Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

歩いて学ぶかかみがはら ~各務原の史跡・文化財~ ⑤前渡不動から歩く

2021年11月02日 23時57分45秒 | 史跡めぐりとウオーキング講座 等

歩いて学ぶかかみがはら ~各務原の史跡・文化財~の第5回です。
集合場所は前渡不動の駐車場となっていました。
今回歩いたコース。
前渡不動駐車場 ー 承久の乱供養塔 ー 仏眼院 ー 前渡坪内陣屋跡 ー 猿尾堤
 ー 前渡不動駐車場 ー 不動山の掩体壕


今日、回ったポイントです。



集合場所は前渡不動の駐車場となっていました。



駐車場には承久の乱の解説板が有ります。
説明する大堀先生です。


前渡不動に登って行きます。



前渡不動に向かう参道に先祖代々と刻まれた沢山の石仏が有りました。
羽島郡や稲葉郡。
岐阜市長良が稲葉郡だった時が有りました。
ヲワリ小杁村。愛知県からも訪れる参拝者が有りました。



承久の乱について解説する先生。



承久の乱の合戦供養塔です。



承久の乱の合戦、解説の石碑です。



仏眼院の前に来ました。
ここにも沢山の石仏。




仏眼院の前で解説する先生。



仏眼院から南を眺めました。
遠く、名古屋駅の高層ビル群が見えます。



仏眼院の仁王像です。



仏眼院の裏手へ。



仏眼院の裏手から岐阜基地の滑走路が見えます。



滑走路を眺めます。
遠くに金華山が臨めます。
ジェット機が着陸するなら、良く見えるでしょう。



前渡地内を歩きます。



前渡坪内陣屋跡に来ました。
ここでも解説する先生。




前渡坪内陣屋跡の解説板です。
この陣屋跡。
地図から、相当広大な敷地だったと思えます。



木曽川の堤防の中へ来ました。
石が積んで有りますが、猿尾堤です。



猿尾堤の上の木。
丸い石の上で根を張っています。
かつては木曽川の流れがこの猿尾堤を洗っていました。
今では木曽川の流れが遠くなってしまいました。



かつて有った前渡の渡し。
その説明をする先生。


この後、前渡不動の駐車場へ戻ってきて解散となりました。
駐車場近くに不動山の掩体壕が有ります。
有志の人だけ掩体壕に向かいましたが、私は掩体壕へ行った事が有りますので行くのを控えました。


最後に
前渡不動へは何回も登っていますが、これ程石仏が並んでいるのは気が付きませんでした。石仏が設置されたのが明治か大正の時期なのでしよう。宮田村とか小杁村は対岸ですので渡船で来れば簡単だったと思います。笠松の無動寺とか長良が有りました。歩いて来たのだろうか。だとすると、1日がかりだったのでしょう。
石仏を今まで見ていたが気が付かなかったことに気が付く。
各地から訪れた当時の人の動きを想像する。
関連する事を思うのが面白いです。

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歩いて学ぶかかみがはら ~各務原の史跡・文化財~ ➃市内北西部の史跡をバスで巡る

2021年10月26日 23時39分31秒 | 史跡めぐりとウオーキング講座 等

歩いて学ぶかかみがはら ~各務原の史跡・文化財~の第4回です。
今日は市内の北西部をバスで巡りました。
今回訪ねたコースです。
市民会館駐車場 ー 琴塚古墳 ー 柄山古墳 ー うばがふところ ー 尾崎公園 ー
 天狗谷遺跡 ー 船山古墳 ー 市民会館駐車場


今日、回ったポイントです。
今回はバスで巡りました。



各務原市のバスの車内です。
32人乗りなのですが、1人で2シートを占めれる程で余裕が有りました。
コロナ禍で密にならないようになっていました。

琴塚古墳

最初に来た琴塚です。
琴塚は岐阜市ですが、関連が有る場所と言う事で最初に訪ねました。



琴塚古墳の解説です。



琴塚の周りを歩いてみます。



正面に有った石柱です。
琴塚は戦前に国の指定を受けていました。

柄山古墳

柄山古墳に来ました。



柄山古墳の解説板です。
県指定史跡です。



柄山古墳に登ってみます。

乳母ヶ懐(うばがふところ)

