朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

岩清水八幡宮

2012-04-20 | 京都の文化(春)
出町柳から京阪電車に乗って大阪に行くとき、木津川、宇治川、桂川が合流して淀川となる場所にあるこの八幡宮が気になっていました。



京都御所の鬼門(東北)には比叡山延暦寺がおかれ、裏鬼門(南西)を守護するためここに八幡宮が置かれたました。男山という小高い丘の上に立派な神社があります。



京阪本線「八幡市」駅からケーブルカーが出ていますが、今回は徒歩で登りました。



古い文学作品にも登場しています。最も有名なエピソードは「徒然草」のお話でしょうか。

第52段「仁和寺にある法師」
仁和寺に居た老僧は「一生に一度は石清水八幡宮へ行きたい」と思っていた。念願叶って石清水八幡宮へ行ったのだが、麓にある高良社や極楽寺などだけを参拝して満足し、他の人が石清水に行こうとして山を登っていたのに、今いる寺社が石清水だと思い込んで山に登らなかったという話。「どんな小さなことにも案内する人が必要である」という話であり、中学校で教えられることの多い文である。この話は、石清水八幡宮の本殿が男山の山頂にあることや、麓の摂末社も相当に壮大な造りであることを知っていて、初めて理解できる逸話である。 (引用:Wikipedia「岩清水八幡宮」)






松下電器(現パナソニック)の松下幸之助もこの神社への信仰が篤かったといわれているようです。



これはエジソン記念碑。

エジソンが発明した「白熱電球」のフィラメントに京都の竹を焼いて作った炭素が使われたそうで、その竹を採取したのがこの境内の竹林であったとか。
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櫻花の水絨毯

2012-04-19 | 京都の文化(春)


疎水第2分線、松ヶ崎疎水の桜並木です。



14-15日の週末で、ソメイヨシノはオシマイ。

松ヶ崎浄水場に昔は琵琶湖の水を取り込んでいたのでしょう。いまは違うようです、地下水の汲み上げでしょうか。それとも賀茂川や高野川の上流にダムを造ってパイプで運んでいるのでしょうか。

先日、京都造形大学の授業で、京料理の老舗の大将の講演がありましたが、京都は水道の水で十分にいい出汁が作れると言っていました。

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高野川、桜

2012-04-18 | 京都の文化(春)
出町柳で賀茂川に合流する高野川。遠景には比叡山がくっきりと。4月14日撮影。



左岸にはソメイヨシノの長い桜並木があります。



アップで見ると、半分は花弁が散っていました。



トリビアルな知識です。

賀茂川、鴨川の名称は両者とも使われています。一応、出町デルタの合流地点の上流が「賀茂川」、下流が「鴨川」とされています。

ついでに、神社の名称は?

上賀茂神社下鴨神社で正解でしょうか!?

*リンクを貼っておきましたので、クリックしてそれぞれの神社の公式webをご覧ください。

もっと調べると、橋の名称、バス停、児童公園名など、入り混じっているようです。ま、昔の地元の人たちは気にしなかったのでしょうね。

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俺のラーメン

2012-04-17 | 食べること、レストランなど
京都のラーメン・ランキング(食べログ)で、No.1が、なんと、とてつもない山の中にあります。



京都府の南端から、茶畑の山村を抜けて、滋賀県の信楽につながる国道。その途中にあるお店です。



ラーメンは、こくがあって、麺がどどんと太い(これはいい!)。



昼間だけの営業で、2pmまでで閉店。1:30pmころに入店したのですが、その後もお客さんが入ってくるのです。ネットのクチコミの効果がかなりあると感じます。
すごい時代になってきました。



国道沿いですがら、駐車場が大切、かつとても広い。



飲食ビジネスの常識を破るビジネスモデルでしょうか。

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木蓮

2012-04-16 | 京都の文化(春)
井手町、地蔵禅院の裏庭に大きな木蓮の木がありました、



青空にすくっと立って真っ白な花木です。春です。

このお寺からさらに石段を登ると、玉津岡神社があります。村の鎮守様という雰囲気の小さな境内。



お堂の上を見ると、手形の奉納額が並んでいます。この村では、88歳の米寿記念に手形を取って納めるのです。普通の人々の長寿記念として、なにか、ちょっとほんのりしました。
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真如堂 桜

