2月13日(火)晴れ【道元禅師のお父上について】
引き出しの中を終活片づけをしていましたら、道元禅師のお父上について、石井修道先生に質問して、お答えいただいたコピーがでてきました。
一枚の紙ですが、赤ボールペンで「重要」と書いてあります。書いたのは私です。
さて、お父さんは、「現在では通具説が有力」とお書きくださっています。
「『建撕記』の「源氏村上天皇九代之苗裔也。後中書王八世遺胤」を歴史学の数え方だと通親になるのですが、禅籍流に読むべきでしょう。」(そうしますと通具になります。)
また「建暦2年の叡山出家の時、良顕法眼の「親父猶父定テ其瞋アラン」の語は当時、実の父は生存者であったと思われます」
つまり猶父は養子に入った藤原基房のことで、親父とありますから、親父と養子に入った猶父は怒っているであろう、ということになりますので、ご存命であるということになります。通親ですと、道元禅師が3歳の時に亡くなっています。
また「育父上堂の理解は諸橋轍次の説をとりいれ」とあります。
(これは上記の個所を、あまりよく理解できなかった私見)諸橋の『大漢和』で改めて「育」を調べましたが、「育てる。養う、うむ」など等の意味があります。もし養子縁組をした義理の父の場合、この時代は「猶父」の表現のほうが一般的だったのではないでしょうか。
このようなことで、道元禅師様のお父上は、源亜相であった源(久我)通具しかないということになります。
(なぜ道元禅師はわざわざ明記なさらなかったか、と思ったりしましたが、ちゃんと書いていますよ、と言われそうですね。)
(ちょっと固い話ですので、ルナちゃん登場。段ボールの中にいた子猫ちゃんです。)