乳母ヶ懐に来ました。
ここは入口で中へ進みます。

うばがふところは岐阜城が落城した時に乳母が幼い若君を抱えて逃げ延びて来たのだそうです。腹が減って泣く若君。困った乳母がここの水を飲んだら乳が出るようになり、泣き止んだと言う民話の場所です。
何十年も前にここに来た事が有ります。
今は木が繁りモッサモサという感じでした。
以前来た時は、もう少し訪ね易い場所でした。




乳母ヶ懐ですが、水が流れていません。
晴天続きで水が無くなったのでしょう。



歌碑が有りました。

尾崎公園大平窯跡

尾崎公園へ来ました。



登り窯の復元模型が有り、説明する先生です。



尾崎大平窯跡1号窯の解説板です。
平成3年と有ります。
設置して30年が経過しています。
そろそろ、取り替える時期ではなかろうか。


天狗谷遺跡

天狗谷遺跡です。
上屋の中に窯跡が有ります。



天狗谷遺跡の解説です。



こちらは敷地内に有る2号墳古墳です。
窯跡の直ぐ近くに古墳が有りました。

船山古墳

船山古墳に来ました。



安全のため、入口を塞がれてしまった船山古墳です。



かつての船山古墳の写真を持って説明する先生です。
ここ、船山古墳の辺りには古窯跡が何基も発見されています。
古墳と窯跡が密集する地域です。



最後に
今回はバスで各務原市の北部を訪ねました。
柄山古墳や船山古墳。天狗谷遺跡にも古墳が有りました。
それに注目すべきことは窯跡の多さです。
尾崎の大平公園には復元模型が有りました。
そして天狗谷遺跡にも有りました。
特に多かったのが船山古墳の周りです。何箇所も窯跡が有りました。
窯跡が出来るのは登り窯を設ける傾斜地。そして、燃料と粘土。
それらの条件が整っていたのでしょう。
ここで生産された須恵器が奈良に送られたとか。
ですからこの辺りは一大生産地だったのでしょう。
各務原市の北部。当時としては大工業地帯と言えるかも知れません。
バスで巡った史跡・文化財。
点でなく線で捉えるいい機会でした。






 

 

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歩いて学ぶかかみがはら ~各務原の史跡・文化財~ ③「徳山陣屋公園」から歩く

2021年10月19日 23時28分57秒 | 史跡めぐりとウオーキング講座 等

歩いて学ぶかかみがはら ~各務原の史跡・文化財~の第3回です。今日は那加地区の北部を歩きました。歩き始めは曇り空だったのですが、途中から降りだしました。
今回歩いたコース。
徳山(トクノヤマ)陣屋公園 ー 各務用水 ー 飛鳥神社道標 ー 神明神社石燈籠
 ー 徳山陣屋公園



今日の歩くポイントです。



集合場所の徳山陣屋公園です。


徳山陣屋公園の解説板です。
旗本徳山五兵衛則秀の紹介。そしてこの場所が更木郷と呼ばれていました。
旗本として250年、この地を治めたと有ります。



各務用水に向かって歩きます。



各務用水に来ました。



各務用水の解説です。
各務用水は関市小瀬で長良川の水を取水し、岐阜市や各務原市の田を潤しています。
この各務用水の歴史についても触れています。




飛鳥観音への道標に来ました。



左 飛鳥観音近道。
右 鵜沼近道と刻まれています。
飛鳥観音と鵜沼。どちらもこの場所から東の方角となります。
と言う事は、よそから持ってきたのかもしれない。

前回、飛鳥観音に飛鳥観音への道標が有りました。
そして、今回の道標。
道標は何時の時代のものだろう。
多くの参拝者がいたから道標を設置したのでしょう。
前回と今回。
関連付けられることが面白い。




