朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

「片岡球子」展

2015-07-20 | もろもろの事
テレビ「日曜美術館」を見て、名古屋の愛知県美術館で7月26日まで開催していることを知り、急いで行ってきました。

実は、これまでこの画家のことを全く知らなかったのですが・・・



生誕110年ということですから、1905年(明治38年)に北海道で生まれ、2008年1月に亡くなています(103歳)。2003年98歳の時に描いた「ポーズ21」(ヌード画)が展示されていました。

ポスターの絵は、「面構 足利尊氏」です。京都の等持院にある木像をモデルとして何日も通ってスケッチして得た着想をもとに描いています。等持院には、足利義満と足利義政の木像があり、その面構も絵になっています。

音声ガイドを借りて、ゆっくりと鑑賞することができました。東京とはちがって有名画家の展示会でも押し合うほどの混雑はあまりありません。鳥獣戯画展(京博)などは別でしたが。



図録を購入しました。

表紙は、浮世絵師三代豊国の描いた人気浮世絵をバックに豊国を描いたものです。(豊国はカバーの折込に隠れています)


(引用:NHK教育テレビ日曜美術館「片岡球子」)

まず、球子さんは明治生まれでその時代に北海道から東京の美術学校に行って絵の勉強をした(親を説得した)ことがすごいです。女子美術学校を卒業したあと、横浜市の小学校教師をしながら制作に励み、院展(日本画)に初入選するのですがその後は落選続き。「落選の神様」とまで揶揄されました。

しかしこの時代に、児童生徒のスケッチに取り組んだことが、後年の人物画の基礎となったようです。

小学校教諭だった時代には、担任の生徒が卒業するときには一人ひとりの似顔絵を描き、言葉を添えて贈りました。テレビ日曜美術館の放送で、当時の卒業生数人がインタビューで、その絵を見せてくれました。


(同上テレビ画面)

「落選の神様」時代の球子は、学校で習った日本画の基本を守って懸命に作品を描いていました。

が、・・



この作品「カンナ」で、西洋画のような鮮やかな色彩と画題を選んで制作方針を一変しました。


(引用:展覧会図録 以下同じ)

一方で「ゲテモノ」として、日本画壇では異端の扱いを受けていました。でもそれを応援する大御所もいたようです。

上の絵は「海(真鶴の海)」です。とても想像できないような岩の形と色、海の色も突飛です。

徐々に実績を積み、評価が高まってきました。

この岩や山をさらにデフォルメして色彩を十倍鮮やかにした山岳の風景を描きました。妙義山、桜島、富士山など。

次に取りかかったテーマが人物。歌舞伎の舞台、面構シリーズを生み出しました。



「面構 歌川国貞・柳亭種彦」



「富士に献花」 1990年の作品。大胆な色使いの一方で富士山の中腹に飾られた赤い紋様は和服の絞り模様のように細密に白い点々が描かれていて、山麓には具象のひまわり、牡丹、シャクナゲが美しくお山を飾っています。



1980年代には、外出しなくても描ける題材としてヌードを選び、80歳ころからテーマを変えて画業を続けました。2003年(98歳)まで作品を描いています。

まさにスーパーウーマンです。

~~

数カ月前に、等持院を拝観して、この足利尊氏などの木像も見て記憶しています。残念ながらその時の印象をこのブログに記録していません。また行ってみようかな。


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台風一過

2015-07-19 | 京都の文化(夏)
台風11号が16日(木)の夜間、岡山県に上陸して翌朝は日本海に抜けていきました。

京都、祇園祭山鉾巡行は中止されず、17日朝9時から粛々と雨と風の中を実行されました。

少雨決行、大雨強行」が伝統だそうです。

台風が行き過ぎた後も、南方海上から湿った雨雲が次々に到来して、京都市に17日から18日にわたって大雨が襲いました。そのため、左京区の北端にある山間部では避難勧告が発令され、ケータイ端末に早朝大きな呼び出し音とともに、強い表現での警告文が画面に現れました。その後もいくつかの学区に避難準備警報が発令されました。

京都市では公立小学校の「学区」を、市内の地域を識別する方法にしばしば利用しています。(区、町名ではなくて)ここで生まれ育った人や、子供がいる家庭には馴染みがあります。(途中で転入してきた大人で学齢期の子供がいないととまどう?)

