mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

異常なのはどっちだ?

2024-06-13 09:03:43 | 日記
 先日(2024-06-09)「第一次資料として存在している気分」と書き記したモリス・バーマン『神経症的な美しさ――アウトサイダーがみた日本』(慶應義塾大学出版会、2022年)で、バーマンは子細に「アウトサイダーがみた日本」を考察し、アメリカと対比した後に、
《私たちが念頭に置いておかねばならないのは、近年の世界中の文化の比較研究によってますます明らかになりつつある、アメリカのパターンこそが異常であるという事実である。研究者のなかには米国型は「奇怪(ウィアード)」だと言う者までいる》
 と記し、こう付け足す。
《地球上のほとんどの人びとは、自然界も社会も含めたこの世界を西洋のように原子論的にではなく、全体論的に眺めている》
 ところが「社会心理の研究領域」では、資料となる母集団はどこをとっても同じという(西洋世界の)前提で行われ、心理学研究の被験者の実に96%が西洋人だと指摘している。そうか、門前の小僧であるワタシが見ていた門内というのが抑々、西洋モデルだったのかと、胸を衝かれる思いである。まして、1945年以来「アメリカが国体になった」といわれた日本にいて、日本の前を歩いているアメリカという1853年から二度目の文化的衝撃を受け、心理的には圧倒的に制圧されてしまったワタシの胸中である。アメリカに感じていた違和感を(1960年頃からのちは)いつも身に感じていたが、それを「アメリカが異常」とはとらえなかった。私がアメリカを知らないからだと、どちらかというと、わが身の無知を責めるように考えてきた。
 それをハッキリと「異常」とみるようになったのは、21世紀になってから。それでもせいぜい「パクスアメリカーナの帝国的独善」ととらえ、独立した人格の市民社会の「善き振る舞い」の若干の瑕疵くらいにみていたのであった。
 それに白黒つけたのはトランプが選ばれて大統領になり、その後の#mee-firstな振る舞いが世界を巻き添えにした4年間とその後があったからであった。トランプ現象がアメリカ国民の半数近い心を捉え、岩盤といわれるほどの支持を得ていることが、何を意味するか。多くのイデオロギッシュな批判は、バカなヤツらとみて排撃するが、ワタシは私なりに、それらの根拠があることを受け入れ、人ってバカだなあとわが身を含めて慨嘆する程度には、理解してきたつもりだ。
 でも、モリス・バーマンは、ブリティッシュ・コロンビア大学の3人の研究者の「世界一奇怪な国民」と題した報告を引用して、
《収集データが示すのは、「WEIRD」の中でもアメリカ人が最も普通から外れたおかしな国民である、つまり普通ではない西洋人のなかで最も変わっている――「外れ値の中の外れ値」であることだった》
 と述べ、こう加える。
《ここで「奇怪」というのは褒め言葉ではない。……西洋の精神は「この惑星上で最も自己顕示欲が強く利己的」である。西洋人は広く社会に利するよりも個人の成功を追求する。西洋以外の人びとが対象を取り巻くコンテクストに調子を合わせるのに対して、西洋人はここの対象に集中する》
 と開いて、
《彼らは「自然界に対しては漫画じみた理解」しかもっていない》
 と口を極める。
 上記のモリス・バーマンの記述は、しかし、彼の提起している本題から外れるが、オモシロイ指摘を含んでいる。
「褒め言葉ではない」につづいてしるしている「西洋の精神」は、実は、資本主義のロゴス(精神)である。西洋が、何より現在のアメリカが唯一誇れるのは、資本主義的にもっとも成功した国だということ。その原動力のような精神、「この惑星上で最も自己顕示欲が強く利己的……西洋人は広く社会に利するよりも個人の成功を追求する」ことこそが、ここ300年ほどの間に地球を席捲し、アメリカという国を生み出し、なおかつこの国と西洋とを先進国として、この惑星上の主導権をもたらしたのであった。バーマンがそれを意識しているかどうかはわからないが、その「西洋の精神」が地球上で受け入れがたいほど「漫画じみた」ものだとすると、人類はほんとうに現在「自然を忘れて」暴走していると、資本主義社会を非難しているのである。
 それにワタシは、共感している。わが身が「第一次資料として存在している」というのは、人類史的なありようであるが、その第一次資料の実感ははっきりと、資本主義社会の現在の国民国家体制にNOを突きつけたいと感じている。国民国家体制を否定するということは、グローバリズムを推奨することかと思うかもしれないが、そうではない。むしろ逆に、小さな規模の生活単位で、コミュニティを(たくさん)つくり、それらの相互的な交通と交換と交流を図り、生活自律的に(且つ交換関係を広く且つ合理的にかたちづくって)暮らしていくことこそが、最良のイメージである。
 そのイメージを提供しているとモリス・バーマンが紹介してくれたアーシュラ・ル・グウィンの小説『言の葉の樹』を取り寄せた。これから読んで、「第一次資料」のこれからの道を「しこう(嗜好・思考・志向)」してみよう。

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