西市場神明神社に来ました。
ここには市文化財にしてされている石燈籠が有ります。



雨が降り出し、軒で雨を避けて先生の説明を聞きます。



石燈籠の根元です。
寛文の文字と徳山五兵衛の文字が読めます。
普通、石灯籠は対になっているのだが、ここは1基あるだけです。
もう、1基は何処に有るのだろうと先生は話していました。



傘を差しながら陣屋公園に戻ってきました。



雨を避けて、上屋の下で先生の説明です。
普通、旗本は江戸に居て知行地へ訪れることは、ほとんど無いと言っていました。
それに旗本は1万石以下で、1万石以上が大名なのだそうです。
ここ、徳山(トクノヤマ)陣屋は更木陣屋と呼ばれていて那加地区の北西部。西市場、長塚、山後、前野、新加納など8ヶ村が領地でした。
旗本の江戸の住まいは本所でした。
本所・深川の開発事業を推進した本所築地奉行徳山五兵衛重政の屋敷跡に徳ノ山稲荷神社を祀ったと有ります。
池波正太郎の時代小説「男の秘図」が徳山氏を捉えた話だと言っていました。

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歩いて学ぶかかみがはら ~各務原の史跡・文化財~ ②「加佐見神社」から歩く

2021年10月12日 23時20分55秒 | 史跡めぐりとウオーキング講座 等

今日は歩いて学ぶかかみがはら ~各務原の史跡・文化財~の第2回です。
蘇原北部。加佐見神社から飛鳥観音、飛鳥田神社そして市隼雄命墳墓へ歩きました。
今回歩いたコース。
加佐見神社 ー 飛鳥観音 ー 飛鳥田神社 ー 市隼雄命墳墓 ー 境川
 ー 加佐見神社


今日の歩くポイントです。



出発前。
加佐見神社で先生からお話です。


加佐見神社の石碑です。



歩き始めです。



飛鳥観音へ来ました。



飛鳥観音への道標について説明する大堀先生です。
この道標。
元々は中山道辺りに有ったのではないかと言う事でした。
下の方に飛鳥観音へ二十六町と刻まれているそうでした。



飛鳥観音に上がりました。



飛鳥観音の本殿です。



飛鳥観音から発見された古文書のコピーです。
何故、ここの飛鳥観音からこんな古文書が発見されたのは不明だそうです。
天正10年と言う年。
そして信忠と言う名。



飛鳥田神社へ来ました。



飛鳥田神社の由来です。



飛鳥田神社への階段を登ります。



本殿が見えました。
ヒッソリしています。




市隼雄命墳墓へ来ました。



市隼雄命墳墓の解説です。



市隼雄命墳墓。
大きな岩に注連縄が掛かっています。




境川に来ました。先生が地図で説明します。
この辺りは境川ですが、地図では新境川となっています。
境川は関市の迫間不動が源流で各務地区や蘇原地区を流れ那加山崎町から岐阜市高田の方に流れて行きます。那加山崎町から南に境川放水路が出来ました。それが新境川でありそこを起点とするべきなのです。行政は那加山崎町より上流も新境川としました。
これは誤りであり、先生が訂正するよう働きかけを行ったようですが、行政の一旦決まったものは覆らなかったそうでした。



橋には新境川となっています。



加佐見神社へ戻ってきました。



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歩いて学ぶかかみがはら ~各務原の史跡・文化財~ ①「そら~ら」から歩く

2021年10月05日 23時56分27秒 | 史跡めぐりとウオーキング講座 等

各務原市産業活力部中央ライフデザインセンターが開催した歩いて学ぶかかみがはら ~各務原の史跡・文化財~を受講しました。
集合場所はそら~らとなっていました。
そら~らは行政施設の「蘇原市民サービスセンター」、集会施設の「蘇原コミュニティセンター」、子育て支援施設の「そはら子ども館」、そして蘇原第一小学校学童保育室が有る複合施設です。
今日は講座の第1回で蘇原コミニティセンターの研修室で開講式が有り、その後に近辺を歩きました。
講師は大堀 等先生です。



