遅いことは猫でもやる

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蚕糸博物館

2014-09-06 06:54:15 | 行ってきました
諏訪湖は良い天気だった

富岡製糸工場が世界産業遺産に認定されてこの方、岡谷にある地味な蚕糸博物館にも急に参観者が増えたそうな。改装して一ヶ月で入場者1万人を達成したという。野次馬根性旺盛な私としては行かずばなるまい。
早速諏訪湖畔を通り、岡谷にある現地に赴いた。

 管内は撮影禁止で残念

ウイークデイの事ゆえ流石に人は少ないが、確かに人は切れ目なく訪れている。

そもそも近代日本の富国強兵策の柱の一つとして絹糸及び絹織物の輸出があったように思われるが、歴史的には幕末この地方で蚕糸業が興った。「1765年、岡谷の小坂村で小坂桑が発見され、土
地柄にあった桑の栽培が始まると、冬が長く、寒さが厳しい諏訪地方では、農業の副業として、蚕飼い・生糸 づくりが盛んに行われるようになります。」
明治末期には中国を抜き世界一位の生糸生産国になった。国内では長野県に次いで愛知県が2位という。一寸意外だった。

こんなところに豊田佐吉の織機発明の気運もあったのだろうか。初期には糸の品質が悪く外国から悪評を買った時期もあった。そこを外国からの設備導入と組織力とで改善し、瞬く間にトップに躍り出た。
外国からの金属製の繰糸器を日本製の陶器と木製のもので安価で大量に生産した。そんな機械が展示してある。

この博物館の特徴の一つは、現役の製糸工場が併設されていることである。蚕糸の私の疑問は、繭から糸をどうやって引き出すのか、一つの繭から次の繭の糸をどうやって繋ぐのか、であったが、実際に昔ながらの手作業時かによる作業の中で納得した。
絹糸は表面が細かいうろこ状になっているとどこかで読んだことがあるが、そのことが解決の基礎になっている。機械があったら一度見られると面白い。

ついでながら、シルク石鹸というのも体験してみたが,その泡立ちのきめ細かさにも驚嘆した。1929年の大恐慌で生糸産業、絹織物は大打撃を受けて衰退するのだが、その細やかな肌合いを実現し、大量生産を果たした日本の技術に誇りを覚えた。ここらに来たらぜひ立ち寄られたい。

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