散歩コースの一つ、洛北にある詩仙堂を拝観しました。(12月5日)
江戸時代の石川丈山が開祖である曹洞宗のお寺です。彼は徳川家康の近侍であったのですが、文人として朱子学を学びました。
入り口の大きな山茶花がたくさん花をつけています。
”いま、詩仙堂とよばれているのは、正しくは凹凸窠であり、詩仙堂はその一室である。凹凸窠とは、でこぼこした土地に建てた住居というほどの意である。丈山はここに十境を見たてた。”
(引用:http://www.kyoto-shisendo.com/profile.html)
丈山が中国の三十六人の詩家を選び狩野探幽に描かせた扁額が飾られた部屋があり、それが詩仙堂の名前の由来です。
座敷から庭を眺めた後、庭園に周りました。この庭は高低差がありそれを巧みに活かして変化をつけています。
センリョウが鮮やかな赤い実をつけています。
まだみごとな紅葉の木もありますが、多くのカエデの葉は散っていました。
庭から座敷の眺め。
変わったデザインの二階があります。観光客は登ることができません。
柿の木がいかにも初冬の風情です。
白砂と落ち葉。
サザンカの大木。
マンリョウと落ち葉。
後背には山があるため、湧き水が流れ込んでいます。
丈山の墓に参ったときの記事はここ。
江戸時代の石川丈山が開祖である曹洞宗のお寺です。彼は徳川家康の近侍であったのですが、文人として朱子学を学びました。
入り口の大きな山茶花がたくさん花をつけています。
”いま、詩仙堂とよばれているのは、正しくは凹凸窠であり、詩仙堂はその一室である。凹凸窠とは、でこぼこした土地に建てた住居というほどの意である。丈山はここに十境を見たてた。”
(引用:http://www.kyoto-shisendo.com/profile.html)
丈山が中国の三十六人の詩家を選び狩野探幽に描かせた扁額が飾られた部屋があり、それが詩仙堂の名前の由来です。
座敷から庭を眺めた後、庭園に周りました。この庭は高低差がありそれを巧みに活かして変化をつけています。
センリョウが鮮やかな赤い実をつけています。
まだみごとな紅葉の木もありますが、多くのカエデの葉は散っていました。
庭から座敷の眺め。
変わったデザインの二階があります。観光客は登ることができません。
柿の木がいかにも初冬の風情です。
白砂と落ち葉。
サザンカの大木。
マンリョウと落ち葉。
後背には山があるため、湧き水が流れ込んでいます。
丈山の墓に参ったときの記事はここ。
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