歩いて学ぶかかみがはら ~各務原の史跡・文化財~ のチラシです。

今回歩いたコース
そら~ら ー 旧各務原市役所跡 ー 山田寺塔心礎(無染寺) ー 山田寺跡 ー 
大樹寺 ー 安積家 ー そら~ら


第1回で、歩く地図です。




開講式を終えて、そら~らを出発します。



ここは、かつて蘇原町役場が有った場所です。
蘇原町など4町が合併して各務原市が誕生しました。
各務原市が出来て市を開庁した時に各務原市役所となりました。そして市役所が移転してからは蘇原出張所となったりしまし。最終的には宅地として販売されました。
今は住宅が建っています。
かつては役場だった場所ですので、蘇原町役場跡の石碑を立てようと土地所有者に話しかけたら断られたとのことです。
それで南に100mほど離れた小学校の入口に石碑を建てられたのだそうでした。



資料を使って説明する先生です。
この場所で各務原市が開庁した時、看板を掲げている写真です。
この看板、所在が分からなくなっているので探してもらうように頼んでいると話されました。





無染寺に来ました。
ここには山田寺の礎石が有ります。



三重の搭か五重の塔か判らないが、当がった事は間違いない。
この礎石。
当の中心部の土台石です。
図を使い解説されます。
また、この付近が古代遺跡の場所で、子供の頃にこの辺りで瓦片が拾えたのだそうでした。
拾われた瓦片を回し、皆に持たして貰えました。



山田寺塔心礎の解説板です。
この解説の中には明治時代にここから西へ50メートルの所で発見されたと書いてあります。
先生から、この礎石をここへ運んできた聞いたのです。
私の感覚では無染寺にずっと前から有ったものだと思い込んでいました。




山田寺跡に来ました。



山田寺跡の解説板の前で話される先生です。



安積家へ歩いて来ました。
安積家は中世の館で周囲を土塁に囲まれその外側に濠が有ります。
この入口。
かつては門が有りましたが、鵜沼宿の方へ移築されました。
この門の謂れについても解説が有りました。




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史跡巡りウォーク  第5回 古代寺院跡と中世館跡を訪ねて

2020年10月29日 23時21分01秒 | 史跡めぐりとウオーキング講座 等

今日は第5回で最終回となります。
今回は「古代寺院跡と中世館跡を訪ねて」と題して蘇原北部の古代寺院跡である旧山田寺跡と中世の館跡が現存している安積家を訪ねます。
加佐美神社 ~ 無染寺(旧山田寺塔心礎) ~ 旧山田寺跡(護命碑) ~ 中世の館跡 ~ 
清水家住宅 ~ 小町酒造 ~ 小林家門 ~ 加佐美神社


今回のコース地図です。




集合場所の加佐美神社です。
既に沢山の人が集合していました。



まず、加佐美神社についてですが、川島宮司からお話を頂きました。




川島宮司が加佐美神社に付いて解説です。




優美な檜皮葺の本殿に付いてお話です。




ここからは中山道鵜沼宿のボランティアガイド。
栗田さんによる解説です。



加佐美神社を出て、歩き始めました。




寺島町の公民館の横。
ゴミステーションです。
ゴミステーションのでゴミを出すルールのプレートの足元。
タイヤが使われていますが、このタイヤ。戦闘機、飛燕の物だそうです。
「そんな貴重なモノなら航空宇宙博物館へ持って行かな---」と言う声が出ました。





無染寺へ来ました。




ここには旧山田寺塔心礎が有ります。
この石。塔の中心の基礎の石となるものです。



山田寺に来ました。



山田寺です。



山田寺に隣接した場所。
護命塔が有ります。


広大な旧山田寺。
その礎石と思われる石です。



安積家へ歩いて来ました。



ここでも栗田さんが説明してくれます。
土塁に囲まれた屋敷。
その土塁の外に濠がありました。



小町酒造へ来ました。




玄関に杉玉が下がっています。



小町酒造の製品です。



通用口に回りました。
ここでご主人から説明が有りました。



通用口の門。
歴史的に貴重な門です。



小町酒造から加佐美神社へ戻ります。



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史跡巡りウォーク  第4回 テクノプラザと船山北古墳群の史跡