今朝早朝(19日)高野川に散歩で行ってみました。自宅前の小川の水量は減少していたのですが、山の奥から流れてくるこの川にはまだまだ大量の水が流れています。



川幅いっぱいに流れています。まだ時折小雨がぱらついてきます。背景は比叡山です。



台風一過の高野川の流れ(2015-07-19 午前6時45分ころ)





川を渡るための歩道橋がありますが、その橋桁を下から見ると、鎖で繋がれています。もしこの橋桁を超えるほどの流れとなった場合は、橋桁自体が外れて流れを遮って氾濫しないような仕掛けになっています。いわゆる「流れ橋」かな。



昨日、7月18日は一日中交通機関が乱れたようです。

大谷本廟の墓地で土砂流出があって、お墓が100基以上埋没したり倒壊したと報道されています(引用:京都新聞07-19朝刊)

国道1号線の東山トンネルも18日の午前中は通行止めとなって、周辺の道路が大渋滞しました。北白川から大津に越える「志賀越」の峠も不通でした。

今回の台風は、台風一過の青空とはいかないようです。

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MIHO MUSEUM 2

2015-07-17 | 京都の文化(夏)
「若冲と蕪村」を見終わって、帰りはトンネルを歩いて戻りました。



カエデの葉先がすでに赤くなリ始めている木々があります。



橋の上から谷間を眺めると、こんな蕾がついていました。



合歓の木でしょうか。



トンネルに入ると、たまたま人が歩いていないタイミングでした。



外には、葉桜の並木が見えてきました。

レセプション棟にあるレストランで、地元で採れた野菜の料理を注文することができます。



十割そばと野菜かき揚げ天をいただきました。

この美術館を所有する宗教団体がこの地で自然農法をおこなっていてその作物だとのこと。ワインも作って販売していました。

この美術館は、神慈秀明会の会主・小山美秀子(みほこ)のコレクションを展示するため、1997年に開館しました。教団の由来はここに。



信楽の町に戻ると、信楽焼の大狸が出迎えています。

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「若冲と蕪村」展、MIHO MUSEUM

2015-07-17 | もろもろの事
澤田瞳子「若冲」を読んでいたところ、MIHO美術館でこの展覧会をやっていることが分かったので、出かけてきました。

伊藤若冲と与謝蕪村は300年前の同じ年に生まれ、住所もある時期は京都市内のかなり近所に住んでいました。



MIHO MUSEUMは滋賀県甲賀市信楽町の、山の奥深くに位置しています。細い山道を登っていくのですがこんな山の中に本当に美術館があるのだろうかと心配になります。

宗教団体が所有する美術館で、中近東や東洋美術のコレクションに優れています。

本館とは離れた受付・レストラン棟で入場券を買って、そこから徒歩あるいは電気自動車に乗せてもらって向かいます。今回は雨が降っていたので、電気カートにしました。20人くらいの細長いカートです。



連絡道路の両側には枝垂れ桜の並木が続き、その先にトンネルがあります。



青い光が差し込んできます。



斜張橋を渡るとその先が本館です。



建物自体が美術品です。



特別展の会場に向かいます。



オーディオガイドを借りて、ゆっくりと鑑賞していきました。

桂南光が、辻惟雄MIHO館長とトークする「解説」「感想合戦」も録音されていました。(南光は学校で美術部の部長だったそうです)


蕪村は俳人としてはそれなりに知っていましたが、こんなに多くの絵画を描いていいたことを今回知ることができました。

当時、文化先進国であった中国の絵画を勉強して、彼の地への憧れが独特の筆致で表現されています。


(公式パンフレット)

若冲の絵画は、あの小説を読んだばかりなので興味深く鑑賞することができました。

特に「野菜涅槃図」がおもしろい。二股大根が中央に横たわり入滅し、その周辺には70種類もの野菜たちが嘆き悲しんでいます。(阿弥陀入来の来迎が描かれていないようですが・・・)

この展示会での解説文によれば、若冲と蕪村は同年にもかかわらず、直接的な交流を示す相互の手紙や関連文書に、今までのところ、全く交流した証拠が発見されていないとのことです。蕪村は門弟も多く、俳句の宗匠として活躍したのですが、若冲は趣味に生きる偏屈者だったからでしょうか。




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防災マップ

2015-07-15 | 京都の文化(夏)
京都市左京区の防災マップ「地震編」と「水災害編」が新聞折込で配布されました。

南海・東南海地震の60年前から10年後までが、内陸の活断層による地震の活動期になるとのこと。

直近の南海地震としては、1946年南海地震(M8級)、その前は1854年安政南海地震(M8級)、1707年宝永地震、1605年慶長地震がリストされています。

次の予想は、「2040年ころ」M8級だそうです。

その活動期相当の内陸活断層地震の事例は、2000年鳥取県西部地震、1995年兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)があります。、



