朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

法然院の紅葉

2013-12-11 | 京都の文化(冬)
安楽寺から東山に沿って北に数分歩くと、法然院があります。



ここは拝観料がいらないので、いつでも何度でも参詣で散歩にくることができます。



山門を入ると両側に白砂壇があり、時々、その模様が変わります。この日は、楓と銀杏の葉が川を流れる景色だと思います。



本堂前の庭。

運がいいと、本堂に入って住職さんの法話を聞くことができます。ユーモアを交えてためになるお話を聞くことができます。きれいなグラフ雑誌を頂いたことも有ります。



団子を串に挿して立てたような不思議なオブジェがあります。



こんな意味を表現してるようです。



境内から山門を眺めたところ。哲学の道から少しだけ離れているので、幸いあまり多くの人が訪れません。

雪の降った景色は、ここ

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安楽寺の紅葉

2013-12-10 | 京都の文化(冬)
哲学の道のすぐ近くの鹿ヶ谷に安楽寺があります。



この門の石段に散る紅葉の風景がよく知られています。(12月7日撮影)

法然上人の弟子、住蓮上人と安楽上人が「鹿ヶ谷草庵」を開山しました。両上人が称える礼讃声明(仏教アカペラ)は誠にすばらしく、当時、両上人の前で出家を希望する人も多くなりました。

”その中に、後鳥羽上皇の女官、松虫姫と鈴虫姫がおられました。両姫は、法然上人や開山両上人から念仏の教えを拝聴し感銘され、いつしか仏門に入りたいと願うようになりました。建永元年(1206)12月、両姫は後鳥羽上皇が紀州熊野に参拝の留守中、夜中秘かに京都小御所を忍び出て「鹿ヶ谷草庵」を訪ね剃髪、出家を乞います。



最初、両上人は出家を認めませんでしたが、両姫のお詠に感銘されます。
「哀れ憂き この世の中にすたり身と 知りつつ捨つる 人ぞつれなき」
 
19歳の松虫姫は、住蓮上人から剃髪を受け「妙智法尼」と法名を授かります。また17歳の鈴虫姫は、安楽上人から剃髪を受け「妙貞法尼」と法名を授かります。
 
この事を知った上皇は激怒し、念仏の教えを説く僧侶に弾圧を企てます。翌建永2年2月9日、住蓮上人は近江国馬淵で、同日安楽上人は京都六条河原で斬首されました。この迫害はこれに止まらず、法然上人を讃岐国(香川県高松市)に流罪、親鸞聖人を越後国(新潟県上越市)に流罪に処します。いわゆる建永(承元)の法難です。”(引用:安楽寺公式web http://anrakuji-kyoto.com/about)



仏足石。



本堂横の部屋には松虫姫と鈴虫姫の絵が飾ってありました。



鶴田一郎画伯の作品。



その画集が発行されています。



お寺の敷地を右手に登ると、



松虫姫・鈴虫姫のお墓がありました。



両上人亡き後「鹿ヶ谷草庵」は荒廃したのですが、流罪地から帰京した法然上人が追善のため「住蓮山安楽寺」と名づけて草庵を復興しました。

安楽寺、雪の石段写真はここ
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映画「利休にたずねよ」

2013-12-09 | もろもろの事
封切り2日目の日曜日(12月8日)に見に行きました。



圧巻は、海老蔵の演技、その冷静な表情でしょうか。中程で、若い時のストーリーが挿入されています。

山本兼一さんが直木賞を受賞したこの小説を読んで、おおこれは面白いと思いました。

小説では、切腹のところが最初の章、それから時間を逆にたどって順々にエピソードが展開していきます。

それを映画ではどう構成するのか興味がありました。さすがに「小説」のようには時間を遡る映像にはしてありません。

特別出演市川團十郎の演技も見どころです。実の父の遺作(満66歳で没)

小説の解説は、ここ



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北白川疎水から哲学の道へ

2013-12-08 | 京都の文化(冬)


ぎりぎり紅葉の残る哲学の道を北白川疎水に沿って散歩しました。(12月7日)



この大きなカエデの奥にあるのは、駒井家住宅。



京大で遺伝学教授であった駒井先生の自宅が保存されています。米国人ヴォーリズの設計による和洋折衷の家屋です。桜の頃の景色は、ここ



右手に京大グラウンドが見えてきます。昨年、全面的にアンツーカーに改装されて、この日はアメフトの練習をしていました。京大のアメフト部って強いのだろうか?



