哲学の道のすぐ近くの鹿ヶ谷に安楽寺があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/63/a89aa1aaf4b8ddb7885b0903313b0d14.jpg)
この門の石段に散る紅葉の風景がよく知られています。(12月7日撮影)
法然上人の弟子、住蓮上人と安楽上人が「鹿ヶ谷草庵」を開山しました。両上人が称える礼讃声明(仏教アカペラ)は誠にすばらしく、当時、両上人の前で出家を希望する人も多くなりました。
”その中に、後鳥羽上皇の女官、松虫姫と鈴虫姫がおられました。両姫は、法然上人や開山両上人から念仏の教えを拝聴し感銘され、いつしか仏門に入りたいと願うようになりました。建永元年(1206)12月、両姫は後鳥羽上皇が紀州熊野に参拝の留守中、夜中秘かに京都小御所を忍び出て「鹿ヶ谷草庵」を訪ね剃髪、出家を乞います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/76/e26599bcf87baee5883087fa20582de2.jpg)
最初、両上人は出家を認めませんでしたが、両姫のお詠に感銘されます。
「哀れ憂き この世の中にすたり身と 知りつつ捨つる 人ぞつれなき」
19歳の松虫姫は、住蓮上人から剃髪を受け「妙智法尼」と法名を授かります。また17歳の鈴虫姫は、安楽上人から剃髪を受け「妙貞法尼」と法名を授かります。
この事を知った上皇は激怒し、念仏の教えを説く僧侶に弾圧を企てます。翌建永2年2月9日、住蓮上人は近江国馬淵で、同日安楽上人は京都六条河原で斬首されました。この迫害はこれに止まらず、法然上人を讃岐国(香川県高松市)に流罪、親鸞聖人を越後国(新潟県上越市)に流罪に処します。いわゆる建永(承元)の法難です。”(引用:安楽寺公式web http://anrakuji-kyoto.com/about)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/75/46e4b1fb79f27d3d4e1ea7deaffdb8fb.jpg)
仏足石。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/81/b1f250ea271654c7092db895ca26be8d.jpg)
本堂横の部屋には松虫姫と鈴虫姫の絵が飾ってありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/ac/bc60bf60bd60c4b0ebbc898c4996bd2c.jpg)
鶴田一郎画伯の作品。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/e8/5b006fa248a9e216bc0899795ed54ac5.jpg)
その画集が発行されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/fc/36a98a93e3950eb3f6d123161242f43f.jpg)
お寺の敷地を右手に登ると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/ad/4559c474f12261a9d4da6aa7af7d9101.jpg)
松虫姫・鈴虫姫のお墓がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/55/95490646777c58cf24b0080de51e7685.jpg)
両上人亡き後「鹿ヶ谷草庵」は荒廃したのですが、流罪地から帰京した法然上人が追善のため「住蓮山安楽寺」と名づけて草庵を復興しました。
安楽寺、雪の石段写真はここ。
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この門の石段に散る紅葉の風景がよく知られています。(12月7日撮影)
法然上人の弟子、住蓮上人と安楽上人が「鹿ヶ谷草庵」を開山しました。両上人が称える礼讃声明(仏教アカペラ)は誠にすばらしく、当時、両上人の前で出家を希望する人も多くなりました。
”その中に、後鳥羽上皇の女官、松虫姫と鈴虫姫がおられました。両姫は、法然上人や開山両上人から念仏の教えを拝聴し感銘され、いつしか仏門に入りたいと願うようになりました。建永元年(1206)12月、両姫は後鳥羽上皇が紀州熊野に参拝の留守中、夜中秘かに京都小御所を忍び出て「鹿ヶ谷草庵」を訪ね剃髪、出家を乞います。
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最初、両上人は出家を認めませんでしたが、両姫のお詠に感銘されます。
「哀れ憂き この世の中にすたり身と 知りつつ捨つる 人ぞつれなき」
19歳の松虫姫は、住蓮上人から剃髪を受け「妙智法尼」と法名を授かります。また17歳の鈴虫姫は、安楽上人から剃髪を受け「妙貞法尼」と法名を授かります。
この事を知った上皇は激怒し、念仏の教えを説く僧侶に弾圧を企てます。翌建永2年2月9日、住蓮上人は近江国馬淵で、同日安楽上人は京都六条河原で斬首されました。この迫害はこれに止まらず、法然上人を讃岐国(香川県高松市)に流罪、親鸞聖人を越後国(新潟県上越市)に流罪に処します。いわゆる建永(承元)の法難です。”(引用:安楽寺公式web http://anrakuji-kyoto.com/about)
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仏足石。
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本堂横の部屋には松虫姫と鈴虫姫の絵が飾ってありました。
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鶴田一郎画伯の作品。
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その画集が発行されています。
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お寺の敷地を右手に登ると、
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松虫姫・鈴虫姫のお墓がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/55/95490646777c58cf24b0080de51e7685.jpg)
両上人亡き後「鹿ヶ谷草庵」は荒廃したのですが、流罪地から帰京した法然上人が追善のため「住蓮山安楽寺」と名づけて草庵を復興しました。
安楽寺、雪の石段写真はここ。