今日は前回の続きです。
渡辺博人先生を向かえて講義を聞きました。
歴史の考察は論説と論説の戦いです。議論を重ね、裏づけから確証へと進み、正しい方向に向かい向かいます。戦いと言うよりも、考察の積み重ねと言って良いでしょう。考察の裏付けるものが証拠となっていきます。
講義がこれから始まるところです。
本題に入る前。
渡辺先生がお話しを始められました。
講義を聞き、その結果を上手く記述する事が出来ませんことをお許しください。
今日のテーマは、「坊の塚古墳と大牧古墳の時代」です。
前段として述べられたのが、古代の濃尾地域の姿です。
古代の伊勢湾の姿です。
当時、伊勢湾の海岸線は深く奥まで入込んでいました。
笠松や大垣も海の底でした。その証拠として笠松の架橋工事現場の地中から長カキの化石が出土しています。
鵜沼、そして犬山の古墳群です。
並んだ古墳が時代別に紹介されています。
坊の塚古墳の航空写真です。
前方後円墳の姿が良く判ります。
坊の塚古墳は120メートルの長さです。岐阜県で2番目の大きさですなどと言う言い方は、正しくないと言っていました。美濃とか尾張とか。ましてや岐阜県、愛知県と言うのは近い時期の事であり、古墳が築造された頃は美濃も尾張も関係の無い広い地域であります。
この地方で5世紀前半の頃の規模では・・・・・。なら、正確な事が言えます。
この後、那加地区の柄山古墳に付いて解説が有りました。
柄山古墳からは鶏頭埴輪が出土しました。この場所の開発計画が有りました。養鶏業者が進めようとしたものでしたが、ニワトリの埴輪が出たことで開発を止めてしまったそうです。
鵜沼地区と那加地区の間に蘇原地区が有ります。
蘇原の古墳は蘇原東山1号墳。加佐美山1号墳がについての話。そして、鵜沼のふな塚古墳。大牧1号墳についての解説が有りました。
その解説に使ったのが下の図です。
古墳の造営期が過ぎ、蘇原地区の狭い地域に何箇所もの寺が出来ました。
このように狭い場所で寺々があるところは珍しいそうです。
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