2020年10月24日 22時41分05秒 | 史跡めぐりとウオーキング講座 等

今日は史跡巡りの第3回です。
最先端のテクノプラザ、そして太古の古墳群。そして戦争遺跡。珍しい取り合わせの場所を歩きました。
今回も中山道鵜沼宿ボランティアガイドの会の人が講師です。
テクノプラザ駐車場 ~ テクノプラザ本館 ~ 船山北古墳群 ~ 
掩体壕跡 ~ テクノプラザ駐車場


今回のコース地図です。
テクノプラザ駐車場から時計回りに歩きました。


テクノプラザ駐車場が集合場所となっていました。



3つの班に分かれて出発です。




今回のコースの案内人。
鵜沼宿のボランティアガイド、Kさんです。
テクノプラザの設計者。リチャード・ロジャースについての説明で、同人が設計したフランスのポンピドゥーセンターの写真を使い説明しています。



VR TECHNO  JAPANのモニュメント。
こんなのが有るとは知りませんでした。



テクノプラザの看板です。
そして、この施設に入っている企業です。



テクノプラザへ向かっています。
この建物の特徴的なのが柱を外部へ出していることです。



施設に入っている企業の案内図です。




テクノプラザの内部です。



テクノプラザに入っている科学技術図書資料室。
テクノプラザにある科学技術の高度な専門書がそろう資料室です。



館内に掲示して有ったリチャード・ロジャースの紹介です。



テクノプラザから出て、歩き始めました。
歩いて来て、有った企業がフジミインコーポレーテッドです。
ここは研磨用粉体製造及び遊離砥粒製品の大手企業で、半導体シリコンウエーハ製造用研磨材では世界シェアNo.1だそうです。



船山北古墳群へ来ました。



ここは古墳群と古窯跡群が散在している所で、その案内図です。



船山北3号古墳です。



天野エンザイム岐阜研究所の前まで歩いて来ました。
天野エンザイムは酵素を研究している所だそうです。



テクノプラザの南方で、掩体壕の所まで歩いて来ました。
終戦後の米軍の航空写真を使っての説明です。



掩体壕跡が有るところへ来ました。



掩体壕の解説図です。
戦闘機を収めその上を網でカモフラージュしています。



土手のようになっている掩体壕です。
今は竹が繁り、掩体壕跡だと教えて貰わないと分からない状態です。
終戦に近い頃、中国人がここに連れてこられて作業したのだそうです。ここへ来る前は長野でダム建設に従事していたが、セメント不足で作業ができないため、こちらに来たのだそうです。
掩体壕として作っても活用できなかったらしいです。



ふれあいの小径でテクノプラザ駐車場に向かって歩いています。

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史跡巡りウォーク  第2回 前渡浄化センター周辺の史跡巡る

2020年10月08日 23時01分43秒 | 史跡めぐりとウオーキング講座 等

「史跡巡りウオーク」の講座。第2回で前渡浄化センターの周辺を歩きました。ウオーキングをするのですが、生憎の天気で雨が降っていました。こんな空模様なので中止かと思いましたが、開催されました。
今日のコースは各務原飛行場の南に位置します。複数の掩体壕。戦争遺跡が残っていました。
今回も中山道鵜沼宿ボランティアガイドの会の人が講師です。
前渡浄化センター周辺の史跡巡る
前渡不動前駐車場 ~ 長平神明神社 ~ 掩体壕 ~ 掩体壕 ~ 頬白坂 ~ 
妙智禅寺 ~ 前渡坪内陣屋跡 ~ 北野神社 ~ 久昌寺 ~ 浄化センター
 ~ 猿尾堤 ~ 市杵島神社 ~ 掩体壕 ~ 前渡不動前駐車場


前渡浄化センター周辺の史跡巡るのコース地図。




集合場所の前渡不動前駐車場です。
雨にも関わらずも皆さん出席してきています。



3つの班に分かれて、雨が降る中をスタートしました。




最初にきたのが長平神明神社です。




中山道鵜沼宿のボランティアガイドが案内してくれました。
大木の足元に有る大きな石。
力石だと教えてくれました。




1か所に集められた石仏です。
これらの石仏、かつては分散していたのだそうです。




不動山の北側の掩体壕です。
大きなコンクリートの塊。
先の大戦の時、戦闘機を隠すようにしていた掩体壕です。
壁面はコンクリートだが、屋根は材木で覆っていたのだそうです。