京都の東山の山麓には「花折断層」が、琵琶湖側には別の大きな活断層があります。

西山や、京都市南部には桃山断層、黄檗断層、宇治川断層など、京都盆地は断層群に流れる河川に囲まれて出来上がった扇状地です。



近所の地形を拡大した地図に「花折断層」に地震が発生した場合の予想震度が色分けされています。

今住んでいる場所は、かろうじて震度7からは外れていますが・・



こちらは水害マップ。

この地図は、平成12年9月の東海豪雨での雨量を想定したものです。

床下浸水はほぼ市内全域の予想となっています。みごとに引掛っています・・怖いですね。

(資料引用:京都市印刷物第220005号、第220017号、京都市防災マップ左京区版) 

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群青の朝顔 

2015-07-14 | 京都の文化(夏)

書店の店頭に、この朝顔の絵が輝いていたので、つい購入しました。


松村公嗣作(引用:文藝春秋 2015年8月号表紙)

”天に蔓先を向けてスルスルと背を伸ばし続けます。来年の夏、、再び繁栄の時を迎えるために最後の力を振り絞っているのでしょうか。群青の顔が次々に空を見つめると、夏の終わりにはそっと目を閉じて息を潜めます。常に未来を見つめて今を精一杯生きているその強さは、揺るぎの無いものです。・・・” 松村公嗣(引用:同誌p.79)

2007年にこのブログを始めたとき、手元にあった朝顔の苗の成長をネタにして、写真と文書の練習を練習をしました。

今日もとても暑い日になる予報が出ています。京都市内でも、35度超えそうです。

~~

2007年7月31日の「朝顔」”Day 1”ブログ

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法金剛院 蓮

2015-07-13 | 京都の文化(夏)
この時期は蓮の花の開花に合わせて、早朝7時に開門されています。



丸太町通 JR花園駅のすぐ近くです。



律宗唐招提寺が本山です。歴史のある古刹ですね。



早朝でも多くのカメラ愛好家や蓮花見客が集まっていました。



中心の池には蓮が密集して生えていて、花の軸がすくっと立ち上がって空に向かって花を広げています。





春には「待賢門院桜」(しだれ桜)が咲きます。今は葉桜がこんもりと茂っています。



平安時代の庭園(特別名勝)には「青女の滝」の石組みが残っています。







権威ある仏像も拝観することができました。

~~

周辺が住宅地に囲まれているので、



となりの古いアパートの水道タンクとテレビアンテナが、せっかくの景観を乱しています。

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三室戸寺2 ハートの・・

2015-07-12 | 京都の文化(夏)
蓮酒を頂いた後は、本殿に参拝しました。



太い線香を立てて、



牛の石像をなでます。反対側にはうさぎの石像も。



仏足石の絵馬があります。



なんと「ハートのアジサイ」を発見しました。

このお寺はアジサイが1万本咲くことでも知られています。





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蓮酒@三室戸寺

2015-07-11 | 京都の文化(夏)
年に一度だけ、このお寺で蓮の葉を使ったお酒を楽しむ行事があるので、参加してきました。
【京都・宇治 あじさい寺】 西国観音霊場第10番札所



山の斜面にあるお寺なので、長い石段を登らねばなりません。



登り切ると、



宇賀神さんが出迎えてくれます。



蓮の花が真っ盛りでした。



この日の目的は「蓮酒を楽しむ会」。300人限定です。

ギリギリ、チケット購入に間に合いました。



蓮の葉を根本に近いところから切って、その葉にお酒を注ぎます。



葉の茎につながるところに錐で穴を2つ開けてあります。



蓮の樹液も流れてくるので、最初は少し苦くて、なかなか美味でした。





朝日新聞デジタルの記事はここ:(動画あり)
http://www.asahi.com/articles/ASH7B3QR2H7BPLZB003.html

三室戸寺公式ウエブに書かれた記事写真:


(引用:http://www.mimurotoji.com/article.php?id=673

・・・実は、左の奥に少しだけ写っている青い帽子がボク。汗。

2008年7月に訪問したときのポストは、ここ。京都に移住した最初の年でした。

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トムヤムクン

2015-07-10 | 食べること、レストランなど
タイ王国の名物料理、トムヤンクンを日清食品が「カップヌードル」のメニューに加えて半年ぐらい前から販売を開始しました。



バンコク(タイ王国)に数年前に行った時にはすでに当地で販売していたように記憶します。現地メーカーのトムヤンクン・インスタントラーメンが売っていました。ですが、現地ならば、おいしい本物のトムヤンクンを味わえるので、インスタントには興味ありませんでした。

今回、久しぶりに、近所のスーパーでこれを見つけて即お買い上げ。

熱湯をいれて、3分でこんな、



美味しいトムヤンクン・ヌードルをいただきました。

次回は、本物のタイレストランでいただきましょう。

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