東山通の交差点が「銀閣寺道」。

ここから哲学の道が始まります。ドウダンツツジが真っ赤でした。



ここにある京豆腐の服部が、「おあげ寿し」を鉄板で焼いてつくり売っています。小腹が空いたので、つい買い食いをしました。

残念ながら、今月23日で閉店するとの張り紙がありました。



銀閣寺の門前町入り口では人力車が盛んに観光客を勧誘しています。

右手には、白沙村荘があり日本画家橋本関雪の邸宅があります。関雪夫婦がその疎水の土手に桜を寄付したことから、ここが桜の名所となりました。



桜の葉はさすがに全部散っていました。普段は目につかないサザンカの花が静かに咲いています。



紅葉の落ち葉を見ていてふと思い出したので、安楽寺の石段を見に行くことにしました。(つづく)
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金福寺

2013-12-07 | 京都の文化(冬)
詩仙堂から南に10分くらい歩くとこの小さなお寺に到着します。



あまり知られていない場所ですが、いろいろ由緒があります。



大きくはないお庭。ここも高低差がある敷地になっているので、山の斜面を少し登ります。



名物の三毛猫。遊んで欲しいのでしょうか、足元に擦り寄ってきました。



洛北の眺望が少し開けています・・今住んでいる場所もこの杉の木の真ん中あたりに見えているあたりです。

後方の山は、愛宕山



筆塚。書につかう、毛筆を祀る石碑です、書道も子供の習い事としては衰退しているのでしょうか(不知)。



このお寺は与謝蕪村とのいわれがあります。左が蕪村の墓、右は高弟の墓。



松尾芭蕉がかつてこのお寺を訪れたことがあります。その時には小さな庵があったのです。

それから数十年経って、蕪村はその壊れていた芭蕉庵を痛み、それを再建しました。



こんな茶室、窓から京都の風景が眺められました。



石段を降りると、



ドウダンツツジが鮮やか赤になってすくっと立っていました。

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詩仙堂の紅葉

2013-12-06 | 京都の文化(冬)
散歩コースの一つ、洛北にある詩仙堂を拝観しました。(12月5日)



江戸時代の石川丈山が開祖である曹洞宗のお寺です。彼は徳川家康の近侍であったのですが、文人として朱子学を学びました。



入り口の大きな山茶花がたくさん花をつけています。

”いま、詩仙堂とよばれているのは、正しくは凹凸窠であり、詩仙堂はその一室である。凹凸窠とは、でこぼこした土地に建てた住居というほどの意である。丈山はここに十境を見たてた。”
(引用:http://www.kyoto-shisendo.com/profile.html



丈山が中国の三十六人の詩家を選び狩野探幽に描かせた扁額が飾られた部屋があり、それが詩仙堂の名前の由来です。



座敷から庭を眺めた後、庭園に周りました。この庭は高低差がありそれを巧みに活かして変化をつけています。



センリョウが鮮やかな赤い実をつけています。



まだみごとな紅葉の木もありますが、多くのカエデの葉は散っていました。



庭から座敷の眺め。



変わったデザインの二階があります。観光客は登ることができません。



柿の木がいかにも初冬の風情です。



白砂と落ち葉。



サザンカの大木。



マンリョウと落ち葉。



後背には山があるため、湧き水が流れ込んでいます。

丈山の墓に参ったときの記事はここ

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清須会議

2013-12-05 | もろもろの事
映画の話題です。



三谷幸喜が原作・脚本・監督したこの作品を鑑賞してきました。

彼の作品はわりに好きでこれまでも「ザ・マジックアワー」はいい映画だったと記憶しています。(このブログに感想を書いたかなと思って、検索してみたのですがやはり書いてはいません)

