遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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隅田川テラス

2019-01-11 04:38:43 | 行ってきました


とりあえず、吾妻橋からスタート

両国橋のたもと

遊覧船が頻繁に行き来する

隅田川の両岸はきちんと整備されていて、護岸整備も行き届き、アスファルト舗装や、花壇、掲示物、案内板、作庭など手がかかっている。安田庭園から岸辺の階段をテラスへと降り、隅田川沿いを散歩してみた。壁には小中学校生の作品が掲示してあり、浮世絵、古い写真などの掲示と相まって川辺を彩る。案内板も整備され、付近の地図や観光船の案内、花壇の手入れボランテイアの紹介等多彩だ。

川面の方の鉄柵には鉄製で相撲48手が型どられ国技館が近いことを感じさせる。通路は結構多くの人が行き来するが、なんといってもジョギングの人が多い。川には結構船が行き来する。大阪も水都と言われるが、お江戸も船便や水路は発達しているようだ。バブルの頃は水質が悪化し、相当汚れたらしいが、今はきれいになり、悪臭などはない。

折からの西日を浴びて、のんびりゆったりと水辺の道を散歩し、疲れたら手近なベンチで一休みと、実に快適である。今回は両国橋で上に上がった。橋の袂にももんじ屋両国の看板があり、イノシシが3頭ぶら下がっていた。モモンジとは四足の獣という意味らしく、獣肉が滋養に良いとされ、かっては珍重されていたという。

そこから程なく、両国花火資料館があるので立ち寄ってみたが、打ち上げ花火の玉や筒が展示してある小規模の展示がしてあった。三河花火のお膝元で育った私にはそれほど珍しくはなかった。


テラスに整備されている浮世絵

両国橋付近の案内板

ももんじ屋両国の店先

両国花火資料館

テラスの静かな散歩道

新しい年

2019-01-09 14:02:49 | 雑感


新しい年が始まった。東京に出てきて知りあいが少ないせいもあり、静かで穏やかなお正月である。来し方を振り返ってみると多くの方々に支えて頂いた。自分では何もできないのに、周りの方々に良くして頂いた。

家族はもちろんのことであるが、友人、知人、ビジネス関係の方々など、よくお付き合いいただいたと思う。ここまで「生きてきた」というより、「生かされて」きたといったほうがあたっているような気がする。第一私は身の回りのことすら満足にできていない。

とりあえず、今年は炊事、洗濯、掃除なども、少しずつ自分でできるようにしていきたい。明日は昨日の続きではなく、今日の努力が積み重なって来るものだとつくづく思う。昨日と同じ今日はなんと幸せなことだろうと思う。若い頃蔑んでいた「保守」は毎日のベースであったことに、やっと気付いた。

のほほんと過ごしていると、ボケ始めた頭には何も残らない。意識して過ごさないとどんどん忘却の彼方に物事が飛んでゆく。辛く寂しい高齢化である。

「めでたさも 中くらいなり おらが春」

76歳

2019-01-06 10:10:53 | 雑感


本日76歳を迎えた。あちこち「がた」は来ているが、まだ少しは使えそうな身体とボケ始めた頭がバランスを取っている。
年が開けたが、近年身の回りで急速に変化が押し寄せてきているように思う。なかでも通信、AI、右傾化への変化が激しいように思われる。

通信の発展はコミュニケーション、流通、決済方法の変化を促し経済のみならず政治状況へも影響を及ぼしつつある。これらを支え、推進しているのがAIだ。自動運転、介護、医療、ものづくり、軍事などあらゆる分野に活用されてきている。技術的な進歩が、監視社会、管理社会へとなってゆき、本来の低レベル労働からの開放へともっともっと拍車がかかって良いのだが、現状はそうはなっていないようである。

同じようなことが近年の日本の政治状況にも現れてきている。社会の進歩が人間を自由にし、より理性的にするのではなく、偏狭なナショナリズムに回帰させている。技術の進歩が我々を自由にするのか否かは、我々自身の手の中にある。はっきりと意思表示をせねばいけない。

こうした激しい変化の流れの中で、後期高齢者に突入した自分には何ができるのだろうか。この界隈に住んでいた葛飾北斎は90歳で息を引き取る際、「あと5年命があれば一人前の絵師になれるのに」と呟いたという。それだけ命をかけて画業の完成を目指していたのだろう。