2012-04-15 | 京都の文化(春)
早く咲く山桜などは散り始めました。(4月12日)



真如堂の境内の風景です。秋の紅葉の名所でもあります。



珍しい沙羅双樹の木、菩提樹の木があることも特徴です。沙羅は、日本では清楚な白い花が咲くナツツバキがそう呼ばれていて、インドの仏教伝統の木とは異なります。





晴れた日早朝に訪問しました。もう数人のおばあさんたちが参詣にきていて、ベンチに座っておしゃべりしていました。



こんな変わった花が咲いていました。「花の木」と説明が掲示されています。かえでの仲間とのこと、葉は出ていなくて濃い赤の花だけが大木の枝についていました。



インドや中国で見た仏塔よりも、日本のお寺の塔はやはり絵になります。



気持ちのいい桜の散歩をすることができました。

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馬酔木(あしび)

2012-04-14 | 京都の文化(春)


桜の華やかさに隠れてますが、日陰で馬酔木の花が咲いています。この写真は真如堂(京都)。

今朝のNHK(関西の旅)で、奈良の高畑のレポートを放送していました。志賀直哉の旧居があり、今はその周辺の古い町並みが気に入って芸術家たちが暮らしています。志賀直哉は高畑サロンをこの自宅で開いていました。そんな場所を再現するため、志賀宅の隣にありかつての高畑派の足立画伯が住んでいた家の庭を、中村一雄画伯が新たにサロンとして「たかばたけ茶論」を開いています。そのガーデンカフェの映像とインタビューをNHKテレビで見ることができました。

そのレポートの最後、高畑の地図の説明で「ささやきの小径」が少しだけ紹介されました。
春日大社から飛火野をへて高畑へつながる小道。この季節は馬酔木の花の森となっていることでしょう。
この木の葉は、毒があるので鹿たちは食べないため、春日大社の周りに馬酔木の木々が残りました。


( 隨心院(京都市山科)にて)


~~**~~
祇園にて歩行者を含め8人死亡の交通事故、負傷者も11人、私も普段よくあるく横断歩道での悲劇です。運転していた人の故意による事件の疑いがでています。その背景には2008年に起こった秋葉原通り魔事件との類似性があるのかもしれません。
ご冥福をいのります。
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哲学の道、桜満開

2012-04-13 | 京都の文化(春)
京都のソメイヨシノも満開となりました。写真は「哲学の道」、4月12日。



朝の早い時間だったので人出はまだ少ない。



このあたりは、銀閣寺道から南にすぐの琵琶記疎水です。朝日が東の方角から差し込んで来ました。



疎水の水面に桜の花木が反映していました。

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井手の玉川

2012-04-12 | 京都の文化(春)
京都府の南端、井手町。その真ん中を流れる玉川は「平成の名水百選」に選ばれたと書かれていました。





古くから多くの文学に登場しています。例えば:
源氏物語「胡蝶」の巻
”春の池や 井手の川瀬にかよふらむ 岸の款冬(山吹)そこも匂へり”

現在では桜と山吹が町の自慢となっています。


川岸ではお孫さんを遊ばせる年配の夫妻や、赤ちゃんをつれたママ友たちのグループも花見を楽しんでいました。
そのまわりには白と黄色の小さな蝶が数匹舞っていました。



朝堀たけのこの即売も店開きしていて、どんどんと売れていました。

昨日ブログに書いた地蔵禅寺の境内で机に並べて売っていた「竹の子すし」、外側がゆでた若竹の子で中に寿司飯を詰めたもの。とてもおいしかった。でも写真に撮るのを忘れた、来年また買いに行こう、草餅もよかったし。



老人ホームの方々が車いすを並べて花見をしています。満開の花の下でお世話係のひとたちも楽しそうでした。



~~
源氏物語 「胡蝶」の巻 与謝野晶子(訳) 出典:青空文庫 

盛りなる御代(みよ)の后(きさき)に金の蝶(ちょう)
しろがねの鳥花たてまつる   
晶子



三月の二十日(はつか)過ぎ、六条院の春の御殿の庭は平生にもまして多くの花が咲き、多くさえずる小鳥が来て、春はここにばかり好意を見せていると思われるほどの自然の美に満たされていた。

