遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
更新は猫以下の頻度です。

お知らせ

Twitter で更新情報が観られます。やってる方はこちらからフォローどうぞ。
http://twitter.com/gaiki_jp

ルーツに触れる 「謄写版と岡本家」展

2011-01-13 10:08:44 | 家族



先日、本家筋に当たるいとこから案内が来た。今度碧南市で「謄写版と岡本家」
という、展示会をやるので、それを契機に「いとこ会」を開催するというもの。

家を建て替えるに当たり、取り壊す蔵の中を整理し、所蔵品625点余りを碧南市
に寄贈したのがきっかけである。市の文化財課の人が、歴史的な考証をしたもの
であるので、信頼できる。口伝えに聞いていたことなどが少し修正された。

碧南市の藤井達吉現代美術館の地下展示室で開催されている(入場無料 1/30まで)この展示会は予想より、随分きちんとしており、学術的にも意味がありそうである。


昔懐かしいガリ版器材

3代目利助が、95人の職工などとともに、当時としては先進的だった西洋型帆船
の建造をおこなったのだが、経営不振のため亀崎の株主が手を引いたので、養子
の与一郎(岡崎、平岩家出。私から言うと祖父)とともに経営にあたった。

色々な不運も重なり、明治37,8年頃廃業のやむなきに至った。(そういえば、子供
の頃、家の横がドック跡となっており、そこでで親父と泳いだ記憶がある。)
このあたりのことは、郷土史家 村瀬正章「伊勢湾海運の歴史」法政大学出版会刊でも触れられている。

与一郎は明治39年渡米し、造船業の視察をし、造船業の復興を図ったが、岡崎の実兄の勧めもあり断念。渡米で身につけた英語を活かして、通訳や、梅村学園の英語教
師をして生計を立てた。

そののち、謄写版業に身を置くことになる。教員生活の中で、テキスト制作などに関与することが多かったせいだろうか。与一郎は研究熱心で、謄写版原紙に最適な和紙(雁皮紙)を求めて全国を捜し歩いたり、原紙作成のゴムローラーで
は柔軟性に欠けるとして、ゼラチンローラーを開発したりした。そういえば事務
所の片隅で、郎の匂いを立てながら原紙製造をしていた光景を思い出す。

あとを継いだ功氏は、会社を印刷部、営業部、研究部の三部に分け、運営した。
三男だった私の親父も、営業の手伝いや、技術の普及活動をする研究部で、一心舎式謄写法を世間に伝授していた。

若い頃、親父に自分のところの技術を教えたら、商売仇を増やすのではないかと
聞いたことがある。「そんなケツの穴の小さいことを言っててはダメ。素人と玄
人とは技術の違いがあるし、尊敬され商売せねばいけない。またみんなが習えば、
材料は売れるぞ」と研究会の仕事には自信を持っていた。現に親父が亡くなって
から、県庁のお役人に、「貴方のお父さんからガリ版の切り方を教えていただい
たのが役に立った」とお礼を言われたことがある。後年苦労して取得したオフセット
技術を業界の方に普及したのもこの流れがあったからだろう。

この展示会で、岡本家のルーツには当時のベンチャー精神があったこと、また、
藤井達吉翁(a.wikipedia.org/wiki/藤井達吉 )と遠縁であったこと、などを知ることができた。こうした血が自分の中にも流れていると思うと、なぜか力強く嬉しい。

父親が満州へ行って一旗あげようとしたのもこういう背景があったのか、と、妙
に懐かしいような、或いは勇気が沸いてくるような感情になった、楽しい「いとこ会」であった。
もし時間のある方がおられたら足を運んでみてください。
明治時代こんな片田舎にも、時代を切り開こうとした試みがあったということが確認できます。


物故された親類縁者の法要も行った。


//////////////////////////////////