各務原市の地域は江戸時代に旗本の坪内氏の領地でした。
その坪内氏の譜系の中で阿波へ渡った人物の話しです。坪内定守と言う人物。幕府書院番に勤めていて同僚と争論して相手を手負いにしてしまった。そして、逐電、行方知れずとなったというものです。
逐電とは逃げ去って身を隠すと言う意味のことです。
そう言う方面の話しでした。
今日の講師。
坪内健治さん。
坪内氏の子孫だそうです。
資料を基に、お話しされる坪内さん。
配布された資料です。
定守が逐電に至る事柄が述べて有ります。
要はお城の中でケンカして、双方が負傷した。そして定守が逃げて身を隠してしまって、後日阿波徳島藩に仕官したと言うものです。
普通なら刃傷沙汰でお家断絶のところでしよう。
この系図の定鑑と言うのが定守の弟なのですが、家督を継いでいます。書院番士から元禄には御先手鉄砲頭・火付盗賊改
加役となり、宝永二年に南町奉行。宝永四年には中町奉行となっています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます