mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

記憶に悲しみが宿る――忘却の残酷さ

2015-11-07 10:33:25 | 日記

 チリのパトリシオ・グスマン監督の手になる映画『真珠のボタンEl Boton de Nacar』(2015年)と『光のノスタルジアNostalgia de la Luz』(2010年)を見た。「連作」と紹介されていたのは、1973年のピノチェトのクーデタ後にたくさんの左翼活動家や政治家たちが逮捕・拘禁され虐殺されて、未だに行方がわからない事実に基点を置いて制作されているからであろう。だが、2010年作と2015年作とは、はっきりと焦点が違う。

 

 グスマン監督にはすでに『チリの戦い』というアジェンデ政権の誕生から崩壊までを描いた三部作ドキュメンタリー映画があるという。これを私はまだ見ていない。それから類推すると今度観た2作は、グスマン自身が、崩壊後40年を経たチリを描きとろうと試みた作品と言えるのかもしれない。その2作品に私が感じた「違い」とは、ピノチェトの虐殺という事実を、宇宙の創成とつながっている視点から見て取ろうとしていた『光のノスタルジア』に対して、『真珠のボタン』は、チリの歴史の連続性から見て取ろうと、グスマン自身の視座の転換をみせている。

 

 チリのアタカマ砂漠は標高も高く世界随一の闇に包まれているから、宇宙観測の天文台には絶好の建設場所である。そこから138億年前のビッグバンをも観測する。その観測画像は壮大であるだけでなく美しい。カメラが動くことによって画像も動きを保ち、時を越えて(あたかもタイムマシーンに乗っているかのように)眼前に時空の旅をしているように思える。

 

 『光のノスタルジー』はこの天文台の観測学者から始まる。その天文台を映すカメラの一角に、アタカマ砂漠を下を向いて何かを探すようにゆっくりを歩く人の姿が、青く白みはじめたスカイラインに浮かび上がる。カメラを寄せてみると、ピノチェトによって虐殺されこの地に埋められたという弟の骨を探す72歳の女性。「顎の骨だけではだめなんです。全部の骨を掘り当てなければいけないんです」という声は、弟が実在していた形跡をどう確信したらいいのかわからない悲痛な叫びのように聞こえた。親しくかかわりあった人の「記憶」の中にしか痕跡を残すことのない「人間の実在」は、断片だけではなく丸ごとの「かんけい」であったのだと訴えている。観測学者の時空をとびこえて見てとる星々の画像は、あたかも弟のすべてを写し取る行為に相並ぶ。マクロとミクロが一つのこととして腑に落ちるイメージ。それを「ノスタルジーNostalgia」と名づけたわけはわからないが、ノスタルジーでしかないのか? と私の内心の何かが不満をこぼす。スペイン語のNostalgiaと日本語のノスタルジーが、同じ含みをもっているのかどうかは知らないが、ノスタルジーって、ひどく感傷的すぎないか。ピノチェトの虐殺が40年前とは言え、弟の実在の痕跡を「丸ごと探そうとする振舞い」は「(虐殺を決して)忘れないぞ」という宣言に思える。宇宙観測とのアナロジーで感傷的に語るだけでは済まないことではないか。済まないというよりも、宇宙に「一切放下」してしまう(ように見える画像の)センスは、日常のリアリティからの逃避にさえ道を開くのではないか。そういう思いが(たぶん)グスマン監督の胸中にも残ったのではなかろうか。

 

 だが私たちは、簡単に忘れる。1970年に誕生したアジェンデ政権のことは(当時、全共闘の動きなどに思想的な刺激を受けていた私にとって)、南米に新しい時代が来ていると思わせる出来事であった。そうして、1973年のクーデタは(詳細は『ミッシング』という本によって後日知らされるのだが)合衆国政府の仕掛けた壮大な政治的ミッションであったこともあって、国家や国際関係やアメリカのリベラリズムがどれほどに過酷なリアリティを政治現実に体現しているかを思い知らせたものであった。にもかかわらず、すっかり私は、このことを忘れている。こうした映像をみせられなければ、チリ(という地域の)の実在自体が私の日常からはすっかり消失してしまっている。

 

 グスマン監督の次の一歩が『真珠のボタン』であった。パタゴニアに住でんでいたチリの先住民がどのような習俗を持っていたかを垣間見せ、そこへ入って来たヨーロッパ人がどのように彼らを虐殺し、離島に囲い込み、そしてのちにピノチェトが逮捕した人たちをこの島に隔離し、虐殺していったかを重ねていく。その虐殺の痕跡を消すために、遺体に30kgのレールをつけて海に沈める。そのレールを海の底から探し出したものについていた(人とともに沈めたという)痕跡が、「真珠のボタン」であった。今度はグスマンは、宇宙ではなく、「水が記憶している」こととしてこれに焦点を当て、私たちがいかに忘れることに長けているかを浮き彫りにする。つまり、ピノチェトの虐殺だけでなく、いま現存するヨーロッパ渡来の人々が、インディオを虐殺してきた痕跡も重ねて取り出すことによって、私たちの「記憶」がいかに大切であるか(いい加減であるか)を経由させて、ピノチェトの虐殺を見ようではないかと静かに話しているように思えた。

 

 ピノチェトの虐殺に憤ることは難しくない。だが、グスマンはそれを突き抜けている。現存する私たち自身が(じつはピノチェトと)同罪ではないのか、人が生きるとはそのように悲しく哀しいものなのだと、身の裡に訴えかけているように感じる。もし啓蒙的に見るなら、グスマンは、今の人たち自身がピノチェトの虐殺を忘れ、インディオの虐殺を忘れて暮らしていることへの、警鐘を鳴らしたと言えなくもない。でもその様に啓蒙的に受け止めるよりは、グスマン監督自身の「世界」と「宇宙」がひとつながりになって、自らの実存と重ねて見えるようになった作品だと言えるのではなかろうか。