北の方へ向かって歩きます。
この時間、雨が止みました。



こちらも掩体壕です。
木々が繁って分かり難いですが、上部もコンクリートとなっています。
今は運送会社の倉庫代わりです。



路傍にはハギが咲いていました。



この道。
飛行場の方からの道です。
戦時中、飛行機を移動させるのに使ったのでしょう。



この場所、頬白坂と言うのでしょうか。
この先は飛行場の滑走路となります。
今は基地内に立ち入ることが出来ませんが、昭和の初めころの時代。
白旗と赤旗が立てられ、白旗の時は地元民は滑走路を横切ることが出来たのだそうです。
プロペラの戦闘機ののどかな時代。
若い母親が横断している所へ飛行機が降りてきて亡くなったのだそうです。
この場所をGoogleで検索して航空写真にしたら基地内にゴルフ場が有る。
ゴルフに興じている人も写っている。
基地の中で自衛隊員が特権的にゴルフができる。問題ではなかろうか。



左の小高い山が前渡不動が有る山です。





妙智禅寺へ来ました。
住職が応対してくれました。
こちら、かつては尼寺だったのだそうです。




前渡坪内陣屋跡へ来ました。



前渡坪内陣屋跡の解説板が設置して有りました。




北野神社へ向かう途中です。
白ハギが咲いていました。




久昌寺です。
石仏の像の上。
北斗七星が刻まれています。




前渡西町へ来ました。
ボランティアガイドの説明では、かつてはここで市場が立ったのだそうでした。
この辺り、織屋さんが多い所でした。
一宮と江南市の古知野。そして前渡が3大市だったそうです。
今は全然そんな様子が感じられませんが、かつてはパチンコ屋や呑み屋が並んでいたのだそうです。




浄化センターに来ました。



渡し船の碑が有り、ボランティアガイドが説明してくれました。



岡田式と言うワイヤーを使った渡し船の説明です。



市杵島神社へ来ました。




ボランティアガイドの説明です。



市杵島神社



不動山の掩体壕へ来ました。
こちらの掩体壕は岩をくり抜いて作って有ります。
先の大戦中の事です。



掩体壕の内部です。
岩をくり抜いています。
その工事。中国人が働かされました。
ここに戦闘機を格納したのでしょう。



最後に
雨の中のウオーキング。大変でした。
不動山の北側の掩体壕。
この掩体壕を知ったのは初めてです。
飛行場を横切った若い女性が戦闘機と接触した。こんなことも初めて知りました。
初めて知ることが面白いです。


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史跡巡りウォーク  第1回 坪内氏陣屋と新加納

2020年10月01日 22時10分16秒 | 史跡めぐりとウオーキング講座 等

各務原市教育委員会西ライフデザインセンターの後期長期講座を受講しました。この講座、全部で5回の開講となっています。定員が20名でして申込者が多い場合は抽選となる講座でした。申し込んで、当選したとのメールを貰いました。
昨年も参加しました。それで見たことの有る人も居ました。
史跡巡りウォークで、講師は中山道鵜沼宿ボランティアガイドの会の人が担当です。地域を歩くだけでなく、歴史や地理などを学習できます。
坪内氏陣屋公園と新加納周辺ウォーク
少林寺 ~ 坪内氏陣屋公園 ~ 善休寺 ~ 浜見塚 ~ 瑞眼寺 ~  
日吉神社 ~ 宝光寺 ~ 一里塚跡 ~ 少林寺 