大した目標もなく、のほほんと毎日を過ごしている我が身とはえらい違いである。ただ東京に出てきて息子やその家族との行き来が多くなってきたのが楽しいことである。本日もラインでお祝いメールが来た。

年末年始の宴(2)

2019-01-05 12:28:30 | グルメ

我が家の正月お節

ローストビーフとなます

豚の角煮

お雑煮と煮物

年が明け再び家族がテーブルを囲む。正月らしく昆布巻、黒豆、数の子、たつくり、きんとん、蒲鉾、伊達巻など定番の料理の他に、ローストビーフ、しめ鯖、ピクルス、紅白膾などが彩りを添える。ずらりと揃うと正月気分が盛り上がる

我が家の恒例は、食事に先立ち、お屠蘇を一人ひとりに注ぎ、その折に今年の抱負を述べるという行事だ。孫たちもそれなりに考えてきてあるらしく、きちんと抱負を述べた。アルコールが駄目なので、お屠蘇は口をつける形だけだ。

もう一つのイベントはお年玉の授与だ。孫たちにとってはこれが最大のイベントかもしれない。一人ひとりに渡すときちんと御礼の言葉が返ってくる。皆大きく成長したものだ。

こうして一大イベントが終わり、大人たちはダラダラと酒盛りを始める。今年はふぐのヒレが用意してあり、熱燗でひれ酒を頂いた。これまた幸せである。

来年も同じメンバーが揃い同じ様に新年を寿げる充実感を味わうことができるだろうか。
こうしてみると、つくづくなんでもない日常がありがたく思えてくる。これが目出度いということなのか。神様に感謝せねばなるまい。

正月を迎え、以上が後期高齢者に突入したものの感慨である。あまりおめでたい感想でなくてごめんなさい。

年末年始の宴

2019-01-04 17:15:29 | グルメ



手巻き寿司料理メンバー勢揃い

年末年始は息子たち二家族と我々が合流し三家族の宴となった。長男の家が舞台である。三家族が各々得意料理を持ち寄りパーテイとなる。年末は手巻き寿司と年越しそばだ。

次男の家は豚の角煮、テリーヌ、ロースハム、牛すじの煮込みなど肉好きの嫁さんが腕をふるった料理だ。紅白なますも大量に作ってある。我が家はリクエストの多かったお煮しめ、炒め糸コン、ピクルス。メインは長男家が用意した手巻きセットと年越しそば。

家族総勢10人が揃うと壮観である。長男の子供はいずれも女の子だがこの3人共お母さんをよく手伝う。今どきの父親としてはちょっと威張り過ぎではないかと思う長男の言いつけを「はいはい」とよく聞き、甲斐甲斐しく働く。この頃はお互い喧嘩をすることもなく3人それぞれ役割を分担する。

大人は酒を嗜まない長男のお嫁さんを除いて5人は酒盛り、あとの5人は手巻きパーティだ。女の子は高、中、小、男は小学生なので賑やかである。

やがて紅白歌合戦が始まると皆口数が少なくなりTV画面に集中し始める。早めにスタートしておいたのでスムーズだ。やがて紅白歌合戦が終わる頃になると、お嫁さん二人と子供がお蕎麦を運んでくれる。なんか申し訳ない気持ちだ。

どこにでもあるよな年末風景だが、これが幸せというものの実態ではないかと思う。こういう年末をあと幾度過ごすことができるのだろうか。

新しい年

2019-01-01 00:26:57 | 雑感


皆様あけましておめでとうございます。

齢76歳を迎え、円満にボケてゆくのかと覚悟をしていましたが、どうもそうは行かないようです。考えてみれば人間生まれてくるときも一人、死んでゆくときも一人です。恥ずかしながらその覚悟が私にはできていませんでした。

朝起きてから眠るまでの16,7時間、家人を始めとするいかに多くの人に支えられてきたのか。本年はそのありがたさに感謝し、自立にチャレンジする年にしたいと思います。

多くの皆様に御迷惑をおかけするとは思いますが、何卒よろしくお願いいたします。