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風月庵だより

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未来都市新宿と奥山貴宏氏の本

2005-12-27 18:25:01 | Weblog
12月27日 (火)【未来都市新宿と奥山貴宏氏の本】
*前に書いた文章を訂正したいが、その方法がわからないので、一筆訂正。
 「先見の眼」を「先見の明」に訂正したい。

 奥山貴宏氏の『ヴァニシングポイント』を近所の本屋さんに注文しておいたが、版元にももうないという。また増刷の予定はないという。奥山氏が死力を絞って書き上げた最後の小説を読ませてもらいたいと思っていたので、何とか手に入れようと考えた。新宿の紀伊国屋にあるかもしれない。その足で新宿に出た。久しぶりの新宿である。高校も大学も新宿の近くだったので、南口の甲州街道から伊勢丹あたりは15歳から熟知の場であり、歌舞伎町は大学時代の懐かしき遊び場である。新宿の隅々まで知っているような気がしていた。まず伊勢丹の並びにある紀伊国屋に行った。そこで検索機があったので検索すると南口店においてあることがすぐにわかったので、とっておいてもらうようにカウンターで頼んだ。とにかく大事な一冊である。南口店の道を教えてもらい、本があったのでほっとした気持ちで道を急いだ。
 かつて甲州街道を挟んで南口の 向かい側はどうなっていたかまるで思い出せなかったが、そこには全く新しい街が出現していた。きれいなビルが建ち並び人が溢れていた。高校時代三年間通った道であるが、全くの変容ぶりで、本当にかつての姿が浮かばないのである。百円の牛丼屋も甲州街道のガードの傍らにあったような気がする。そのあたりにはバラックのような店もあったような気がするが片鱗もない。四十年も前のことだから街の景色が変わって当たり前のことであるが、とにかく驚いた。浦島太郎の感である。
  
 私が高校生であった頃は、考えてみれば戦後僅か十六年のことだ。高校の近くには赤線もあった。特にこの南口から新宿御苑に向かう道の両側は開発が遅れていたので、それだけ開発の余地がおおいに残っていた所でもあり、開発されて当たり前である。私が南口の方には足を運ぶことが長い間なかっただけのことで、たいして驚くにはあたらないことだろう。街の変貌を楽しむためにも、いつか歌舞伎町にも行ってみようかと思う。歌舞伎町は大学時代一週間に二回は遊びに行った青春時代の思い出が詰まったところであるが、さあどんなになっているか楽しみである。
 
 東急ハンズの斜め前に紀伊国屋があるようだ。この東急ハンズは奥山氏が生前ときたま通った店であることを思い出した。颯爽とバイクに乗った奥山氏の姿を、行き交う車の中に追ってみた。かつて癌と向き合いながら、格好良く生きた若者が一人、この道を走っていたのだ。そして老人というにはちょっと早いが(本人はそう思っている。団塊の世代といわれる世代の一年前に生まれたのではあるが。判定やいかに。)、尼僧が一人、彼の小説を求めて、師走の新宿の街を足早に歩いている。奥山氏自身、自分が投げかけた石がこんな風に展開していくのを天から笑って見ているだろうか。そして一人の尼僧が、ブログというインターネットの世界を教えてもらって文字盤を叩いていることも、思わぬ展開の一つと笑っているだろうか。
 私にしても、いつ、この世から消えていくか判らない。一人でも二人でも読んでくださる人がいれば、その方と共に時間の共有ができることはなかなか面白いことではないかと思っている。 
 奥山氏の『ヴァニシングポイント』をついに手に入れた。
 他に数冊の本を選んで、未来都市新宿を後にした。