mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

静かな社山、山の愉しみの予感に満ちる

2014-09-18 09:54:46 | 日記

 鬼怒川や日光へ向かう電車は6、7割の乗車率であろうか。通学客が多い。この電車に今日の山行参加者全員が乗っていたと分かったのは、東武日光駅に着いてから。レンタカーを借りて、さっそくいろは坂へと向かう。8人乗りの車体は満席でもゆったりと座れる。中央座席が大きく前に倒れて後座席の人の乗り降りに不都合なく設計されている。運転は、同じ大きさの車としては、とても楽に感じる。右左折の内輪差もそれほど大きいと思わない。左ボディ側面を見るのに、小さなミラーがついているのも、ちょっとした小技である。

 

 日差しが出ている。だが中禅寺湖に上がると、上空には雲が漂う。男体山も姿をかくしている。立木観音を過ぎたあたりから半月峠に向かう林道をたどる。ところどころで、路面の中央線の書き直しをしている。この路線の利用者が多くなる紅葉シーズンを前に手を入れておこうというのであろう。NHKの定点カメラが据えられている半月山の手前の駐車場はすっかり雲の中。湖面も見えない。風が強く、雲は流れている。

 

 標高1595mの半月峠駐車場に着いたのは9時半。予定通り。Kさんが『奥日光自然観察ガイド』(山と渓谷社、2005年)を取り出して、雲がないときの景観を説明している。「その本の写真はKさんが撮ったものだよ」と私が口をはさむ。みなさん驚いている。「私が編集をしたんだ」と付け加えて、ちょっと自慢する。「本屋にはないかも。アマゾンで買えるよ」とKさん。彼自身、自分の持っていたのがなくなりアマゾンで買いもとめたら、定価よりも高かったと笑っている。

 

 半月山への登りを20分ほど歩くと、木製のベンチを設えた展望台がある。標高1710m。ここも雲の中。向こうに(晴れていれば)ナニが見えると、Kさんは話している。山頂へは向かわず、西に山を下る。ここから標高1410mの阿世潟峠への下りは、中禅寺湖を取りかこむ外輪山の稜線上を歩く。カエデ類が多いから、明るい樹林と笹原。南の足尾側から吹き付ける雲の波が濃くなったり薄れたりして、風の呼吸を伝える。足元は小さな岩を踏み、落ち葉が土に還ってふかふかしている斜面をたどる。昨夜も雨が降ったのだろうか、しっとりと湿っているが、ぬかるむということがない。水はけがいいのだ。

 

 シラカンバとダケカンバの境界領域になるのであろう。両方が並んで立っている。違いを評定しながらさらに下る。木肌に特徴のあるナツツバキが艶のある肌理をみせている。ふと気づくと、雲は上の方。南下、足尾側の渓筋が明るい日差しに輝いている。1時間半、阿世潟峠に着く。社山の方は、雲がかぶさっている。天城山の山行で肉離れを起こしたOkさんが4か月ぶりに参加したが、しばらく運動から遠ざかっていたためか、ちょっと不安そうだ。「ここからは往復ですからいけるところまで行きます」と笑顔を見せている。

 

  20分ほど登って岩の積み重なった1550m地点に出る。携帯通信用だろうか、アンテナが立っている。11時40分。ここでお昼にする。日差しが差す。上空の雲が薄くなったり、降りてきたり上に上がったりして、ときどき社山手前の稜線の頂がみえる。30分もゆっくり過ごす。上から一組降りてくる。あいさつもせずに通り過ぎる。下から一組あがってくる。ご亭主らしい人は一眼レフカメラを抱えて後を歩き、撮影に余念がない。あいさつをして止まらずに先へ進む。

 

 ふたたび出発。すぐ先の見晴らしのいいところで、先ほどの一組が食事をしている。中禅寺湖が見晴らせる。白い遊覧船が阿世潟の突端を回って八丁出島の方へと舳先を向ける。箱庭をみるような気分。また少し登ると北西の方向に、竜頭の滝が見える。緑の樹林の中にそこだけ白く水をはねて、油絵なら一筆小さく縦に滴りを垂らしたように際立つ。湯滝は山の陰になって見えない。1720m辺りの突き出た稜線が山頂にみえる。気圧が上がっているなら、あれが山頂ということもあろうが、まさかと思う。Okさんが遅れている。私のすぐ後を歩く元気のいいご婦人方に「もうすぐ山頂、標識のあるところです」と伝えて先行してもらう。

 

 あれが山頂と思っていたら、すぐ先にまたピークが現れる。それを3度ほど繰り返して、やっと山頂に出る。出発してから3時間。結構山深くに入り込んだという感触が残る。雲が取れ周囲が明るく照らし出される。足尾側の渓筋はクリアにみえる。と思うと雲が吹き寄せて、視界を遮る。1827mと記した標識が新しいもののように見える。Okさんに「復帰おめでとう」と声をかける。あれこれおしゃべりをしながら、30分もここで過ごす。

 