さて「清須会議」です。
織田信長が明智光秀の謀反により暗殺され、それを知った豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)があっという間に反乱軍を押さえたあと、織田家の重臣たちが織田家当主を決定した会議を描いています。清須評定とも言われています。

よく知られているように、この会議で従来の筆頭家老の柴田勝家(役所広司)は秀吉(大泉洋)のしたたかな交渉術により、池田恒興(佐藤浩市)や丹羽長秀(小日向文世)に裏切られ多数派工作に失敗します。

この決定により秀吉の織田家乗っ取りと天下統一のスタートが切られました。

映画の作り方は、三谷流で確かに面白いし、トップクラスの俳優を配しているので上手に演じられています。しかし「史実」という枠がある歴史物は、奇妙奇天烈なシナリオを書くわけにいきません。おまけに、あまりにも有名俳優を並べすぎて、個々の役者の持ち味を発揮するところまではいっていないので、見終わって消化不良気味となりました。残念。

柴田勝家派の裏をかいて、信長の長男(光秀謀反により二条城で死亡)の長子「三法師」、当時3歳、を高く抱いて重臣たちの前に登場し、全員にひれ伏させる場面。とてもドラマチックな絵となるので、この映画でもハイライトされました。


 (引用:Wikipedia織田秀信)

史実では、直系の孫がいくら若いといっても、後継者となるのは当時の習慣で自明でもあり、その後見人をだれにするかが主導権争いのポイントだったようです。その点では勝家の意見がとおったわけですから、「裏をかいた」とはいえません。

絶世の美女で信長の妹、お市の方(鈴木京香)は徹底的に秀吉を嫌悪し彼を追い落とすために本心では好きでもない勝家を色仕掛けで味方につけ、ついには結婚までする。秀吉はお市様に強く憧れていたのでとても悔しがる。・・これも「史実」ではそうではなくて、秀吉自らがその縁談を提案した手紙が残っているようです。

清州会議のわずか9ヶ月後、琵琶湖の北にある賤ヶ岳で合戦の火蓋がきられました。

賤ヶ岳の麓にはきれいで静かな池(余呉湖)があります。その記事はここ

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柚子

2013-12-04 | もろもろの事
故郷の庭にある二本の柚子の木が今年も実をつけました。



昨年は、友人たちの昼食会が近くのレストランで開かれたので、みなさんにおみやげに持って帰っていただきました。

今年の収穫は、ゆずぽん酢を作るろうかな。皮を冷凍にする分と、残りは日干にしてみよう。

冬至、今年は12月22日(日)だとか。その日には「柚子湯」にしなければ。

とりあえず、



ジン・ライムならぬ、ジン・ユズにしてみました。

「ボンベイ・サファイア」のオン・ザ・ロックを、ユズの皮を齧りながら、味わいました。マドラーは竹炭。

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エアーズロック(オーストラリア、ウルル=カタ・ジュタ国立公園)

2013-12-03 | 油彩水彩画、雑誌の表紙
 オーストラリア大陸の中心に位置する。先住民アボリジニはウルルと呼び、聖地になっている。
巨大な一枚岩で、離れた場所に露出するカタ・ジュタ(オルガ山)と地中で繋がっている。都会から非常に離れた場所にあるため、出張のついでに立ち寄ることはできなかった。(ITUジャーナル Dec.2013)


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西本願寺 逆さ銀杏

2013-12-02 | 京都の文化(秋)
京の秋。追加です。



お西さん境内の銀杏がみごとな黄金色になっています。



午後の日差しに照らされて輝いていました。多くの参詣の方々もケータイやカメラを向けていました。



ちょうど、仏前結婚式を挙式した人たちが記念写真を取っていました。

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