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下山の思想

2012-01-28 16:16:29 | 

幻冬舎新書「下山の思想」五木寛之著 2011・12刊

文明観察記というジャンルがあるかどうかしらないが、これは文明の潮流を書いた、大きく言えば思想書である。

明治以来我々は昨日より今日、今日より明日が豊かになる、と信じて働いてきた
し、実際そうなってきた。空襲徹底的に破壊された国土を前にしても、私達の父母は明日を信じて、坂の上の雲を目指し、額に汗をし、ひたすら頑張ってきた。こういう時代には自由競争、資本主義はぴったりのシステムだったように思う。

ところが、この傾向は永遠に続くものではない。地球の資源、環境に限界が見えてきた。加えて、日本は人口減少が始まり、格差社会が出現してきた。新興国BRIKSなどの台頭と、先進国の停滞、或いは覇権の交代と言う循環論より、すべてを右肩上がりを前提としてきた人類の営みに限界を示していると理解したほうが納得できるのではなかろうか?

例えて言うのなら、私たちは、山を登り、頂上を極めた後、今や下山期に入ってきたのだ、と著者はいう。下山には下山の楽しみ方がある、だから今までと価値観を変えようというのだ。

敗戦の廃墟から立ち直った時と、震災・原発事故からの復興は違うのではないか。
ギリシャ、イタリア、ポルトガル、スペイン、の国情が、単に怠け者国家だから、というだけでなく、徒に右肩上がりを夢み、量的な豊かさを追い求めてきたせいではないか、このままで行くとやがてアメリカ、日本も同じ轍を踏むのではないか。

「もったいない」、「足るを知る」というような価値観、あるいは、「一番でなければなぜいけないのか」ということを、掘り下げて考える(それはそれなりに意義のあることだが、とにかく無批判に一番を目指すのがいいのか?)のも、必要なのか、と考えさせられた。

私たちは無意識のうちに追い立てられるような焦燥感を持って、量的な拡大に向かってひたすら励んでいた。毎日、すべての人々が坂の上の雲を目指していた。
果たしてそれが全てだろうか?一歩下がってみてみると、ブータンのように、GDPではなく,GNHを追求する生き方もある。鍵山秀三郎さんのような生き方もある。

いろいろなことを考えさせられる著書であった。と言って肩肘張った思想書ではない。エッセイ集だ、この時代、この時期に考えさせられる本である。一読をお勧めしたい。