テレビ「日曜美術館」を見て、名古屋の愛知県美術館で7月26日まで開催していることを知り、急いで行ってきました。
実は、これまでこの画家のことを全く知らなかったのですが・・・
生誕110年ということですから、1905年(明治38年)に北海道で生まれ、2008年1月に亡くなています(103歳)。2003年98歳の時に描いた「ポーズ21」(ヌード画)が展示されていました。
ポスターの絵は、「面構 足利尊氏」です。京都の等持院にある木像をモデルとして何日も通ってスケッチして得た着想をもとに描いています。等持院には、足利義満と足利義政の木像があり、その面構も絵になっています。
音声ガイドを借りて、ゆっくりと鑑賞することができました。東京とはちがって有名画家の展示会でも押し合うほどの混雑はあまりありません。鳥獣戯画展(京博)などは別でしたが。
図録を購入しました。
表紙は、浮世絵師三代豊国の描いた人気浮世絵をバックに豊国を描いたものです。(豊国はカバーの折込に隠れています)
(引用:NHK教育テレビ日曜美術館「片岡球子」)
まず、球子さんは明治生まれでその時代に北海道から東京の美術学校に行って絵の勉強をした(親を説得した)ことがすごいです。女子美術学校を卒業したあと、横浜市の小学校教師をしながら制作に励み、院展(日本画)に初入選するのですがその後は落選続き。「落選の神様」とまで揶揄されました。
しかしこの時代に、児童生徒のスケッチに取り組んだことが、後年の人物画の基礎となったようです。
小学校教諭だった時代には、担任の生徒が卒業するときには一人ひとりの似顔絵を描き、言葉を添えて贈りました。テレビ日曜美術館の放送で、当時の卒業生数人がインタビューで、その絵を見せてくれました。
(同上テレビ画面)
「落選の神様」時代の球子は、学校で習った日本画の基本を守って懸命に作品を描いていました。
が、・・
この作品「カンナ」で、西洋画のような鮮やかな色彩と画題を選んで制作方針を一変しました。
(引用:展覧会図録 以下同じ)
一方で「ゲテモノ」として、日本画壇では異端の扱いを受けていました。でもそれを応援する大御所もいたようです。
上の絵は「海(真鶴の海)」です。とても想像できないような岩の形と色、海の色も突飛です。
徐々に実績を積み、評価が高まってきました。
この岩や山をさらにデフォルメして色彩を十倍鮮やかにした山岳の風景を描きました。妙義山、桜島、富士山など。
次に取りかかったテーマが人物。歌舞伎の舞台、面構シリーズを生み出しました。
「面構 歌川国貞・柳亭種彦」
「富士に献花」 1990年の作品。大胆な色使いの一方で富士山の中腹に飾られた赤い紋様は和服の絞り模様のように細密に白い点々が描かれていて、山麓には具象のひまわり、牡丹、シャクナゲが美しくお山を飾っています。
1980年代には、外出しなくても描ける題材としてヌードを選び、80歳ころからテーマを変えて画業を続けました。2003年(98歳)まで作品を描いています。
まさにスーパーウーマンです。
~~
数カ月前に、等持院を拝観して、この足利尊氏などの木像も見て記憶しています。残念ながらその時の印象をこのブログに記録していません。また行ってみようかな。
実は、これまでこの画家のことを全く知らなかったのですが・・・
生誕110年ということですから、1905年(明治38年)に北海道で生まれ、2008年1月に亡くなています(103歳)。2003年98歳の時に描いた「ポーズ21」(ヌード画)が展示されていました。
ポスターの絵は、「面構 足利尊氏」です。京都の等持院にある木像をモデルとして何日も通ってスケッチして得た着想をもとに描いています。等持院には、足利義満と足利義政の木像があり、その面構も絵になっています。
音声ガイドを借りて、ゆっくりと鑑賞することができました。東京とはちがって有名画家の展示会でも押し合うほどの混雑はあまりありません。鳥獣戯画展(京博)などは別でしたが。
図録を購入しました。
表紙は、浮世絵師三代豊国の描いた人気浮世絵をバックに豊国を描いたものです。(豊国はカバーの折込に隠れています)
(引用:NHK教育テレビ日曜美術館「片岡球子」)
まず、球子さんは明治生まれでその時代に北海道から東京の美術学校に行って絵の勉強をした(親を説得した)ことがすごいです。女子美術学校を卒業したあと、横浜市の小学校教師をしながら制作に励み、院展(日本画)に初入選するのですがその後は落選続き。「落選の神様」とまで揶揄されました。
しかしこの時代に、児童生徒のスケッチに取り組んだことが、後年の人物画の基礎となったようです。
小学校教諭だった時代には、担任の生徒が卒業するときには一人ひとりの似顔絵を描き、言葉を添えて贈りました。テレビ日曜美術館の放送で、当時の卒業生数人がインタビューで、その絵を見せてくれました。
(同上テレビ画面)
「落選の神様」時代の球子は、学校で習った日本画の基本を守って懸命に作品を描いていました。
が、・・
この作品「カンナ」で、西洋画のような鮮やかな色彩と画題を選んで制作方針を一変しました。
(引用:展覧会図録 以下同じ)
一方で「ゲテモノ」として、日本画壇では異端の扱いを受けていました。でもそれを応援する大御所もいたようです。
上の絵は「海(真鶴の海)」です。とても想像できないような岩の形と色、海の色も突飛です。
徐々に実績を積み、評価が高まってきました。
この岩や山をさらにデフォルメして色彩を十倍鮮やかにした山岳の風景を描きました。妙義山、桜島、富士山など。
次に取りかかったテーマが人物。歌舞伎の舞台、面構シリーズを生み出しました。
「面構 歌川国貞・柳亭種彦」
「富士に献花」 1990年の作品。大胆な色使いの一方で富士山の中腹に飾られた赤い紋様は和服の絞り模様のように細密に白い点々が描かれていて、山麓には具象のひまわり、牡丹、シャクナゲが美しくお山を飾っています。
1980年代には、外出しなくても描ける題材としてヌードを選び、80歳ころからテーマを変えて画業を続けました。2003年(98歳)まで作品を描いています。
まさにスーパーウーマンです。
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数カ月前に、等持院を拝観して、この足利尊氏などの木像も見て記憶しています。残念ながらその時の印象をこのブログに記録していません。また行ってみようかな。