HAVE A NICE DAY!

徒然なるままに特に音楽の話を中心にあーだこーだと書き連ねます。

風の歌を聴け

2005年05月31日 | 音楽・映画・本
これは村上春樹のデビュー作。最近読み直した。そこでちょっと驚いた。自分が20代前半で読んだ時と印象が違ったから。私は当時ニューヨークという町に憧れていた。結局まだ一度も行ったことがないのだけどね(苦笑)とにかく、ニューヨークの作家の本をよく読んでいた。たとえば、ピート・ハミルなんかが好きだった。ニューヨーク出身の女性アーティストのスザンヌ・ベガの書く歌が好きで、トム・ウエイツのけだるい音楽が心地よかった。そうそうブルース・スプリングスティーンの歌もマンハッタンやブルックリンを題材にしていたね。もちろん彼の歌は好きだったし、彼は素敵な人だと今でも思う。そこらへんからニューヨークスタイルのカフェにあこがれたりもした。カフェというよりダイナーっていうのかな。軽くサンドイッチとかコーヒーとか飲める場所。フランスのパリにあるカフェやロンドンのパブとはまた違う独特のニューヨークのカフェのイメージは当時読んでた小説や聴いていた歌から勝手に自分の中で広がっていた。

ところが、最近は日本でもそのニューヨークスタイルのカフェであるスターバックスやらタリーズやらがあちこちに出来て、日本にいてもその雰囲気は多少なりとも味わえる。といっても周りは日本人がほとんどだけど。でも、一人で入って、ぼ~っとしていても落ちつける空間というのはいいものだ。そこで本を読んだり、詩を書いてみたり・・・って実際は毎日時間に追われている身なのでそういうことをするのはごくたまになのだけど(苦笑)

そういう環境の変化なのか、それともあの9.11同時多発テロ事件の後遺症なのか、当時ほどニューヨークにキラキラした輝きを見出せない。どこか哀愁を帯びたそういう雰囲気の中でのニューヨークなら受け入れられるのに。私は当時はきっと村上氏を通してニューヨークの輝きを感じていたんだろうな。ゆえに今読むとどこか寂しく、カフェあるいはカフェバーへの憧れも小さくなってしまっているのがわかる。というかごく身近になりすぎてしまっているんだろうね。誤解のないようにしてもらいたいのは別にこの「風の歌を聴け」というのがニューヨークを舞台にしている小説ではないことだ。舞台は日本だ。でも、彼の書くスタイルがニューヨークの作家スタイルなんだ。彼がよく小説にも登場させる彼のお気に入りの作家のスタイルを日本社会で日本語で実験しているんだ。きっとデビュー作だから、それがはっきり見えてしまうんだろうね。その後の作品には彼自身のスタイルが強くなり彼の内面を見つめるものが多くなってくる。「ノルウエーの森」はまさに彼しか書けないそういう世界だ。だから、私は彼の作品はどんどん好きになっていくのだろうね。「風の歌を聴け」の中で好きな部分がある。それは「嘘」について書いた部分。もし興味があれば、本屋さんでも立ち読みでもして読んでほしいな。(34章の冒頭部分だから)
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流星ワゴン☆

2005年05月31日 | 音楽・映画・本
この3日間ほどで一気に読み終えた小説「流星ワゴン」。これは重松清氏の作品。そもそもこの本を買おうと思ったきっかけは、そう5月3日に行ったファミリーロックイベントにJET KELLYと対バンしてた流星ワゴンと同じ名だったからという単純なものだった。(もしかしたら、この小説からバンド名をつけたのかな?)

しかし、そんな単純な出会いであったにもかかわらず、この小説はとても心に滲みるよい作品だった。通勤中とか電車の中で読んだりもしていたのだけど、思わず涙が出そうになって困った。最近よくありがちな「いかにも」って感じで人を泣かそうというような小説ではなくて、自然にほろっとしてくるそういう感じだ。かつて子どもであった人や今親である人なら誰しもなんかを感じてしまうそういう話だと思う。これは3組の親子、厳密には父と息子の話。残念ながら私は父にも息子にもなれないけど、親子の葛藤については感じるものがある。

これは主人公のカズオが家庭崩壊やリストラにあって「もう死んでしまおうか」と思った時にある親子と出会ったことに始まる。この親子、実はもう何年も前に事故で死んでしまっている親子で、すなわち幽霊なわけ(笑)でも、見た目とかすべてふつうの人間と変わらない。その親子はオデッセイに乗っていて、そのカズオを過去の彼にとって大事だと思える時に連れていってくれる。どこか映画『バックトゥザフューチャー』を連想するけど、タイムスリップしたり幽霊がいたりしても話自体はリアルな人間関係を描いているからこの小説は厚みがある。そして、その過去で今の現実のカズオと同い歳のカズオの父と出会う。実はカズオの父は今の現実では危篤状態でしかもカズオは父が嫌いだった。しかし、同い歳の父と出会うことでいろんなことがみえてくる。そして本当は親子なのに友達になる。

男の人が考える理想の父親像というのは一体どんなのだろう?父親になった人はよく息子とキャッチボールなんかをしたがる。まさに親子って感じる瞬間なんだろうか?実際、私のところは姉妹だったので男の子がいなくて仕方が無かったのか、私はグローブを持たされ、日曜日はいつも決まってキャッチボールをさせられた。そう小学生の時に。でも、案外楽しかったな(笑)夏休みの工作なんかも「よし、手伝ってやろう」なんていって、当時私は京都の上京区というところに住んでいたのだけど、そこの千本通りと今出川通りというのがクロスしているところの北の方にある模型屋さん(今もあるのかな~)でモーターや塗料を買って、家にあった木切れで車をいっしょに作った。なんで車なん?(笑)って今振り返って不思議に思う。やっぱり男の子が欲しかったのかな~。でも、自分は父にずっと愛されているということにいまだに疑問を抱いたことがない。父を見ててか、自分のだんな様になる人も第一に子どもを愛せる人でないとだめだと思っていた。もちろん、愛しかたなんて人それぞれだし、表現がへたな人もいれば、上手な人もいる。でも、どういう形であれ、ほんとに愛しているかはわかるもんだ。よくできちゃった結婚する人がいるけど、あれは私からするとほんと大学でいうと東大の母親科(そんなもんないよ・実際は・笑)卒か父親科卒のエリートな母や父だけに与えられる特権のように思えるぐらい、恐ろしいことだ。特の女性に言いたい。その相手はほんとに子どもを愛してくれる人なのか?見極めている?子どもってすぐ病気するし、怪我するし、分けわからない事で泣くし・・・それをあなたと協力して献身的に育ててくれる人?そうでないと結婚自体、まったく環境が違うところで生きてきた人と人とが暮すのだから、まず、2人の暮しを2人で学習(あえてこういう・笑)してからじゃないと大変だよ。それもできてないのにそこに大きな責任ある子育てが来てしまうと勉強量は10倍ぐらいになってしまう。それはまさにエリートの生き方。勉強に追われる日。でも逃れられない。で、嫌になった方が子どもをほったらかしにして・・・たまに悲劇は起こるし、離婚率も高くなる。

なんか話がそれて、しかも長くなったね。とりあえずここでいったん終了。
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