築山(つきやま)の木立ち、池の中島のほとり、広く青み渡った苔(こけ)の色などを、ただ遠く見ているだけでは飽き足らぬものがあろうと思われる若い女房たちのために、源氏は、前から造らせてあった唐風の船へ急に装飾などをさせて池へ浮かべることにした。

船下(お)ろしの最初の日は御所の雅楽寮の伶人(れいじん)を呼んで、船楽を奏させた。親王がた高官たちの多くが参会された。このごろ中宮は御所から帰っておいでになった。

去年の秋「心から春待つ園」の挑戦(ちょうせん)的な歌をお送りになったお返しをするのに適した時期であると紫の女王(にょおう)も思うし、源氏もそう考えたが、尊貴なお身の上では、ちょっとこちらへ招待申し上げて花見をおさせするというようなことが不可能であるから、何にも興味を持つ年齢の若い宮の女房を船に乗せて、西東続いた南庭の池の間に中島の岬(みさき)の小山が隔てになっているのを漕(こ)ぎ回らせて来るのであった。

東の釣殿(つりどの)へはこちらの若い女房が集められてあった。竜頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)の船はすっかり唐風に装われてあって、梶取(かじと)り、棹取(さおと)りの童侍(わらわざむらい)は髪を耳の上でみずらに結わせて、これも支那(しな)風の小童に仕立ててあった。

大きい池の中心へ船が出て行った時に、女房たちは外国の旅をしている気がして、こんな経験のかつてない人たちであるから非常におもしろく思った。中島の入り江になった所へ船を差し寄せて眺望(ちょうぼう)をするのであったが、ちょっとした岩の形なども皆絵の中の物のようであった。

あちらにもそちらにも霞(かすみ)と同化したような花の木の梢(こずえ)が錦(にしき)を引き渡していて、御殿のほうははるばると見渡され、そちらの岸には枝をたれて柳が立ち、ことに派手(はで)に咲いた花の木が並んでいた。

よそでは盛りの少し過ぎた桜もここばかりは真盛(まさか)りの美しさがあった。

廊を廻った藤(ふじ)も船が近づくにしたがって鮮明な紫になっていく。

池に影を映した山吹(やまぶき)もまた盛りに咲き乱れているのである。水鳥の雌雄の組みが幾つも遊んでいて、あるものは細い枝などをくわえて低く飛び交(か)ったりしていた。鴛鴦(おしどり)が波の綾(あや)の目に紋を描いている。

写生しておきたい気のする風景ばかりが次々に目の前へ現われてくるのであったから、仙人(せんにん)の遊戯を見ているうちに斧(おの)の木の柄が朽ちた話と同じような恍惚(こうこつ)状態になって女房たちは長い時間水上にいた。

風吹けば浪(なみ)の花さへ色見えて
こや名に立てる山吹の崎(さき)

春の池や井手の河瀬(かはせ)に通ふらん
岸の山吹底も匂(にほ)へり

亀(かめ)の上の山も訪(たづ)ねじ船の中に
老いせぬ名をばここに残さん

春の日のうららにさして行く船は
竿(さを)の雫(しづく)も花と散りける

(以下略)

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地蔵禅院の桜

2012-04-11 | 京都の文化(春)


京都府井出町、もうすこし行くと奈良県となる場所にある町、その高台にある古寺です。

樹齢280年のシダレザクラ、京都府の天然記念物に指定されていて、京都市の丸山公園の有名な桜の兄弟にあたるとか。

鐘楼の反対側から見ると、逆光となるのですが、こんな構図となります。



お寺の境内に咲く木瓜(ボケ)。



春たけなわで、赤、白、黄色と華やかになりました。

その近くには小野の小町の墓と伝承されている塚がありました。百人一首が正月のゲームとして使われなくなった昨今、若い人には、

小町、フー(who)?… (^。^)

となっていることでしょう。

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