講座制募集のチラシです。




第1回のウオークコース地図です。




本日の集合場所。
少林寺です。
ボツボツと受講生が集まってきています。




受講生は20名でした。
三蜜を避け7名7名6名の班に編成。
私の入ったのは1班で7名。
最初は坪内家の墓所の見学です。


坪内氏陣屋公園

最初に訪ねたのが坪内氏陣屋公園です。
坪内氏は江戸幕府の旗本でした。
その説明板です。




これから陣屋公園へ入ります。
立派な門が有ります。




公園の中。
説明版が何枚も下がっています。




廊下のようになっています。


善休寺

善休寺へ向かっています。
道の脇。
ヒガンバナが盛んです。




歩いていて、各務原台地の端へ来ました。
そして、ガイドボランティアが各務原台地の高さを説明してくれました。
名鉄羽場駅の所が一番高く、西に来るにつれて低くなってくるのだそうでした。






畑の横を歩きます。




金華山。
先ほどの少林寺が金華山攻めの砦になったとか。
金華山が良く見える場所であり、軍事的拠点だったのでしょう。

浜見町の墓地

浜見町の墓地へ来ました。




墓地に伝説の碑がります。




悲恋を紹介しています。





新加納駅前のポケットパーク。
「ひよしかえるものがたり」を解説しています。




「ひよしかえるものがたり」です。


日吉神社

日吉神社へ来ました。




珍しい狛犬ならぬ狛カエル。
左には子カエルが背中に居ますのでメス狛でしょう。


一里塚に有った新加納の絵図です。





少林寺へ戻ってきました。

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史跡巡りウォーク  第5回 内藤記念くすり博物館見学&岐阜県防災センター(地震体験)ウォーク

2019年06月13日 23時22分43秒 | 史跡めぐりとウオーキング講座 等

内藤記念くすり博物館見学&岐阜県防災センター(地震体験)ウォーク
内藤記念くすり博物館駐車場 ~ 神明神社 ~ 小網の渡し跡 ~ 岐阜県防災センター(地震体験)
 ~ 少林寺跡 ~ 松倉城跡 ~ 内藤記念くすり博物館

第5回となりました。この講座は今日で最終日となりました。
今回は川島地内を歩くものでくすり博物館駐車場に集合でした。


くすり博物館駐車場に集合となっていました。
みなさん、日陰に集まっています。




まず、くすり博物館の薬草園の見学でした。
最初、温室の中を見学しました。




温室の中のカカオ。
幹に実が成っていますが、花を見るのは初めてです。
カカオからチョコレートの原料が採れるのですが、坐薬の原料にもなると説明がありました。




薬草園内を廻っています。
藤棚が有ります。
藤の実が下剤の原料になると書いて有りました。



ラベンダーです。
不眠に使われると有ります。





くすり博物館から外へ出ました。
頭上をジェットが飛びます。
KC-767と言う輸送機です。小牧から来ているのでしょう。
何度もタッチアンドゴーを繰り返していました。




史跡となっている小網渡船場跡です。
橋は神明小網橋で、またの名がおもいやり橋です。



橋のたもとに説明板が設置して有ります。




橋の歴史が展示してあります。








南派川の堤防を歩きます。





岐阜県消防学校へ来ました。





消防学校の一角。
岐阜県広域防災センターが有ります。
入館します。


1階に有った地震体験装置です。
定員が10名で2組に分かれて体験しました。
震度1から徐々に強くなり、震度7まで達しました。
強い震度と成ると、立っていられない状態になりました。




2階。
濃尾地震の解説です。




広域防災センターから出て、少林寺跡に来ました。
少林寺跡の説明板が有るだけで、実際。寺の後は河川敷の中なのだそうです。




堤防に上がり、帰路につきます。





くすり博物館へ戻って来ました。


感想
最初にくすり博物館の薬草園を見学しました。
山で見かけるバイケイソウやトリカブトは柵の中にありました。盗難防止なのでしょう。
テイカズラやサルトリイバラも見かけました。
身近にある物でも薬草となるのだと言うことを知りました。
岐阜県広域防災センターへ着いたら、人数を半分に分け、地震体験しました。その間、半分の人は館内の見学をするようにと、一言欲しかったです。
また、この岐阜県広域防災センターは岐阜県消防学校の一角に有りました。消防学校の概要を話して貰えたら良かったです。

 

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