乗と言うか、商魂たくましいと言うか。コレを機会に一機に儲けなくてはと言うガメツさを感じました。
姫街道の松並木を少しだけ歩き、旅人気分に浸れました。見落としたのかも知れませんが、松並木を紹介する説明看板が有りませんでした。看板を設けPRして行けば好いのにと思います。




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