 下りにかかる。水はけのよい急斜面の道はササの根が生え広がって、ピタッとつけた脚底のすべり止めになる。ふかふかしていて歩く感触が心地よい。ときどき、浮き出たその根につま先をとられてつんのめりそうになる。ときどき振り返って、Okさんの姿が目に入っているか確認しながら歩を進める。お昼過ぎに追い越した一組がカメラを抱えてあがってくる。「この雲がいいですよね」と、いかにもカメラ達者という表情を見せる。前回妙高山にもってきたストックが使いづらいとザックに仕舞って歩いたMsさんが、両手にストックをついて、軽快に歩いてくる。「慣れないと使えない」とOnさん。「大枚はたいたら、使わなくちゃってなるんでは?」と混ぜ返す。上りに(休憩を除いて)1時間かかったところを30分で降りてしまった。

 

 阿世潟峠で、駐車場に車を取りに行くKさんと別れる。Kさんがたどる半月峠から先の道は、足尾に抜ける旧道。荒れていたのを、5年ほど前に本をつくった著者とKさんと私とで、整備しなおした。崩れていた道にロープを張るなどした半月山をトラバースする道だ。峠の駐車場の標高50m下のところに出る。今日来るときにその分岐などを確かめて、その話をほかの方々にもしておいた。Sさんが「一緒にそちらを歩いてもいいか」と聞く。むろん否も応もない。Kさんのような方に案内してもらわなければ、歩けない道だから、ぜひどうぞと、お勧めする。その二人を見送って、私たちは下にみえる中禅寺湖畔の阿世潟へと下る。距離は600m、標高差は100m。

 

 いちばん若いKmさんを先頭に、初めは丸太の土留めを組んで設えられた階段、そのうち小石のたくさん転がっている砂地の斜面。ミズナラやダケカンバ、カエデの樹林の中は明るく、静か。ほんの10分ほどで下る。あとは湖岸沿いの広い砂利道を4kmほど歩くだけ。大きく樹林が途絶えたところで、中禅寺湖の対岸に男体山がデンと座っている姿が勇壮にみえる。山頂部は相変わらず雲に隠れている。Kmさんは、タブレットを取り出して写真を撮っている。Kwさんも「Sさんに見せてうらやましがらせなくては」とカメラを構える。Msさんはストックをついて快調に先行している。Okさんも、先が見えて気持ちが楽になったようだ。サルが5頭、地面に横たわる木の枝に腰かけて八丁島の方をみている。何を考えるでもなく近くを通る人を気にするでもなく、呆然と湖を見つめる姿は、午後の紅茶って感じだな、と思う。Okさんは食べ物はあるのだろうかと気を遣うが、満ち足りた感じじゃないかねと私は思う。Omさんはタブレットで何葉もサルを撮っている。

 

 イタリア大使館の別荘に入る。人影は係の人だけ。ソファに座って湖を眺めていたMsさんが「くつろぎますね」とご満悦。ほとんどの方が初めて訪れたと興味深くなかを見て回る。私は、車をとりに行ったKさんのケイタイにメールを入れるが、通じない。はて、もう集合場所の歌が浜駐車場に来ている時間だと思うが、何かあったのだろうか。もし連絡が取れないときは、どうしたものかと少し思案する。「そうだね、待たせちゃ悪いよね」とKwさんもコーヒーを飲みたいのを我慢して、靴を履き始める。

 

 歌が浜に到着したのは3時半ころか。Kさんたちが来ていない。ケイタイに電話を入れる。Kさんは電源を切っているのか、通じないところにいるのか。Sさんのケイタイに電話する。4回の呼び出し音の後プッと切れた。走行中に通話できないところへ差し掛かったのかもしれない。少したってまた、Sさんに電話を入れる。呼び出し音の後留守電が出る。「何かあったのか」と声を入れる。ほどなく、Kさんの運転する車が到着した。電話はザックに入れて車の後ろに放り込んでいたから、手に取ることができなかったのだ。

 

 話を聞いて、そうか迂闊であったと思った。5年前に手入れした道は、荒れ放題。ササが大きく伸びて道を隠し、張ったロープも流され、木が倒れて道をふさぎ、半月山の斜面に登ってルートをさがすようであった、と。Kさんは「Sさんには悪いことをした」と済まながっている。Sさんは「面白かった」とルートファインディングを愉しんできたように笑う。私は、道が荒れていることを見通せなかったと、臍を噛む。まあ、無事に帰着したからいいようなものの、もし何かあったらどうしたらいいのか、考えておかなけりゃならんと、思った。

 

 東武日光駅には順調につき、皆さんに先に帰路についてもらい、レンタカーを返しに行った。Kさんはこのあともうひとつアスリート・リーダーとしての仕事が待っているのだ。駅に入ると、Kmさんが待っている。どうして、皆さんと一緒に帰らなかったのと聞くが、同じ駅に戻るんですからと屈託がない。おかげで帰り道、ずうっとおしゃべりをして愉しかった。Kmさんは、この秋をどう愉しもうかとワクワクしている。まるで山歩きを覚えたばかりの少年のようだと思った。


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